37.から揚げを食べる
「――何をしに、来たんだ」
エヌは澪をじっと見つめた。
澪は手を伸ばして、エヌの手首を掴んだ。
びくっとエヌが身体を震わせた。
《あんたと話に来たの!》
《――何をだよ》
《いろいろだよ。まず、“解散”って言っておいて、あんたまだやる気でしょ。――動画、見たよ。次、玲央って子の母親でしょ?》
エヌは目を見開いて、驚いた表情で澪を見つめた。
《え、そこまでわかってんの?》
《わかるよ。あんたのやることは》
その言葉に、エヌは一拍置いて、吹きだした。
《いや、ほんと。予想外だよ、エムは》
「陽真、お友達? 家に入っていただいたら?」
そのとき玄関の後ろから声がかかった。
澪が顔を上げると、最初にインターホンで応対してくれた女性だろう、割烹着を着た白髪の老女がエヌと澪を見て微笑んでいた。
「……うん。じゃあ、とりあえず、中に入る?」
エヌは澪を家の中に手招きした。
豪奢な家の佇まいに、澪は思わず背筋を伸ばして挨拶をした。
「――こんにちは。相沢 澪といいます」
「学校は違うんだけど、通学電車が同じなんだ」
エヌが補足して、手を引いた。
《――学校のお友達ではないのね? ……でも陽真のお友達が家に来るのなんて、初めてね。――しかも、女の子》
《手までつないで……》
老女の心の声を聞いて、澪は少しほっとした。
――彼女はエヌの祖母だろうか。思っていたよりも、ずっと”普通”のお婆ちゃんだ。
《“普通”の家だよ。母親と俺が少しおかしいだけで。爺ちゃんは立派な医者だし、婆ちゃんは優しい婆ちゃんで、陽真は優秀な孫だ》
冷え水のようなエヌの声が澪の思考を押し流した。
リビングに入ると、新聞を広げた厳格そうな雰囲気の老人がいた。エヌの祖父だ。
「爺ちゃん、婆ちゃん。ちょっと友達と部屋で話してるから」
エヌはそう言って、澪の手を引いてリビングの奥の階段を昇った。
階段上の個室の扉を引くと、中に入り、澪に向き直った。
《――話って、なんの話をしに来たんだ?》
心の声で問われて、心の声で返す。
《まず、勝手に解散してんじゃねぇよって》
《いや、口悪……》
《これだけ巻き込んでおいて、あんなあっさり“解散”とか言われて、連絡ブロックされたら、こうなるよ》
エヌは視線を泳がし、うなだれると、小さい声で言った。
「ごめん」
《……いや、エムの家に行って、悪いなと思ったんだよ。お前を突き合わせるの》
《なんでよ》
《いや、エム――“普通”じゃん》
澪ははっとして、エヌを見つめた。
《エムの日常は、これからも続いてくだろ。俺の自暴自棄に巻き込むのは、悪いと思ったんだ》
――どうせこの世からいなくなるんだったら、悪い奴は道連れにして逝ってやる。
エヌの怒りに満ちたようなそんな声が頭の中に響いて、澪は目を瞬いた。
《ごめん。もうエム相手に本心隠すのは無理っぽいな。――うん、俺は、ムカつくやつを道連れにしてやろうと思ってたんだ》
エヌは誤魔化すように早口でそう言って――止まった。
澪の目に涙が溜まっていたからだ。
《え、あんた死ぬの?》
澪の声が震えて、エヌは混乱したように瞬いた。
《――うん。たぶん。近いうち》
《なんで、泣いてんの?》
《そりゃ……友達……親には彼氏って紹介した相手が死ぬって聞いたら、“普通”泣くでしょうがああ》
ずびっと鼻をすすった澪を見て、エヌは大きく瞬いた。
澪はまくしたてるように、言った。
《……なんで。いろいろできそうだと、思ったのに。能力使って、できることあるかなって。【攻撃】するんじゃなくて、例えば、櫻井さんの考えてる、嫌な記憶を、別の楽しいことにするとか……》
《え? どういうこと?》
《なんか、あたしの考えたことが櫻井さんに伝わったぽいんだよね。あたしと、櫻井さん、ずっと【受信】してたからか、意識のつながりができてるっていうか……》
《……櫻井の意識に入れるかもってことか?》
エヌは、自分が玲央の精神世界に入って、溺れているところを助けたことを思い出した。
《あんた、その玲央くんって子に、そんなことやってたんだね》
その考えを【受信】した澪はうなずいた。
《そういうこと》
エヌがスマホを開いた。櫻井紗理奈のSNSアカウントを開いている。
そこに、ピコンと新しい投稿があった。
いつも通りの明るい文面。けれど、その裏には、アンモニア臭のする多目的トイレで、から揚げを箸でつまんで持ち上げる武藤の姿があった。
《――やってみる》
澪は目を閉じ、紗理奈の意識のつながりをたどった。
エヌがそれを手伝ってくれているのがわかる。
――そして。
目を開けると、周囲に、トイレが広がっていた。
武藤理央はから揚げを持ち上げたまま静止している。
《……誰!?》
便器に座らせられた櫻井紗理奈が驚いたように立ち上がった。
《本当に、入れた……!?》
エヌは感嘆したように周囲を見回すと、紗理奈を見つめた。
《久しぶり……?》
紗理奈は目を見開くと、エヌを見つめて、つぶやいた。
《一ノ瀬君……? なんでここに……》
《そう、同じ中学だった、……から揚げが好きな方の一ノ瀬……》
紗理奈は信じられないと瞬いてから、澪を見つめた。
《この女の子は……》
澪は微笑むと、少し語調を強めた。
