40.泊まり
エヌはスマホで「運転免許証」と検索し、運転免許証の画像を表示すると、自分の学生証を出して、じっと見比べた。
「何してんの?」
「――いや、年齢確認されるだろ」
エヌは澪の頭の中に、学生証を運転免許証に見せたイメージを送った。
《受付で証明書見せるだけなら、前にこれで年齢確認どうにかなった》
《あー……なるほど》
《エムも顔つきの証明書ある?》
《あたしも学生証あるよ》
澪も学生証を出して、それを運転免許証に見えるようにイメージしてみる。
《おー、いい感じに、運転免許証に見える》
《……てか、年齢確認、何でしたの?》
《――同じだよ。深夜に漫画喫茶行った。……テスト前に、勉強しに。家だと落ち着かないから》
《……真面目な理由だね》
《――何を期待してたんだよ》
《別に》
澪とエヌは漫画喫茶のある繁華街の方へと向かっていった。
《エヌの家、結構、緩いよね。お爺さんとお婆さん、昔風な感じなのに》
澪は古風な日本家屋と、厳格そうな祖父、いかにも上品な老婦人というイメージだった祖母を思い浮かべた。
夜間に身分証を能力で偽証して、漫画喫茶に行く孫を許容するふうには見えない。
《母さんに厳しくして、失敗したからな。――あの人たちは、だから“陽真”には放任主義でいくことにしたんだ。――だからといっても、内心は心配しまくりで、それをなんとか表に出さないように頑張って放任してくれてる》
夜に漫画喫茶で“陽真”と勉強した記憶が蘇ってきた。
《陽真! 年齢確認通ったぜ!》
《うわ、兄ちゃん、すごいな!》
《漫画の新作出てる! 読もうぜ!》
《勉強、範囲終わってからね》
《読んでから、勉強すりゃよくないか?》
《テスト受けるの“俺”だからって、遊ばないでよ、兄ちゃん》
澪はエヌを見つめた。
《ほんとに、あんたと“陽真”って別なんだね》
《陽真は、俺のことをどうにかしたいから医者になるって言ってるんだぜ》
エヌのつぶやきが澪の中に届いた。
《俺は、そんなことより、もう少しあいつと遊びたかったけど》
澪はエヌの肩をたたいた。
《その漫画、今日読めば?》
店の受付で、予想通り身分証を求められたので、学生証を出し、先ほど練習した運転免許証のイメージを店員に【送信】する。
「年齢確認、OKです」
カウンダ―下で、エヌが親指を立てた。
「わあ、結構広いねー!」
個室は下に黒いマットレスが敷かれていて、ふかふかしていた。
「シャワーも使えるんだよね。タオルもレンタルできるし」
《汗臭いの嫌だしな》
エヌが澪に手を振った。
「順番に行こうぜ。先行って来れば?」
◇
シャワーを浴びてすっきりした澪とエヌは、思い思いに漫画を持ち寄って個室に積んで読んでいた。
大きくあくびをした澪がうつらうつらと壁に寄りかかった。
「……寝れば」
エヌは膝掛けを持ってくると、澪にかぶせた。
澪はそのまま膝掛をかぶってごろりと転がって、寝息をたてはじめた。
エヌは息を吐くと、自分も疲労感を感じて目を閉じた。
――その瞬間、意識がどこかに引き戻される感じがして、あわてて目を開けた。
「あ……」
口から声が漏れる。
それから膝を抱えた。
(――いや、ここで寝たら、意識が身体に引き戻されるな)
陽真の身体の意識を長時間エヌが支配して動かすのは、疲労する。
極限までやり続けると、陽真の身体にいられなくなり、意識が病室で眠る自分の身体に引き戻されるのだ。
(先週は一週間もったのにな……)
先週、武藤の家を攻撃していた一週間はずっと陽真の身体を乗っ取っていた。
金曜日、澪の家から帰宅して自宅についたところで、耐え切れず戻ってしまったのだが。
(いろいろ限界きてるな……)
エヌは大きく息を吐いた。
祖父が言っていた『五月に入ってから数値が悪化している』というのは、陽真の身体へ意識を飛ばし続けた負荷なのだろう。
(本体に戻ったら、たぶん、俺、そこで死ぬ……?)
そんな感覚がして、ぞわりと背中に寒気が走った。
――けれど。
エヌは澪を見て、今日一日を思い出した。
『――残り時間、あたしと横浜に出かけるか、武藤やその玲央くんの母親追い詰めに行くか、選んでよ』
まさか、自分の人生で“彼女”と横浜に来る日がくるとは。
(こんな展開になるなんて、思ってなかったな。エムはすげぇな)
膝を抱えて頭を埋める。
(……どうせ死ぬなら、限界までこいつと遊んで、それでそのまま死にてぇな)
それに、と心の奥で自分自身が囁く。
(――もし、このまま、陽真の身体に居座り続けたら? 俺の意識がこっちにある状態で、俺の本体が死んだら?)
――このまま陽真の身体を、俺が使えるんじゃないか?
