18.落差
《――学校、楽しくないの?》
《俺は疲れる》
《まあ、そりゃ疲れるか》
――こんな力があったんじゃ。
澪は肩をすくめつつも、エヌの言い方が頭にひっかかった。
《”俺は”? 他に誰かいるみたいな言い方》
《ま、とにかく。休んでも問題ない》
エヌはそう言ってのびをすると、芝生に腰かけて、鶏のから揚げにかじりついた。
《うまい……》
《そんなに?》
それから、澪を見つめる。
《俺がどれだけから揚げをうまいと感じているか、エムには伝えられそうな気がする》
《何それ》
エヌは「隣に座れよ」と芝生をたたいた。
澪が横へ腰かけると、手を重ねた。
「いくぞ」
がぶりとエヌの口がこんがりおいしそうな黄金色の衣にかぶりついた。
――瞬間、澪の頭の中に、なんともいえない感覚が染みわたった。
《うわ……なにこれ》
身体に足りないものが満たされるような満足感。
ずっと欲しかったものが得られたような、充足感。
《――退院した日に、連れて行ってもらったお寿司みたい……》
中学のとき、澪も紗理奈が現在入院している県西病院のケア病棟に三カ月入院していた。
退院する当日。澪は迎えに来た父親と母親に、回転寿司に連れて行ってもらった。
病院では、生ものは食事に出ない。
そのとき食べた回転寿司の寿司は、退院の解放感と、ずっと我慢してきたものを食べた満足感で、人生で一番おいしく感じた。
エヌはコンビニのから揚げで、それを感じていた。
《そう。エムにとっての退院した日の寿司が、俺にとってのこれなんだ》
《――いつでも食べられるじゃん。コンビニのから揚げなんて》
エヌは口角を上げた。
《いつでもって思ってると、いつか食えなくなるぜ》
《なに、その言い方》
澪はくすりと笑ってから、ごろりと横になった。
《なんか、でも、おかげでから揚げが食べたい気持ちになったかも》
紗理奈の意識の受信の影響か、脂っこいものを食べたくない気持ちになっていたが、エヌがあまりにおいしそうにから揚げを食べる感覚に上書きされて、食欲が湧いてきた。
「一個、やるよ」
エヌは声でそう言うと、澪の前にから揚げスティックが入った袋を出した。
「いいの? ありがと」
澪は一本もらって、ぱくっと口に入れた。
「おいしいー」
思わず口から言葉が出る。
エヌが笑って、心の声で言った。
《長丁場になりそうだし、あとでおやつも買いに行こうか》
澪は急に現実に引き戻された。
《そうだったね。――今は、あの家に、櫻井 紗理奈の記憶や感情を送ってるんだった》
五月の爽やかな河川敷でのピクニックと、やっていることの落差で頭がくらくらとした。
《――また、投稿があった》
エヌは澪に画面を見せた。
『今日のおやつは、カステラ。甘いもの食べたら、塗り絵の続きをしようかな』
その文字列の裏に、紗理奈の記憶がまざりこむ。
スイーツ店だろうか。トレイには、たくさんのお菓子が山のように乗せられている。
武藤 理央の言葉が、頭の中でエコーのように反響する。
《ねえ、食べ残したら、お会計、追加料金なんだって、このお店》
《櫻井さん、お金ないから払えないよね?》
《全部食べなよ》
胃が重たくなると同時に、すっとそれが抜けた。
エヌが武藤の家を見つめている。
《……また! なんなの……気持ち悪い……》
そのとき、エヌが身体を起こした。
《武藤が帰ってきたみたいだ》
家の中から聞こえる心の声が送られてくる。
《お母さんの顔がなんか青白いけど、どうしたんだろ?》
《怖い……理央の顔が怖い……どうして》
《部屋の中、汚っ。お母さん、吐いたの!?》
《嫌だ、嫌だ。この子の顔を見たくない……》
実際の会話は聞こえないが、状況はわかった。
紗理奈の意識を【送信】された母親は、理央に嫌悪感を抱いている。
あの家の日常が、狂い始めている。
《意外と、壊れるの早そうだな》
横でエヌが笑った。




