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第29話 「調停者」

 月曜の学校。

 ドロシーは週末のアニメの内容を思い出しながら、うきうきと廊下を歩いていた。級友スタンのガールフレンドのマリアと、最新話について語らうのが楽しみだったからだ。だから、スタンを見付けたら、マリアとの通話の約束を取り付けようと思っていた。

 しかし、休み時間に姿を探しても彼はいない。

「どうしたんだろ?スタン君。休みかな?」

 はっきり言えば、彼女にとってはスタンはあまり重要でない。同好の士であるマリアとの会話ができることが重要だった。しかし、スタンがいなければそれは叶わないのだ。

「あーぁ・・・。マリアちゃんの個人アドレス、聞いとけば良かったなあ・・・。」

 がっかりしながら次の物理の教室に向かう。

 教室に入ると、友人達がいつになくリラックスしてわいわいと話していた。

「どうしたの?みんな。」

 ドロシーが近くの友人に聞くと、友人は

「今日はトレイス先生、急な出張で自習だって!よかったよー。私、課題終わってなくてさ。」

と答えた。

 ドロシーも物理は苦手な方だったから、うれしくなって友人達の会話に加わった。彼女たちはスタンの現状も、トレイスの正体も知らない。いつも通りの賑やかな学校の風景が営まれている。

 


 そこは一見すると、ただの省庁ビルだった。出入り口をやや堅い出で立ちの人々が往来している。中の役所に勤める公務員がほとんどだろう。その中に暗澹とした表情のトレイス教諭がいた。

 彼はビルに入ると、関係者以外立入禁止の扉を開け、入っていく。しばらく狭い廊下を進んだ先にエレベーターが現れた。このエレベーターは一般のものとは違い、地下の特別階に通じていた。

 覚束ない手つきで目的階のボタンを押し、エレベーターが動き出す。トレイスがここに来ることは普段あまりないのだろう。

 彼が今日ここに来ているのは、彼の上層部からの呼び出しのためだった。それほどまでに重大な事態であることは、彼もよく分かっていた。


 やがてエレベーターは停止し、少し廊下を進んだ先にある扉の前にトレイスは立つ。深呼吸をした後にノックをし、緊張しながらドアを開けた。

「失礼します。ウォーターフィールド地区主任担当官のトレイスです。出頭命令を受け、参上しました。」

 トレイスは目の前のデスクに座る老人に丁寧に述べた。

「やあ、よく来てくれた。それでは詳しく話を聞こうか。」

 老人はゆったりと穏やかな語り口でトレイスに促した。トレイスは資料を出し、新しく重要追跡対象となった少年について説明する。もちろんスタンについてである。


 スタンについての説明を一通り聞き、老人は静かにトレイスに問いかけた。

「なるほど・・・。君の立場からすると、彼は大切な教え子な訳だね。そこに何らかの甘さが発生してしまった自覚はあるかね?」

 語尾に一瞬厳しさが垣間見え、トレイスは背筋を伸ばす。そして慎重に自己分析を述べた。

「自分としては、これまでの全てのケースと同じように対処したつもりです。しかし、あまり厳しい処分にならないように済ませてやりたいという思いがあったことは確かです。それが、『せいぜい会話らしきものができる程度だろう』という甘い想定と、それによる逃走を招いた可能性があります・・・。」

 トレイスが言い終わると、老人は立ち上がり、トレイスの肩を叩いた。

「誠実に自己分析できているじゃないか。我々は見守る神のいなくなった世界の番人だ。そうでなくてはいかん。引き続きウォーターフィールドの主任担当官として通常の監視活動を続けてくれ。」


 老人はにこやかに言うが、トレイスにとっては、苦い言葉でもあった。スタンの件が完全に自分の手を離れ、彼が最も厳しい処分の対象となることを止める術はなくなったことを示していたからだ。

「後は安心して、重要ケースのエキスパートに任せたまえ。」

 その事実を念押しするように、老人は言った。

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