「いや、それは……」
思わず口に出して、否定したものの、むくむくとそんな考えが大きくなっていく。
――想像してしまった。
このまま、明日になっても、明後日になっても。この身体のままだったら。
『やっぱり、俺が“陽真”だった。ドッキリ? みたいな?』
と澪に言って、呆れられて。
――それで、日常に戻って。
玲央の動画を撮ったことは、いずれ祖父にバレるだろうけれど、なんとかして。
大学受験をして。大学生になって。車の免許をとって。
――こんどは、車に乗って、横浜に来て。
澪と『今度は本物の免許証だな』なんて言いながら、またこの漫画喫茶に泊って――
そのとき、頭の中で声が響いた。
《……兄ちゃん》
はっと顔を上げる。
心の中で返事をした。
《――陽真!? お前――、俺に話しかけてこれるのか?》
いつもエヌが陽真の身体を使う場合は、エヌの意識が優勢で、陽真の意識は眠ってしまうはずだ。
――それが、声がしたので驚いて、手が震えた。
《……今、どこにいるの? そこ、漫画喫茶……? その子、相沢 澪さん……?》
《見えてる?》
《――うん。なんか、暗闇にいて、スクリーンで見てる感じで……見える》
エヌはごくり唾を飲んだ。
《いつも、俺がお前の見てるもの見てるときと、同じ感じだな――》
生まれた瞬間から、エヌには、いま陽真が感じているのと同じように、陽真の意識を見ていた。
《陽真、お前――》
エヌは頭をおさえて、うずくまった。
《俺が、いま考えてたこと、わかった?》
――このまま陽真の身体をずっと使えたら。
そんな頭にうかんだ欲望の囁きを、弟は聞いてしまっただろうか。
《――うん》
陽真は少し間をおいて、言葉を続けた。
《――僕は、それもありなんじゃないかと、思うよ》
《――は?》
《僕の意識も、こんな感じであるんだったら。今までとそんなに変わらないし》
陽真の声は、冷静だった。
《――今までと変わらない。入れ替わったり、できるかもしれないし》
エヌは声を荒げた。――違う、自分がさっき考えてたことは。
《――俺、お前の身体、乗っ取れたらって思ってたんだぜ》
陽真はうなずいた。
《――いいよ》
《は?》
《だって、俺は、たぶん兄ちゃんがいたから、生まれてこれた。――母さんが、【受信】したの、ぜんぶ、俺の代わりに、兄ちゃんが受けてくれてただろ》
陽真は声を小さく震わせた。
《……いいよ。あげるよ。僕の身体》
言葉の裏にある、恐怖心がエヌに流れ込んだ。
それと同時に、自分に対する、強い思慕の念も。
《――何言ってんだよ》
エヌは心の中で、自分の片割れに笑いかけた。
《たぶん、俺、本体が消えたら、意識も消えるぜ。さっき、そんな感じがしたから》
だから、と言葉を続けた。
《――消えるまで、エムと横浜観光したいから、身体貸してもらっていいか?》
こくり、と意識のなかで、陽真がうなずいた。
エヌは目を閉じた。
――やり残したことは。
玲央の姿が脳裏に浮かぶ。
結局、意識を戻してやることができなかった。
――だから、あいつの母親を、地獄まで引きずってってやろうと思った。
《けど、俺は横浜に来た》
澪を見る。
澪は、櫻井 紗理奈の繰り返される悪夢の展開を、から揚げを食べて少しだけ変えた。
《俺は、溺れ続けてる玲央に何か、できるか……?》
《――兄ちゃんは、道連れにする人が欲しかったの?》
陽真の言葉に、エヌは身体を強張らせた。
――今まで陽真に隠していた、エムとやった今までの“悪人狩り”の記憶も、陽真に共有されてしまった。
《ああ――俺だけ、消えなきゃいけないなんて、理不尽だと思った。だから、苦しんで当然のやつら、できるだけ巻き添えにしてやりたかった》
《……今は?》
《……もっと“いいこと”のがやりたい》
エヌは意識を集中した。澪が櫻井 紗理奈と意識をつないだように。
自分もずっと意識下で交流を続けてきた玲央の意識とつながることができるかもしれない。
パシャパシャと、水の中でもがく音。
《――いた》
エヌはイメージ世界を展開した。
暗闇に自分と、自分と同じ陽真の姿と、溺れる玲央が現れる。
エヌは玲央を水の中から抱き上げた。
げほっげほっと咳き込みながら、玲央はエヌと陽真を見比べた。
《あれ……? 兄ちゃんが二人?》
《玲央。俺はエヌ、こっちが陽真だ》
エヌは玲央の肩をたたくと、手を陽真とつながせた。
《見ろよ。俺、彼女と横浜来てるんだぜ》
《親には内緒で、夜更かしして、漫画喫茶にも泊まってる》
玲央は目を輝かせた。
《……なんか、すごい!》
《ちょっと陽真と一緒に見てろ》
エヌはにっと笑って玲央の頭をぽんとたたいた。
《現実に戻って、大きくなったらさ、どれだけ面白いことがあるか、見せてやるから》




