第38話 「執行官」
金曜日の朝。
週末の、どこか浮かれた雰囲気のざわついた廊下の途中、ドロシーはトレイス教諭を見かけて呼び止めた。
「トレイス先生!」
トレイスはどこかへ急いでいるような様子であったが、しっかりと足を止めてドロシーの方を向いた。
「どうしましたか?ドロシーさん。ああ、すみませんね。月曜に続き、今日の授業も自習ということになってしまいました。また急な出張が入ってしまって・・・。学年末が近いのに皆さんに申し訳ないです。」
急いでいる理由は、その出張に向かうためなのだろうと察して、少し遠慮を感じながらも、ドロシーは聞いた。
「いえ、授業のことじゃなくて・・・。今週、スタン君を全然見かけないんですけど、彼、どうかしたんですか?先生は何か知ってます?」
ドロシーの目的は、スタンよりもマリアと話すことだったが、さすがに今週1度も見かけないとなると、少し心配になっていた。
「ああ、彼はですね・・・。実は、御家庭の事情で引っ越しの予定があるそうで。詳しい話は私も知りませんが、欠席しているのは、その準備のためではないでしょうか。」
無論、それが嘘であることはトレイスが一番よく分かっている。彼自身もスタンを探しているのだから。しかし、引っ越しの予定があることは本当だ。
「え?そんなこと全然言ってなかったのに・・・。」
「私も驚きました。お父様のお仕事の都合で急に決まったようですね。寂しいことです。」
これもまた、トレイス自身が嘘だとよく分かっている。実は父の転勤も、職場の「調停者」が手を回したために決まったことだった。全ては彼らの手筈通りのはずだったのだ。スタンが逃げ出すまでは。
「そうですか・・・。ありがとうございました。」
釈然としない表情ながらもドロシーは礼を言って離れていった。トレイスも踵を返し、校内の駐車場へ急ぐ。生徒に上手に嘘をつく自分を、トレイスは好きになれない。彼がそれでも「調停者」の仕事を続けているのは、それが社会のためになると信じているからだ。
駐車場に着いたトレイスは、そこに止められた黒いステーションワゴンの助手席に乗り込む。車には、運転手をふくめ、2人の男が待っていた。
「遅いですよ。『調停者』たるもの、時間には正確でなければ。」
後部座席に座った男が冷たく言った。
「申し訳ありません。お待たせして・・・。自習をさせる準備や、生徒に呼び止められていたので・・・。」
トレイスは弁解するが、後部座席の男はなおも厳しい。
「表の顔も完璧に調整してこその『調停者』です。この地域の主任担当官ならば、もっと自覚を持ちましょう。それだけ重要な、誇り高い仕事を我々はしているのです。」
「はい・・・。申し訳ありません。『執行官』殿。」
嫌な汗をかきながらトレイスは謝罪する。
「まあ、指導的な言葉はここまでで良いでしょう。今回の件は誰にとっても予想外でしょうからね。まさか高校生が高性能なAIを自作するとは・・・。」
後部座席の男は、少し雰囲気を崩して言った。トレイスも少し安堵の息をつく。
「ええ。もともとPC技能に関しては優秀な生徒でしたが、本当にまさかです。今もどこにいるのか・・・。」
「それを見付け、処分するのが私の仕事です。安心して引き継ぎをお願いします。」
「処分」という言葉にトレイスの顔が曇る。
「あの、『執行官』殿。彼はまだ子どもです。あまり厳しい方の処分は・・・。」
「執行官」の厳しい「処分」がどういうものか、トレイスは知っていた。教師として、どんなに愚かなことをしたとしても、子どもの命が奪われるのは抵抗があった。
「今後の調査と、追跡の結果次第ですね、それは。残念ですが、我々は職務に忠実に行動するのみです。」
後部座席の男はあくまで淡々と言い放つ。トレイスは口を噤むしかなかった。
「ああ、それと。」
男はまた柔らかい雰囲気で言う。
「いつまでも『執行官』殿では、他人行儀ですから。私はオットー・ブルックス。よろしくトレイス調停官。」




