21.価値観
澪はエヌを見つめた。
温かに吹く土手の風が冷たく感じた。暑いはずなのに。
エヌの言い方は、まるで、明日にでも自分が死んで地獄へ行くような、そんな言い方だった。
《地獄とか、信じてるの?》
《――信じてるわけじゃないけど。死んだら、善人と悪人の行く場所は、違うとは思ってる》
エヌは澪の手を握った。
《そうじゃなきゃ、不公平だろ?》
それから、澪を見つめる。
《エムは、地獄とか、天国なんてないって思ってるな》
――思考を読まれている。
澪は苦笑して、心の中でつぶやいた。
《だって。誰が判断するの。天国か地獄かなんて》
よく、すれ違いざまに、心の中で《〇〇なんて地獄に行け》と悪態をついている人を受信することがある。地獄なんていうのは、そこに行って苦しめばいいと願うための逃げ道だ。
死んだら人は、心の声も消えて、ただ静かになるだけだ。
《エムの、そういう合理的な考え方、俺は好きだよ》
エヌは笑った。
澪はかっと顔が熱くなるのを感じた。
『好きだよ』という言葉が頭に反響する。
とっさに、思考の壁を作ることができなかった。
「……え」
自分でも間抜けな声が出たと思った。
顔を上げると、エヌが目を丸くしていた。
《……何よ》
心の中でようやくそう言うと、エヌは少し言いよどむように話を変えた。
《……エム、理系? 文系?》
《理系コースだけど……。いちおうね》
《そんな感じ》
《そう?》
《うん》
《……あんたは?》
《理系》
エヌは少し黙ってから、アウトドアチェアに寄りかかって空を見上げた。
《……工学部に行って、ロボットが作りたい》
頭の中に、宇宙を駆ける人型ロボットの姿が浮かぶ。
《あーーー、あんた好きそう》
思わず納得して、澪はうなずいた。
《そう?》
《うん。あんた、街歩いてるときも、工事現場のショベルカー見てるし》
《え、俺、そう?》
《自分じゃ気づかないのね》
手を繋いで街を歩いていると、たびたびショベルカーのショベル部分の画像が澪の頭に流れ込んでくることがあった。
《――あ》
エヌがスマホを見つめた。
紗理奈の投稿があったようだ。
澪は画面を見つめて、意識を集中した。
ずっと紗理奈の意識を探っているからか、紗理奈の思念の受信は、ここ数日でより鮮明になってきている。
《お前に行ける高校なんかないでしょ》
《最悪、身体使って稼げば》
《ちょっとぽっちゃりの方が、そういう仕事って男ウケがいいんだって》
めくられる制服。メジャー。
――そこでふっと力が抜けた。
エヌが武藤の家に【送信】をしたようだ。
《あの子! こんなことをやってたの!?》
《うるさいな! お母さんなんて、何にもできない馬鹿のくせに!》
武藤家で思考が錯綜している。
澪はエヌから手を離すと、頭を抱えた。
《櫻井さん、こんなこと、ずっと考えてるの?》
病院で、櫻井紗理奈はこんな思考に囚われ続けている。
《地獄でしょ》
澪は目を閉じた。
《『図書室』には行ったことあるのかな。私が置いてきた漫画もあるんだけど》
県西病院には、『図書室』と呼ばれる本や漫画がたくさん置いてある部屋があった。
入院中、暇な時間は澪は漫画を読んで過ごしていた。
父親が差し入れしてくれた、百巻越えの推理漫画を何周も読んで、退院するときは寄付のつもりで置いてきたのだ。
――あの漫画は、今も『図書室』にあるだろうか。
《櫻井さんも、読んでみたら》
そう呼びかけたところで、背中に手を置かれた。
エヌだった。
《……大丈夫か?》
本気で心配した声だった。
《――うん、まあ、問題ないよ》
澪は肩を持ち上げた。
《あたしの心配はしてくれるんだ》
《そりゃ、するよ……》
エヌは言いよどむと、付け加えた。
《エムがいないと、困るし》
それから、アウトドアチェアから降りると、ビニールシートを敷いた芝生の上にごろんと横になって、澪を見た。
《……エムも横になれば》
《――そうだね》
澪もエヌと少し間を空けて、シートに横になった。
後付けするように、言葉を足す。
《……ずっと座ってるのも疲れるし》
シートの下の芝生がふかふかとしていて、ベッドのようで、眠気が襲ってくる。
ちらりと横を見れば、エヌはバッグから何か本を出して、寝転がったまま読んでいた。
《ゲームの攻略本……?》
《そう。“ドラゴンマスターズ”の新作の》
エヌがごろりと澪の方に転がって、本を見せた。
雲でできた空の国を飛ぶ、いろいろなドラゴンのイラストが描かれてる。
《最近発売したんだっけ。――弟が欲しがってた》
確かドラゴンを集めて育てて戦わせるゲームだ。
澪はドラゴンの育成が面倒に感じてやっていないが、弟が熱心に前作をプレイしていたことを思い出す。
《あんた、やるの? ちょっと子どもっぽくない?》
《――まあ、俺がやるっていうより》
エヌは言葉を濁した。
《喜ばせたいやつがいるんだ。――イメトレしてる》
《イメトレ? なんの?》
エヌはじっと澪を見つめた。澪は思わず後ろに転がった。
《な、なに?》
《いや――エムなら、呼べるかもって……》
《どこに?》
エヌの手が、澪の手を握る。
《俺の頭の中に》
《――なにそれ》
《……来てみろよ》
エヌはいいことを思いついた、というように笑って、目を閉じて、言った。
澪は《――は?》と心の声を裏返した。
《いや、ほんと何? ――気持ち悪いんだけど》
エヌが目を開けて、口の端をあげる。
《――違うって》
《なにが違うのよ》
《“そういうこと”じゃないって》
エヌの考えを受信して、澪は思わず顔を伏せた。
《……死にたい》
《死ぬなって》
《……あんたは、夢の世界みたいのを作れるわけね》
エヌはうなずいて、起き上がりかけた澪の肩をシートへととんと押した。
《まず、寝てみろ》




