20.ピクニック
「風が吹くと涼しいね」
澪はエヌが持ってきた折り畳みのアウトドアチェアに座ってのびをした。
陽射しは暑いが、川辺の土手だからか、吹き抜ける風は涼しい。
「そうだな。あ、アイス食べる?」
横で同じように椅子に腰かけたエヌは、脇に置いたアウトドア仕様の保冷バッグを開いた。
中に凍ったパウチタイプのアイスが入っている。
「食べる」
澪はありがたくバッグからアイスをとると、口に入れた。
冷たさが身体に染みわたって、おいしかった。
食べ終わると、エヌが澪の手に、自分の手を重ねた。
《ひんやりしてる》
《ね》
心の声で会話してから、澪は空を見上げた。
《暑いよね》
《な》
《――お母さんとお父さんが、“昔はこんなんじゃなかったのに”って毎日考えてて》
朝起きるたび、澪の母親と父親は、そんなことを考えてる。
《お母さんたちが小さい頃は、夏のプールが水温低くて入れないことがあったらしいよ》
《らしいな》
エヌは心の中で笑った。
《俺の家は爺ちゃん婆ちゃんしかいないから。夏になると扇風機回して、縁側でスイカ食べてる記憶ばっか思い出してるよ、あの人たち》
《昔話じゃん》
澪も笑った。
《あんたのお爺さんとお婆さん、何歳くらい?》
《七十過ぎ》
《――ずっと家にいるの?》
澪は首を傾げた。
澪はほとんど登校しなくてよい通信制高校に在学中で、両親ともに仕事をしていて日中家にいないので、連続して昼間に家を抜け出して、エヌと土手にいてもいまのところ怪しまれてはいない。
でも、エヌは全日制の普通高校に通っているはずだ。
学校に行かずに毎日ここにいて、心配されないのだろうか。
澪の考えを読んだエヌが肩をすくめた。
《爺ちゃんは現役で働いてるし。婆ちゃんは家にいるけど、教会での奉仕活動やら、習い事やらで毎日出かけてるし。俺には放任だから、特に何も言わないよ》
《そうなんだ……》
《娘で過干渉して失敗してるからな。孫では同じような失敗をしないように、失敗から学んだんだよ》
《……ずいぶん、他人事な言い方だね》
《――俺にとっては、他人みたいなもんだから》
エヌの心にまた綻びがあった。
澪はそれをたぐりよせる。
過去の記憶だろうか。イメージが浮かんだ。
白い割烹着を着た女性が、トレイに紅茶とお菓子をのせて、ノートが並んだ学習机に持ってくる。
『お夜食よ。勉強頑張ってね』
穏やかな微笑み、優しい声。
けれど――
聞こえてくる心の声は、それとは反対のものだった。
《受験に落ちてしまえばいいのに。一人娘が勉強ばかりで一緒に出かけてもくれないなんて》
――その光景を受信した途端、さっと綻びが閉じられた。
《危ねぇー。だいぶ、心読んでくるじゃん!?》
顔を上げると、エヌがこちらを見つめていた。
けれど、顔はどこか嬉しそうだ。
《能力の使い方、うまくなってるな?》
《――そうだね》
この嬉しそうな様子は、自分と同じ能力が使える仲間が増えたことの嬉しさの笑顔なのだろうか。澪は複雑な気持ちでエヌを見つめた。
《今の、あんたの記憶じゃないよね》
お菓子を持ってきた割烹着の女性は、この記憶の持ち主を『一人娘』と言っていた。
《鋭いな。――俺の母親の記憶だよ》
澪は目を見開いた。
――そうだとは思った、けれど。
《自分の記憶みたいに、明確なんだね》
《――俺は、生まれた時から、この力を持っているから》
《生まれた時から?》
《そう。小さい頃はなんでも受信してたから》
エヌは遠い目をして、それから、ぴくりと身体を動かした。
それから、にっと笑う。
《武藤の家、そろそろ何か起きそうだぞ》
――そう。
こんなふうに土手にいるのは、武藤 理央を“攻撃”するためだ。
澪の頭の中に、エヌの受信した武藤の家の中の心の声が聞こえてきた。
《理央、学校に行ってくれないかしら。顔を見ると、怖いわ……》
《櫻井紗理奈って子の呪いじゃないかしら。――加藤さんに聞いたら、去年飛び降りたらしいわ。生きてるかわからないって……》
《呪うなら理央だけにしなさいよ!》
《気持ち悪くて学校行けない……家にいると、櫻井の呪いが来るのに……》
《お父さんは仕事、仕事だし! お母さんもご飯作ってくれないし! なんなのうち!》
《お姉ちゃんには連絡するなって言われるし……、お姉ちゃんのほうが大事なんだよね、結局》
《櫻井! 成仏しろよ!》
――病院に入院している紗理奈の思念を送信し続けて四日になる。
昨日から体調を崩した武藤は学校を休んでいる。
ずっと家にいる母親はより思念の影響が強く、寝込んで家事ができなくなっているようだった。
父親は帰宅が遅いのか、この四日、澪が土手にいる十七時までには声を聞いていない。
エヌと澪が送っている櫻井 紗理奈の思念は、「呪い」として認識されているようだった。
《――エヌは、どこまでやれば満足なの?》
澪はエヌを見つめた。
この攻撃の終わりは、いつなのだろうか。
《俺が“もういい”って思うまで》
エヌは肩をすくめると、澪を見つめた。
《――エムは、やめたくなったらそこまでで抜けていいぜ》
澪はうつむいた。
《――そうだね》
紗理奈の思考を受信するのは、正直負担感はあった。
けれど、何度も何度も受信しているうちに、澪は自分の意識が紗理奈の意識とつながっているような気になってきていた。
――まるで、紗理奈が武藤にされた経験を自分が直接されたかのような気持ちに。
だから。
武藤のことが、“許せない”という気持ちが沸き上がってくるようになった。
《だって、私は、武藤 理央みたいなことはしない。できないでしょ。だって私は相手の気持ちを【受信】しちゃうんだもの》
馬鹿だと罵られ、口に食べ物を詰め込まれる。
そんな気持ちを【受信】してしまったら。そんなことはできない。
――エヌも、同じなのだろうか。
人の「辛い」ばかり受信していたら。
人の「憎い」ばかり聞いていたら。
理不尽なことをする人間を、憎まずにいられるのだろうか。
《そんな高尚なことじゃないよ、俺は》
エヌの声が頭に響いて、澪はエヌが自分の今までの考えを読んでいたことに気づいてはっとした。
《俺は、できるだけ地獄に道連れにしてやりてぇだけだ》
澪は言葉に詰まった。
《……道連れ?》
エヌはふっと笑った。
《だって、俺だけ地獄に行くなんて、不公平だろ?》




