12.ファミレス
エヌが『来てくれ』と言ったのは、澪の住んでいるところから少し都心よりの沿線の駅だった。駅には駅ビルが連結しており、駅周辺には大きな総合病院や商業施設がある、日中でも賑わっている駅だった。
人との距離が近い。澪は耳にヘッドフォンをはめ、アップテンポの曲を流しながら、駅ビルのファミレスに向かった。
「こっち、こっち」
店に入ると、パーカーにジーンズ姿のラフな格好のエヌが手を振った。
「――お待たせ」
席に座ると、いつものように、自然に手が重なった。
《学校、大丈夫なのか?》
《通信で授業再生して課題やるだけだから。夜やればいいし》
心の声で会話ができることに安堵を感じて、澪は驚いた。
――最初の頃は警戒していたのに。
今は、何も隠さずに、すらすらと意思疎通ができることに安心感さえ感じる。
そんな澪の心の声を【受信】したのか、エヌはつぶやいた。
《エムと話すの、俺もすごい楽だよ》
《あたしは、あんたのこと、何も知らないけどね。――名前くらい、いい加減教えてくれてもいいんじゃない?》
《――エヌ》
エヌは視線を落として、答えた。
《だからっ、本名!》
《――名前なんか、ないよ、俺に》
澪は固まった。それは取り繕わない本音の声だったからだ。
しばらくの沈黙のあと、澪はぶっきらぼうに言った。
《――いいよ。教えてくれないなら》
エヌは苦笑すると、澪に聞いた。
《で、何で来てくれたんだ?》
《だって、電話じゃ話をするのが大変なんだもん》
澪はエヌを見つめた。
《次にやりたいのって、誰なの?》
澪の頭に、セーラー服をきっちりと着た礼儀正しそうな女子生徒の顔が浮かんだ。
エヌが【送信】したイメージだった。
《武藤 理央。俺たちと同学年の高二。県南高校に行ってる》
《進学校だね……》
澪はつぶやいてから、エヌを見た。
《この武藤 理央って子、何したの?》
澪の頭に違う女子生徒の姿が【送信】されてきた。
先ほどの武藤理央と同じ制服を着た少女。――武藤とは違うタイプで、茶色い髪に、メイクをしたぱっちりした瞳が印象的なかわいい女の子だった。
《こっちは、櫻井 紗理奈。中学から、県西病院の児童精神科のストレスケア病棟に入院してる》
《県西病院――あたし、そこに入院してた》
澪の記憶が蘇った。白い天井、整えられたベッド。
エヌが目を見開く。
《――エムも、入院してたのか?》
《うん。あたしは、三カ月くらいだったけど》
心の声が聞こえ始めた中学二年のとき。
学校でパニックを起こした澪は耳を押さえて上履きのまま外に飛び出し、車に轢かれた。
幸い軽症だったが、錯乱した様子から、救急車で運ばれ、そのまま精神科に入院になった。
《――エムも大変だったんだな》
《まあ。――でも、入院してよかったよ。それで、少し落ち着いたから》
両親がストレスケア病棟に入れてくれたので、ホテルのような個室でゆっくり過ごすことができた。近くに寄ってくるのは数名の医療従事者だけで、彼らはみんな、教室の同級生のような頭に響くような思考はしていなかった。三カ月の入院で、澪は、自分の力と少しだけ折り合いをつけることができるようになった。
《そうか。――どんな病院だった?》
《―――私が入院していたときは、良い病院だったよ。綺麗だし、スタッフさんも優しかったし。落ち着いて過ごせた》
エヌは大きく息を吐いた。
《そうか。――良かった。櫻井も、それなら、少し落ち着いて過ごせるかな……》
そう言ってから、エヌは澪にスマホ画面を見せた。
《これ、櫻井のアカウントなんだ》
『さり。入院中』
というユーザー名のSNSが映っている。
サムネは綺麗に塗られた、花瓶に生けられた花の塗り絵。
ステンドグラスのようなデザインの、大人向けの塗り絵だ。
澪には見覚えがあった。
入院していたとき、澪も作業療法で同じ塗り絵を塗った。
ゆっくりと画面をスクロールする。
ストレスケア病棟では、スマホの使用は、ある程度許可されている。
彼女は、頻繁に日常的な内容を投稿しているようだった。
コメントや返信は受け付けず、自分の投稿だけを更新している。
『これからリハビリ~! きれいに塗れた! もうすぐ完成』
そんな言葉とともに、塗りかけの塗り絵の画像が添付されている。
ポン! という音とともに、投稿が更新された。
『完成しましたっ! 綺麗に塗れた~!』
完成した塗り絵の画像が澪の目に飛び込む。
――と同時に、その投稿の向こう側にある感情が、流れ込んできた。
《死にたい》
《ここから出たら――今度は、飛ぶんだ》
《高いところ――どこか、空が見える……》
イメージが浮かぶ。
這いつくばる自分を上から見下ろす、ゴミを見るような目。
甲高い笑い声。
踏みつけるように持ち上げられる足。
――それをする優等生然とした少女は、武藤 理央だった。




