36.自宅へ
十五時近くになってもエヌは土手に現れなかった。
お腹の音に促されるように澪は立ち上がって、伸びをした。
(今日、来ると思ったんだけどな。……とりあえず、お昼食べてこよう)
コンビニで何か買って来ればよかった、と思いながら駅前に向かう。
――これまではエヌと土手に座って、手をつないで、雑談をして、アイスやおやつを食べながら武藤の家を見ていたので、一日はあっという間だった。
けれど、一人で待っている時間は、退屈で長く感じて、疲労感で身体が重かった。
駅前でファストフード店に入り、ハンバーガーをかじりながらスマホを開いた。
(エヌの家って、この近くだよね……)
この駅が自宅最寄り駅だと言っていたし、武藤と同じ公立中学に通っていたのであれば、家はあの土手の付近だろうか――そう思って顔を上げたとき、カウンター席のガラス窓の向こう、駅前の周辺地図に描かれた文字に目が止まった。
『一ノ瀬こども病院・小児神経センター 北口』
(一ノ瀬……)
澪はごくりとハンバーガーを飲み込んだ。
エヌの頭の中にあった病室のイメージ。
やたらと羽振りのよい様子。
それらが頭の中で結びついた。
(エヌの家……、病院の関係?)
とりあえずスマホを立ち上げ「一ノ瀬こども病院・小児神経センター」とSNSで検索してみる。
――すると、話題の投稿に、つい最近の投稿内容が表示された。
『これ、一ノ瀬こども病院。うちの近所の病院』
引用リポストされている、元の投稿は。
【未だ意識不明なのに……鬼母、出所! 懲役三年って、法律おかしくね!?】
フォロワー0の新規アカウントによって、今朝、投稿されたものだった。
三年半前に起きた、母親による五歳児童の殺害未遂事件を糾弾する内容。
――それは、ベッドに横たわる被害者の痛々しい動画から始まる、煽動的な内容の動画だった。
被害者の児童の名前は――久留米 玲央。
「レオ」という名前に聞き覚えがあった。
「――エヌ」
(これは、あんたがやったでしょ)
バイクのひき逃げ犯人の常盤のときのように。
この犯人の母親への批判的なコメントを集めて、エヌは攻撃する気だ。
(あたしなしで……?)
澪はそこではっとした。
――今日、自分はエヌのように、イメージの世界を作り上げて、弟と共有することができた。逆に、今まで澪しかできなかったはずの、電波を介した【受信】をエヌもできるようになっていたとしたら?
澪は残りのハンバーガーを口に押し込むと、立ち上がった。
(エヌと話をしたい。――一ノ瀬病院!)
マップを立ち上げ、一ノ瀬病院の方向へと小走りに向かった。
◇
(病院に行って、エヌに会えるかな……、あいつの身体の本体は入院してるんだよね……)
考えながら小走りで走っていた澪は不意に立ち止まった。
目の端に、大きな塀のある住宅が入り込んだ。
病院の裏手にある、大きな一軒家。――表札は、
(一ノ瀬……)
澪はごくりと息を飲んだ。
(ここ、病院の関係者の自宅……?)
「一ノ瀬病院」というくらいだ。「一ノ瀬」姓は経営関係者の家だろう。
門構えも立派で、いかにもお金持ちの家だ。
(“陽真”としては、病院じゃなくて、外にいるはずだよね……)
あの動画は今朝投稿されていた。
今朝あれを投稿しているとすれば、エヌは、いつものように――“陽真”の身体で活動しているのではないだろうか。
(だったら、家を訪ねた方が、話せる確率は高い……?)
澪はきっと門を見つめると、ブザーを押した。
『……はい。一ノ瀬ですけど……』
上品そうな老婦人の声がした。
『こんにちは! 突然すいません! あたし……一ノ瀬 陽真くんの友達なんですけど……』
勢いよく挨拶してから、澪はだんだん小さい声になった。
(一ノ瀬違いだったらどうしよう……)
澪の不安をよそに、老婦人の声は『まあ』と明るくなった。
『ちょっと、陽真に聞いてみますね』
そう言って、ぱたぱたとどこかへ行く音がした。
――それから数十秒後。
ガチャリと玄関が開いた。
現れたのは――エヌだった。




