28.距離
《……“愛されてる”》
エヌの言葉に澪は目を見張った。
あまりにストレートな言葉の表現だったから。
《愛されてるなんて言い方、普段使わないよ》
本や漫画の決め台詞で見るような、口に出すのが気恥ずかしい言葉だ。
《……そうか?》
エヌは首をすくめた。
《いいことだろ》
《……うん、まぁね》
なんだか気恥ずかしくなり、澪はソファの上で膝をかかえた。
第三者に言われると、あらためて実感する。
《確かに、あたしは、お母さんにもお父さんにも、愛されてる》
登校日に、同じ店でケーキを買ってきてくれた二人を思い出し、澪は胸の奥が痛くなった。
――後ろ暗さを感じた。
だって、あの日。
《あたしは、エヌと人をひとり、死なせてる》
今日だって。
《事件に巻き込まれたとか思って、お父さんもお母さんも会社早退して》
――やっていたことは、武藤の家を崩壊させることだ。
《――お前は、俺が巻き込んでるだけだろ》
エヌの低い心の声が意識に飛び込んできた。
顔を上げると、エヌは気まずそうに澪から手を離した。
《手をつないだり離したり、なんかこっちが照れてくるな!?》
――澪とエヌのやりとりなど知る由もない父親の素っ頓狂な心の声に、澪はソファからずり落ちそうになった。
《俺は邪魔か? ――いや、ここは我が家のリビングだ》
《なんだか、気まずいな。……とりあえず野球でも見るか》
父親はおもむろにスマホを取り出すと、野球をつけた。
『――ここでスリーアウトチェンジ! 宮上、おさえました!』
実況音声がリビングに響く。
「あ」とエヌが父親を振り返った。
「……勝ってますね」
小さなつぶやきに、父親は顔を輝かせた。
「一ノ瀬くん、野球、見るのかい?」
「……まあ、見ます」
「そうか。いや、昨日負けちゃったから、今日は勝って欲しくてね」
「――お父さんは、このチーム応援してるんすね。昨日は、宮上投手、調子悪かったですもんね……」
《お父さん……》
澪の父親は心の声を弾ませた。
《いや、一ノ瀬くん、野球見るのか。嬉しいな。――悠斗はゲームばっかりで、見ないからなあ》
父親の頭にエヌと一緒に野球場で野球観戦をする絵が浮かぶ。
《あああ、恥ずかしい……》
澪は頭を抱えて【受信】を遮断して、膝をかかえた。
「ははっ」と笑い声がして、ちらりとエヌを見ると、彼は面白そうに笑っていた。
「ただいま! あれ! お父さんも帰ってる!」
それからしばらくして、ランドセルを背負った弟の悠斗が帰宅した。
ばたばたとリビングに駆け込んできた悠斗は、エヌを見て停止した。
《なんか! カッコいいお兄さんがいる! 誰!!》
「悠斗、お帰り。お姉ちゃんの彼氏……の一ノ瀬くんが来てるから。あと夕食はピザをとってて、もうすぐ来ると思うわ」
「ピザ!」
《姉ちゃんの彼氏! ピザ!》
実際の声と変わらない素朴な心の声に、エヌは頬を緩めた。
《かわいいな、お前の弟》
《――でしょ》
澪は照れくさくなって、窓の外を見た。
◇◇◇
夕食の席は、賑やかだった。
澪の父親はビールの缶をあけて、いつもは飲まない母親も緊張のせいか一緒に飲んでいた。
ピザを食べた後、悠斗にゲームに誘われ、澪とエヌと悠斗の三人で、リビングでゲームをし、気づいたときには二十一時になっていた。
「……時間、大丈夫?」
さすがに遅すぎるのではと思った澪がエヌを小突くと、彼ははっと顔を上げて、時計を見た。
「……こんな時間か……」
それからぐるりとリビングを見回した。
一度視線を落として、また、見回す。
《帰らなきゃな……》
「そろそろ、帰ります。――遅くまで、ありがとうございました」
そう言って立ち上がったエヌにつられて、父親も立ち上がった。
「――駅まで車出すよ――って、駄目か、酒飲んだから……」
《もう少し一ノ瀬くんと話したいんだがな……》
エヌはふっと笑うと、頭を下げた。
「……歩くんで、大丈夫ですよ」
「お爺さんとお祖母さん、心配されてない?」
母親に聞かれて、エヌは首をすくめた。
「連絡入れたんで、大丈夫です。うち、放任なんで……」
《またいつでも来てもらっていいんだけれど。そこまで言うと厚かましいわね》
澪は呆れ半分に父母を見た。
《エヌ、すごい馴染んでるじゃん……》
《……楽しかった》
ぽつりと落ちた声に、澪は思わず顔を上げた。
エヌは澪の手を引いた。
《途中まで、来てもらっていいか?》
《……いいよ》
澪は父親と母親を見た。
「あたし、駅まで一ノ瀬くん送ってくね」
「――遅いしなあ」
父親は二人を見た。
《まあ、話したいこともあるだろう。二人っきりにしてやるべきだ》
それから、ひと息ついて澪に声をかけた。
「駅について一ノ瀬くん見送ったら、お父さんに電話しなさい。駅まで歩いて迎えに行くから」
《配慮が行き届いてるな》
エヌは面白そうに、つぶやいた。