《一ノ瀬君の……”彼女”のエムです》
《おい》
エヌに小突かれて、澪は彼を睨んだ。
《いいでしょ。いちおう、うちの親にそう紹介してんだから》
紗理奈は混乱した様子で頭を抱えた。
《なんで? どういうこと? ここどこ?》
意識が混乱しているようだ。
澪はエヌと目を見合わせると、から揚げを持ち上げたまま静止している武藤を手でたたいた。ぶわっと武藤の姿は消え、空中にから揚げだけが浮かんでいる状態になる。
《から揚げは、トイレで食べるもんじゃねぇよ》
エヌはつぶやくと、手をパンっとたたいた。
多目的トイレの背景は消え、初夏の風が気持ちのいい、武藤の家の前の土手に風景が変わる。
《ここ、武藤さんの家……》
紗理奈は目の前に立つ家を見つめて、硬直した。
エヌと澪は土手にいつも使っていたアウトドアチェアやシートを出現させると、そこに座って、武藤が持っていたから揚げの入ったプラスチックの入れ物を広げた。
《こういう、ピクニックで食べると美味しいよね。から揚げ》
《な》
澪とエヌはぱくぱくとそのから揚げを完食した。
呆然とその様子を見つめる紗理奈に、エヌがから揚げを一口大に切って渡した。
《おいしいぜ、から揚げは》
紗理奈はそれを恐る恐る一口食べて、つぶやいた。
《……おいしい》
途端、ぱあっと周囲の風景が崩れた。
紗理奈とつながっていた意識が途切れる。
――澪とエヌは、陽真の部屋で顔を見合わせていた。
◇
――同時刻。
紗理奈の入院する県立西病院の病棟では、看護師が紗理奈の耳元で心配そうに呼びかけていた。
「櫻井さん、大丈夫!?」
午後のレクリエーション活動中。
紗理奈は椅子に座って塗り絵をしようとしたまま、ぼーっと動かなくなってしまったのだ。
「――あ」
はっと意識を取り戻した紗理奈は周囲を見回した。
「……病室?」
「どうしたの? 大丈夫? 貧血かしら……」
看護師が紗理奈の顔を覗き込む。
――けれど、彼女の顔色が、思ったよりもよかったので、安堵の息を吐いた。
「……大丈夫そうね。急にぼーっとしたからどうしたのかと思ったわ」
「私……」
紗理奈は目を閉じた。
風の爽やかな土手で食べるから揚げが頭に浮かぶ。
「今日の夕食のメニューなんでしたっけ?」
そう聞かれた看護師は、瞬きをしてから、嬉しそうに微笑んだ。
◇
紗理奈とつないだ意識から戻って来た澪とエヌは、陽真の部屋でしばらく手を取り合ったまま、黙り込んでいた。思考を現実に慣らすのに、しばらく時間がかかる。
「……こんなこと、できたんだ……」
エヌがそうつぶやいて、つないだ手を見つめた。
《櫻井さんが、ちょっとでも、気分がよくなるといいね……》
そう心の声でつぶやいた澪を見つめて、エヌは手を離そうとした。
《――やっぱり、エムは俺と根本的に違うわ》
――しかし、澪はがっしりとエヌの右手首を両手でつかんだ。
《そんなに違くないでしょ》
《だって、俺は。こんなこと、思いつかなかった。武藤を俺の道連れにできればいいと思ってた。――ムカつくから》
エヌは付け加えるように言った。
《櫻井のことまで、考えてなかった》
《――いや、あたしも、武藤が苦しんでるのを見るのは、自業自得だし、いい気味だと思ったよ。……あたし、かなり櫻井さんの気持ちに同調しちゃってたし》
澪はエヌの手首を力を込めて握ったまま、つぶやいた。
《ひき逃げしてた常盤だって、最初の痴漢のおじさんだって、ひどい目にあってるの見て、すっきりしたし――だから、根本的にはあんたとあたしはあまり変わらないよ》
《けどさ》と澪はエヌの手をぐっと自分に引き寄せた。
《あんた、もうすぐ死ぬんでしょ? このあと、武藤の家に行って追い打ちかけて、あの動画作った玲央って子の母親を次にやるの? それで死ぬの?》
《――そのつもりだった》
《あと、どれくらいで死ぬの、あんた》
《――わかんない。陽真の身体にいると、負担がでかいみたいで。――あと数日が限界かな》
《あと数日……》
澪は目に湧き上がってくるものを感じた。
《まだ、あんたと話したいこと、あったのに》
《話したいこと? 何?》
《何かって、別に議題なんかないよ。たださ、普通に……あんたと話すの楽だし、楽しいし》
澪は掴んでいた手を緩めると、両手で両目をぬぐった。
エヌの手がすとんと床に落ちる。
澪は、エヌを見つめると、声で言った。
「あたしと、遊びに行ってよ」
「――どこに、何しに」
澪の頭に、海沿いの公園と観覧車のイメージが浮かんだ。
赤レンガの倉庫に中華街。
通学列車で一本で着く、港町。
小さい頃、家族で行って、楽しかった記憶がある場所。
澪の思考を受け取ったエヌがつぶやいた。
「……なんで、横浜」
「なんとなく! デートにぴったりでしょ! 海沿い!」
澪はエヌを小突くと、目を見つめて言った。
「――残り時間、あたしと横浜に出かけるか、武藤やその玲央くんの母親追い詰めに行くか、選んでよ」
エヌは視線を泳がすと、うつむいて、声を震わせて答えた。
「……それは、ずるいよ」
「何がよ」
「――そんな聞き方されたら、一択だろ」
顔を上げて、澪の手を取った。右の口の端を上げて、エヌは笑った。
「……横浜、行く……」




