35.追いかける
澪はスマホ画面を見つめていた。エヌとのやりとり画面は昨日の夜に駅で別れた後、澪が送った『家についたら電話してよ』のメッセージが未読になったまま止まっている。
「澪、悠斗を起こしてきてくれる?」
母親の声に、澪は「わかった」と返事をして弟の部屋へ行った。
ノックをして扉を開けると、まだぐーぐーと寝息を立てている。
もう朝の九時だというのに起きてこない。
原因は明らかで、昨日、遅くまで起きていたからだ。
エヌを送って家に帰ると、悠斗はリビングで待ってましたとばかりに澪に話しかけた。
「姉ちゃんの彼氏、次いつ家に来るの!?」
「あの人、めっちゃゲームうまいよね」
「姉ちゃんよりうまいじゃん!」
興奮した様子で話し続け、日をまたいで母親に怒られるまでベッドに行かなかった。
(いつもは九時には寝る優等生のくせに)
そのとき、澪はふと思いついた。
(あたしも、【送信】できそうな気がする)
エヌとやり取りするなかで、声の【遮断】ができるようになってきた。
と同時に、力のコントロール方法がなんとなく、わかってきたのだ。
澪は寝ている弟の横に腰かけると、そっと頭に手を置いた。
(「起きろー」って【送信】したら起きるかな)
目を閉じ、弟の意識に同調する。
――すると、弟の考えている夢の中なのだろうか。
周囲にリビングの風景が広がって、ソファでゲームをするエヌと澪と弟自身の姿が映った。
(どんだけ楽しかったんだ)
澪は頬を緩めると、ふと思い立った。
エヌが『ドラゴンマスターズ』のゲーム世界の空の国のイメージ世界に連れて行ってくれたことを思い出す。
(あたしも、あれできないかな?)
リビングにドラゴンが現れて吠えたら、きっと驚いて目を覚ますはずだ。
エヌと乗ったスカイドラゴンを思い浮かべる。
すると――リビングに翡翠色のドラゴンが現れた。
ドラゴンは大きく口を開け、澪の声で吠えた。
《起きろぉぉぉ》
「わああああ」
澪は飛び起きた悠斗の勢いで、ベッドから転落して頭を打った。
飛び起きた悠斗は、姉を見て、呆然とつぶやいた。
「スカイドラゴンが、姉ちゃんの声で起きろって……」
「夢の話?」
澪はくすくす笑いながら、悠斗の頭をぽんとたたいた。
「おはよ」
同時にエヌに心の中で話しかけた。
(ねえ、あたし、こんなこともできたよ)
『――俺たちも、解散にしよ』
昨夜のエヌの言葉を思い出す。
(勝手に、解散なんかさせない)
――だって、エヌの心の声をあのとき聞けなかった。
(どういうつもりで、ああ言ったのか、確認してやるから)
『武藤の家へ【送信】するのは、ひと段落ってことで終わりにする』
昨日、別れ際のエヌの言葉を思い出す。
(あれは、口で言ってただけだ。――エヌはまだやるはず)
澪は立ち上がると、リュックを背負った。
「お母さん、今日、一ノ瀬君と約束あるから、出かけてくるね」
そう母親に声をかけて、家を出た。
◇
澪は武藤の家の前の土手に行った。
五月の終わり、初夏の風が吹き抜ける土手には誰もいなかった。
「……いない?」
澪は土手に座った。
(きっとエヌは、一人でここに来て何かするはずだ)
澪は土手に腰かけて待つことにした。
何もすることがないので、武藤家の心の声を聞こうと意識を傾ける。
エヌがいなくても、今では離れた距離の”声”が聞こえるようになっていた。
《まったく、理央もまゆみも、”呪いの声が聞こえる”なんて馬鹿らしい》
《なんで俺が洗濯や家事をしなきゃいけないんだ。まゆみのやつ、家を出て行きやがって。理央のやつは娘のくせになにもできない》
《やっぱり姉に比べて使えないな、理央は》
――これは、武藤の父親の声だろう。平日は日中ずっと家にいなかったので、武藤の父親には櫻井紗理奈の思念は【送信】していない。今日は休日なので家にいるようだ。
《私そんなひどいことしてないじゃん。なんで私だけ呪ってくるの? 倉橋や佐々木だって一緒にやったのに、なんで私だけ》
これは武藤の声だろう。
澪は【受信】を切ると、土手に腰かけた。
エヌは、どこまでやれば満足なのだろう。
――武藤が死ぬまで?
澪はぞくっとした。どうして、エヌはそこまでできるのだろうか。
櫻井紗理奈については、個人的な復讐も少し入っていそうだ。
でも常盤は? ――ただの正義感?
(どちらかというと、自暴自棄……?)
昼になってお腹が空いてきても、澪は紗理奈のSNSアカウントを開いた。
――自分だけで、櫻井の思念を【送信】して攻撃するほどのやる気はおきなかったが、この一週間ずっと紗理奈のことを考えて、紗理奈の思念を受信していたので、彼女のことが気にかかった。
そして、そこの投稿を見て、澪は目を見開いた。
『漫画が急に読みたくなって、“図書室”に行ってみた。百巻越えの漫画。じっくり読みたいな』
いつもと違う投稿。映っていたのは、澪が退院する時に寄付してきた漫画だった。
以前、紗理奈に『漫画でも読んだらいいのに』と心の中で勧めたものだ。
(偶然? ……でも)
紗理奈の入院する県立西病院の小児ストレスケア病棟にある“図書室”には大量の漫画があるはずだ。――その中から偶然、澪が勧めたものを手にとるだろうか。
(意識が、つながってる?)
一週間ずっと紗理奈の意識を【受信】し続けたことで、二人の間に意識のつながりができていたのかもしれない。
澪は、自分の考えが紗理奈に伝わった可能性をひらめいた。
(櫻井さんにできること……あるかも……)
澪は立ち上がって周りを見回した。
エヌの姿はなかった。




