4.家族
「――はぁ……疲れた……」
帰宅した澪は、バッグを学習机の上に放り投げると、制服のままベッドに飛び込んだ。
一時間経っても電車は止まったままだったので、学校に電話をして登校日を変更してもらった。
結局、あのあと、“エヌ”といちごパフェを食べながら一時間程度ファミレスで食事をし、振替乗車で帰宅した。
――ブブッ
スマホの着信音がして、立ち上げた。
『家ついた?』
――エヌからのメッセージだった。
ファミレスで話している間に、エヌは「エヌ」、澪は「エム」という名前でSNSアカウントを作った。フォロー相手は一人だけ。二人が連絡を取り合うためのアカウントだった。
『俺が何してるかわかる?』
既読をつけると、すぐに次のメッセージ。
澪の脳内に、大きなテレビにシューティングっぽいゲーム画面が映っているイメージが流れ込む。
『――ゲームしてるでしょ。シューティングの』
そう送ると、驚いた顔のスタンプが送られてきた。
『すげぇ。本当に電波で受信できるんだな』
本当に驚いているのが伝わってくる。
澪はふっと笑った。
『あたしの考えていること、あんたはわかんないでしょ』
『わかんね』
(こういうやりとりなら、私の方が、力が上なのかな……)
面と向かってでは、澪の思考回路ばかり読まれてしまうので、悔しい気持ちがしていた。
(だって、あたしはあいつの本名も知らない)
『あんたも家に帰ったの? 学校は?』
『頭が疲れたから、今日は休むことにした』
(エヌも疲れてたんだ)
そんな素振りは見せていなかったので、澪は目を大きく見開いた。
エヌとのファミレスでの会話は、ほとんど心の声で話していた。
そのせいか、エヌと別れてから、頭が計算問題を数時間解かされたような疲労感で重たかった。
(――今なら、聞き出せるかも?)
ふと思い立って、澪はエヌにメッセージを送った。
『エヌの本名教えてよ』
返信が途切れた。
ニヤリとした顔の絵文字が返って来た。
澪の脳内に、芝生を駆けまわる柴犬のイメージが浮かぶ。
(――あいつ! 犬の画像でごまかした!)
澪はスマホを握りしめた。
追加でメッセージが届く。
『危ねぇ。そういう不意打ちやめてくれ』
澪は思わず、ふっと笑いを漏らした。
(――私以外に、テレパシー使える人がいるなんて、驚いたな)
この力のせいで、学校に行けなくなって、家にひきこもる日々だった。
家族にも言えず、最初は自分の頭が本当に変になってしまったのではと思っていた。
自分と同じ力を持つ人間が、同じ路線を使う人の中にいたということが、澪にとって、ようやくわかり合える相手を見つけたような、そんな気持ちだった。
(――やばい奴だけど)
人が死んだのだ。目の前で。
あいつがやったことの影響で。
けれど。
澪はスマホでニュースサイトを開いた。
『痴漢男性が逃走 電車に轢かれる』
そんなニュース記事には、多くのコメントがついていた。
『朝から迷惑』
『死んで当然』
大多数を占めるそんなコメントがリアルタイムで増えるたび、書き込んだ人間の思考が頭に流れた。
《この路線、痴漢多くて最悪なんだよね》
《やっぱりバレるんだよな。やりたい気持ちはわかるけど》
《仕事遅れた。最悪》
同じ事件の記事なのに、頭に流れ込んでくる感情はばらばらだった。
――いつもは、頭がパンクしそうになって、こういうコメント欄を開くことができない。
けれど、今日は、平気だった。
この事件の裏側を自分は知っている。
――それを共有する相手がいる。
そう思うと、気分が少し高揚した。
◇◇◇
「ただいま!」
夕方になると、弟の悠斗が学童から帰宅してきて、澪の部屋をのぞきこんだ。
「昨日のゲームの続きしようよ!」
ランドセルを玄関に放り投げるなり、澪の手を引っ張ってリビングへ誘導していく。
《今日ケンくんにやり方聞いたから絶対負けないぜ。えっと、フィールドから出そうになったら、右、R、左……》
澪はくすりと笑うと、まだ自分の胸くらいの高さの弟の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「――ケンくんもやるんだね」
ふとそうつぶやくと、悠斗はぴくりと止まって、姉を見た。
「なんでわかんの!? 姉ちゃん、やっぱ超能力ある!?」
《姉ちゃんすげぇ……》
連動して聞こえてきた心の声に、澪はまた頬を緩めた。
――悠斗の心の声は、単純で癒される。
(ずっとこのままでいてほしいな)
そう思ってしまうのは、よくないことだろうか。
――いつから、人間の思考は、街にあふれる心の声のように、複雑になっていってしまうのだろう。
悠斗とゲームをしていると、今度は母親が帰って来た。
「澪、登校日どうだった? 電車止まってなかった?」
帰って来た母親は、駅地下の食品売り場のケーキの箱を持っていた。
澪の登校日には、いつも買ってきてくれる。
「――うん。遅延で、動きそうになかったから、登校日ずらしてもらった……」
母親は澪の横に来ると、ケーキの箱を見せた。
肘が触れ合うほどの距離になり、心の声が聞こえた。
《よかった。変なのに巻き込まれてなくて》
「――痴漢でしょ。本当迷惑よね。……変な人がいたら、お母さんに連絡するのよ」
母親の頭の中に、最近起きた、ストーカー事件の内容が浮かぶのがわかった。
(お母さんは、私を心配している……)
澪は「ありがとう」とケーキを受け取った。
夕食を食べ終わって、弟と母親とケーキを食べていると、父親が帰宅した。
「澪、登校日、お疲れ」
手には、母親と同じ店のケーキ。
《――買ってくるなら連絡してって前もって言ってたのに。話を聞かないんだからこの人は》
食卓に座っていた母親はそう心の声を漏らしてから、父親に言った。
「――ケーキ、被っちゃったわね」
《……嫌味っぽいな》
父親はそう心の中で漏らしながら、頭を掻いた。
「まあ、明日も食べりゃいいよ」
(お母さんとお父さんは、お互い文句が多いけれど――でも、あたしのことも、悠斗のことも、大事にしてくれている)
澪はケーキを頬張りながら考えた。
――以前は、矛盾する心の声を聞いてしまうことがストレスだった。
けれど、最近は折り合いをつけられるようになっていた。
人は、そんなものだ。
(――うちの家族は、善良だ)
あの痴漢とは違う。
(そして、あたしとも)
あたしが今日、人を死に追いやったことを知ったら、お母さんとお父さんはどんな顔をするだろうか。
ぞくぞくとした、悪寒とは違う感覚が背中に走った。
(――あたしは、もう“そっち側”なのかな)




