薬の試運転と、3人の朝
【薬の試運転と、3人の朝】
翌朝。
ニーヴから渡された薬瓶を、ベッドの上で開けた。
指輪の負荷を減らす薬。3日後から飲み始める予定だったが、ニーヴが「原料が早く届いた」と言って、昨晩渡してくれた。
1日早い試運転。
濁った白い液体。匂いを確認した。薬草の青い匂いと、わずかに金属的な香り。
1滴を舌の上に落とした。
苦い。それから——わずかに甘い後味。
あたしは——左手の指輪に意識を向けた。
いつもの圧縮感。魔力が指輪の制約を通って身体を流れる感覚。
1分。2分。
変化は——緩やかだった。
指輪の周りの「圧」が、ほんの少し、緩む。完全に消えるわけじゃない。1割か2割、軽くなった感覚。
その代わり、手足に薄い気だるさが広がる。眠気じゃない。だるさ。
「効いてる」
あたしの声が言った。誰もいない部屋の中で。
でも——薄壁の向こうから、ニーヴの返事が来た。
「やっぱり起きとったか」
「あなたも早い」
「うちはいつもや。——効き方、どう?」
「圧が1〜2割減。気だるさ、軽い。動ける範囲」
「そうか。記録しとく」
ニーヴの部屋から、ペンの音。記録している音だ。
あたしも、自分のノートに今の感覚を書き留めた。
1時間後。
気だるさは、少しずつ消えていった。指輪の圧迫感は元に戻った。1滴では持続時間は短い。1日に何回飲むかは、これから調整。
部屋を出て、ニーヴの部屋を覗いた。
ニーヴはもう、薬瓶整理を終えて、髪を結び直していた。長い金緑色を、ハイポニーテールにまとめる。結び目に黒いリボン。
昨日と同じ姿。フリル付きの深緑のベスト、白い詰襟ブラウス、黒いリボンタイ。
令嬢風の朝。
「飲んだ後の感覚、もうちょい聞かせて」
「圧の減少感は——指輪を外した時に近い。でも、桁が全然違う。あの時は10分の1。今回は1〜2割」
「ちょうどええ。完全に外れると、あんたもたん」
「わかってる」
ニーヴが、ベルトハーネスは装着していなかった。
今日は——調合の予定がない朝。
1階の食堂に降りた。
シオンが、もう厨房を借りていた。朝食を作っている。3人分。
今朝のメニュー:野菜とハーブのスープ、チーズオムレツ、香草のパン、ピクルス2種。
「シオン、薬の調子は?」
「あ、昨夜は熱出ませんでした。ニーヴさんの薬、すごいです」
「すごくない。仕事や」
ニーヴが、無愛想に返した。
シオンが、慣れたように笑った。
あたしは、3人で囲むテーブルを見ていた。
数日前まで——2人だった。今は3人。
計算上、1人増えただけ。でも、テーブルの上の食器の数、配膳のリズム、会話の重なり。全部が少しずつ違う。
ニーヴが、オムレツに塩を多めに振った。
「あんた、塩強め?」
「強め。薄味は信用せん」
「シオンの料理、ちょうどいい味付けなんだけど」
「これはええ味付けや。せやから塩を足すのは好みの問題」
「好み」
「うちは強い味が好きや。薄味も認めるけど、自分には強い方が合う」
ニーヴが、もう一口。
「うっま」
3度目の「うっま」だった。3食連続で言っている。
シオンが、嬉しそうな顔。
食事の後、お茶を飲みながら、今日の予定を3人で確認した。
「午前中はノートまとめと薬の追加調整」
あたしが言った。
「午後は——ゴルドの店に行く。あなたを紹介したい」
「ゴルド?」
「素材屋。あたしたちの取引先。素材の鑑定と買取をしてくれる。あなたの薬瓶設計の相談、できると思う」
「鍛冶じゃなくて?」
「鍛冶は——ミクトが来てから。ゴルドは素材専門。でも、薬瓶のガラスとかは扱えるはず」
「ええな。行こう」
シオンが、お茶のカップを置いた。
「夕方は——リィナさんと第5階の入口の予備調査をする予定でしたよね?」
「そう。中までは入らない。入口の応急封印の状況確認と、周辺の魔物の状態」
「準備、しときます」
「頼む」
3人で、午前中の作業に取り掛かった。
あたしのノートに、今朝の薬の効果を詳しく書き留めた。
1滴の持続時間、副作用、体感の変化。
数値化できないものを、文字で残す。
ふと——ペンを止めて、薄壁の向こうの音を聞いた。
シオンの部屋では、剣の手入れの音。
ニーヴの部屋では、薬瓶の整理の音。
別々の作業。でも、同じ建物の中で、同じ時間に動いている。
その不思議さを、あたしは——少しずつ、慣れていっていた。
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