41.翌日
ぱちっと目を覚ました澪は、横でエヌが壁に寄りかかって漫画を読んでいることに気がついて、ちらりと時計を見た。
《五時――》
「おはよー」
澪が目を覚ましたことに気がついたエヌは、ぱたんと読みかけの漫画を閉じて顔を上げた。目にはうっすら隈ができていて、顔は疲れた様子だった。
「え、あんた、寝た?」
澪はがばっと勢いよく起き上がった。
「いや、たぶん、寝たら、陽真に戻るから。本体に意識戻りそう」
エヌは苦笑して笑うと、澪の手を握った。
《陽真、聞こえるかー。エムが起きた》
エヌの呼びかけに、応える声があった。
《……はじめまして、でしょうか。相沢さん……》
エヌの声に重なるように、ぎこちない心の声がした。
澪は驚いて、目を見張るとエヌの顔を見つめた。
《え、これ、あんたの弟の、“陽真”……くん?》
《そう。俺の力が弱まったからか、出てきた》
《兄ちゃん……その言い方……》
《悪ぃ悪ぃ。もともとお前の身体だからな》
澪はエヌの中から聞こえる二つの声のやりとりに、呆然と答えた。
《は、はじめまして……》
挨拶と同時に、自然と気持ちが沸き上がる。
《本当に、いたんだ、“陽真”……》
それは、エヌの話した、彼は弟の身体を借りているだけということが本当だということで。
つまり、エヌは、そのうち消えてしまうというのが、本当ということで。
うつむいた澪を見て、エヌは困ったように髪をくしゃっとしてから呟いた。
《――あと、もう一人いる》
陽真の他に、もうひとつ幼い声が響いた。
《これどういうことー? なんか、お姉さんが見える!》
《――玲央の意識も、つないでる》
エヌから、昨日、澪が寝ている間にされた、エヌと陽真と玲央のやりとりが、イメージとして伝わってきた。
《玲央くんが、“現実に戻りたい”って思えるくらい、楽しいこと見せるなんて……》
澪は顔を押さえた。ずびっと鼻水をすする。
“陽真”が本当にいたことのショックで、頭の中に雨雲が立ち込めたようだった。
《……できるかなあぁ。できる気しないんだけど……》
エヌが財布を出して、声で言った。
「……軍資金は、ある」
財布の中には札束が入っていた。
「お年玉とかだ。陽真、使っていいよな」
《……いいよ。兄ちゃんが使いたいだけ使って》
陽真の声が澪に言った。
《――兄ちゃんを、よろしくお願いしますね》
それから、エヌに呼びかける。
《兄ちゃん、今日は兄ちゃんの日だから。僕たちは後ろ引っ込んでるから、気にせずやってよ》
澪は頭を抱えた。いろいろな感情がごちゃごちゃになり、絡まる。
《陽真くん、すごいいい子じゃん……》
《ひっこんでるっていっても、見てるんでしょお》
《お金の問題じゃないんだけど》
エヌが澪の肩をたたいた。
《――まず、何しよっか。今日》
澪は自分の服を見た。
パーカーにジーンズ。ほぼ家着だ。
《――もっと、ちゃんとした格好したかった》
エヌは「よし」とつぶやいた。
「店空いたら、買い物に行こうか」
◇◇◇
中華街の店は、思った以上に朝から営業している店も多かった。
澪とエヌはモーニングメニューを出しているカフェ風の中華レストランに入り、朝食を食べることにした。
「……胃が癒される……」
スプーンで朝粥を口に運んでつぶやくエヌを見て、澪は苦笑した。
《なんだか、しんどそう……》
《寝たら、たぶん、終わりだから……》
――“陽真”はいたし。本当にエヌは、もうすぐいなくなるんだ。
でも、あんまり悲しがると、困るかな。
澪はそんな内心の気持ちをまとめて、ツッコんだ。
《――雪山?》
「あはは」とエヌは笑った。
《……そんな感じ》
エヌはスマホを開いた。
それはエヌ専用のスマホで、澪と知り合ってから、別に契約したものだった。
澪のスマホも陽真のスマホも、両親や祖父母からの着信が絶えないため、昨日から電源を切っていた。だから、エヌのスマホが唯一の情報源だった。
「ショッピングモール、十時半に開くって」
まだしばらく時間がある。
澪はエヌの手をつかむと、立ち上がった。
《海見に行こうよ! 海》
二人は中華街を出ると、海沿いの山下公園の方へと向かった。
海沿いに遊歩道や芝生が広がり、朝から犬の散歩をする人や、ランニングをする人で賑わっている。
「おー! 海!!」
エヌは澪の手を引っ張って、海に面した柵まで走った。
明るい日差しの下に、遠くまで空の雲を映した海が広がっている。
「……広いなあ」
エヌは呟くと、額に左手を置いて遠くを見た。
「――川とは違うな、やっぱり」
頭の中に、通学の電車から見える、川の映像が流れた。
《……海なし県、脱出したね》
《やっぱり、海ってすげえ……地球が丸い感じするじゃん》
水平線を見つめるエヌを、澪は見つめた。
手をつないで、ショッピングモールへの道をゆっくり歩いて行く。
景色は綺麗で、時間は穏やかで。
現実から離れた時間を過ごしているような気がした。




