29.帰路
澪とエヌは駅まで徒歩十五分の夜道を歩きだした。
夜二十一時過ぎの街は、夜風が涼しく、人通りも少ない。
こんな時間の外出は、いつぶりだろう。
澪は夜空を見上げた。
――今日は、満月だった。
不意に手を引かれる。
横を見ると、エヌも満月を見上げていた。
《……月が綺麗だな》
不意に頭にそんな心の声が流れてきて、澪もうなずいた。
《――うん。綺麗だね》
そう答えると、一拍の間のあと、エヌがぱっと手を離した。
《……いや、今のは、普通に綺麗だなって意味で……》
澪は首を傾げる。
《何が。満月だね、今日》
《――そう。うん。まあ、そういうこと》
エヌは髪を掻くと、澪の手をまた引いた。
駅までの道を、心の声を交わしながら歩いて行く。
《あんたの名前、一ノ瀬陽真っていうのね。なんで今まで隠してたのにあっさり名乗ったの》
《――怪しまれるの嫌だし。後々面倒じゃん》
《しかも、すごい都内のすごい進学校行ってるんだね》
《勉強はできるんだ》
《……お父さん、すごいエヌのこと気に入ってたじゃん》
《――俺も好きだよ、エムのお父さん。一緒に野球観にいきたいもん。球場に》
《え、ほんとに?》
《うん。弟も爺ちゃんも婆ちゃんも野球――っていうか、スポーツ全般見ないし》
《……あんたの弟は何が好きなの?》
《……なんか、エモい映画とかドラマとか、アニメ》
《ゲームとかやらないの?》
《んー、俺はやるけど、あいつはやらないかな》
《そう? 兄弟なら一緒にやりそうなのにね》
《……俺たち、一緒にやるのは難しいから》
澪はエヌの記憶に、病室のイメージを見たことを思い出した。
《あんたの弟、入院とかしてるんだっけ》
エヌは立ち止まった。
澪はエヌの心の壁に綻びを見つけて、手を握った。
イメージが流れ込む。
《“兄ちゃん”》
そうエヌの姿をした少年が、病室のベッドのカーテンを開け、エヌに呼びかける……?
《違う――》
病室を覗き込んでいる方がエヌじゃない。
ベッドで眠っている方だ。
その事実に気づいた澪は足を止めて、エヌを見つめた。
入院しているのはエヌ。“兄ちゃん”と覗き込んだエヌの姿の少年はエヌじゃない。
――じゃあ、今、あたしの隣で手をつないでるこのエヌは?
「……気づいた?」
満月を背後に、エヌが笑った。
《“一ノ瀬 陽真”は俺の双子の弟だ。――俺は、弟の身体を使わせてもらってる》
さらりと言われた言葉の意味を理解できず、澪はエヌの言った言葉を反芻した。
《“使わせてもらってる”って、どういう意味?》
《そのまんま。俺の本当の身体は、病院で寝てる。俺は弟の頭の中に“力”で同居してる――ってだけ》
エヌは肩をすくめた。
《普段は一日交代してるんだけど、今週はずっと俺だった》
《二重人格……?》
《違うよ。身体は別にあって、意識だけ、陽真の身体に来てる感じ》
《……そう》
澪は言葉を探して、ただそれだけ、うなずいた。
振り返れば、エヌの心の中の記憶やイメージの違和感が腑に落ちるところがあった。
例えば、櫻井紗理奈の言葉。
『一ノ瀬君はね、魚が好きな日と、から揚げとかハンバーグが好きな日の二種類があるの』
魚が好きな”一ノ瀬君”と、から揚げとかハンバーグが好きな”一ノ瀬君”がいることに、紗理奈は気づいていた。
魚が好きな”一ノ瀬君”は陽真、から揚げとかハンバーグが好きな”一ノ瀬君”がきっとエヌ。
紗理奈はそのことに自然と気づいた、唯一の存在で。
――だからエヌは、紗理奈を追い詰めた武藤 理央を許せないのだろう。
驚きというよりは、点と点が線でつながる感じだった。
《双子で能力者だと、そんなこともできるんだ》
澪はしばらく考えてから付け足した。
《……すごいね》
心の中で驚嘆の声を漏らすと、エヌは笑い声をあげた。
《……それだけ? エムらしいっていうか。もっと怖がったりするかなと思ったけど》
《いやまあ、あんた、いろいろ裏がありそうな感じだったから》
澪は自分の想像に少し笑った。
《実は世界的な秘密結社の一員で、命を狙われてるとかもあるかなって思ってたから》
エヌはふきだした。
《秘密結社て。なんのアニメ》
《いやでも、この沿線で、私とあんた、心読めるじゃん。ってことは、日本とか世界レベルだと、超能力ある人、結構いそうでしょ》
《――まあ、そういう計算になるよな》
《でしょ。ってことは、そういう組織もありそうじゃない》
《……まあ、あるかもな》
エヌは澪の手を引いて、歩き出した。
《……うん。言ってよかったよ。エムは俺の隠してること読み取ろうとしてくるし、それを防ぐのも、疲れてたから》
《何その言い方》
澪は頭に浮かんだ疑問を問いかけた。
《“陽真”は、あんたのやってること、知ってるの?》
《――あいつは、何も知らない。能力は俺の方が強いから、意識上では、あいつより俺が優位だ》
澪は、以前、エヌが弟の能力についてつぶやいた言葉を思い出した。
《そう。あいつ、何年やっても全然できなくて》
――つまり、陽真は。エヌが今動かしている弟自身は、そこまで能力を使えないということなのだろう。
《その通りだよ。俺の言ったこと、よく覚えてるな》
エヌは苦笑した。
それから周りを見回した。
――気づけば、駅前に来ていた。
《あとちょっとだけ……》
エヌは駅前広場の自販機を指差した。
「飲み物買うから、飲み終わるまで付き合ってくれる?」
「いいよ」
澪はうなずいた。
「エムもなんか飲めよ」
澪はミルクティーを、エヌはコーヒーを買って、広場のベンチに座る。
《今日は、楽しかった。本当に》
エヌは澪と手を重ねて、心の中でそうつぶやくと、手を離して、両手でコーヒー缶を持って、ぐいっと飲み干した。
それから、立ち上がって口で澪に言った。
「武藤の家へ【送信】するのは、ひと段落ってことで終わりにする」
「だから」とつぶやいて、エヌは澪を見つめた。
「――俺たちも、解散にしよ」
「え?」
澪は思わず飲んでいたミルクティーを落としそうになって、驚いてエヌを見た。
エヌは澪が呆然としている間に、空き缶入れに缶を投げ入れて、駅への階段を昇って行ってしまった。
澪に手を振りながら、声で言う。
「じゃあな。お父さんにちゃんと連絡して迎えにきてもらえよ」
「ちょっと――」
(まだ話したいこと、あるのに)
澪は集中して、エヌの心の声を聞こうとした。
――けれど、その間に、彼は階段をのぼり、改札階へ行ってしまった。
「待ってよ」
澪が追いかけた時には、エヌは改札の向こうに消えていた。




