夕暮れの薬瓶と、カイのこと
【夕暮れの薬瓶と、カイのこと】
夕方。
安宿の食堂は、まだ人がまばらだった。あたしとシオンとニーヴ、3人で隅のテーブルに座っていた。
夕食はシオンがまた作る予定。準備中。
あたしたちは、お茶を待っていた。
ニーヴが、自分の手のひらを、じっと見つめていた。
左手の薬指。指輪はない。爪は短く切られている。指先は薬品焼け。
「——カイの話、もうちょいするわ」
ニーヴが、ふと、言った。
あたしとシオンは、お互いを見て、それから、ニーヴを見た。
「うちが17歳の時や。パーティ組んどった。リーダーはファルダって男。鉱物商で副業の冒険者。前衛はカイ。19歳の男や。それと、うち」
「3人パーティ?」
「3人や。海底洞窟ダンジョン専門。海産素材の採取と、毒物の研究」
ニーヴが、お茶を一口飲んだ。
「ある日、依頼でいつもより深いところまで降りた。海底洞窟の第5階。普段は第3階までしか行かん場所や」
あたしの中で、計算が止まった。
第5階。あたしたちが、深層種を倒した階と同じ。
「そこに、深層種がおった。種類は——いまだに何かわからん。記録にない個体」
「うちらは戦った。ファルダが指示出して、カイが前衛、うちが後衛で薬を投げた。倒したで。15分くらいや。けど——カイが最後の一撃を入れた時、深層種の尾撃を喰らった」
ニーヴの目が、お茶の表面を見つめていた。
「内臓損傷。腹に深い裂傷。すぐ薬を塗った。止血した。縫った。けど内臓の傷は表からじゃ縫えん」
シオンが、息を呑む音。
「魔法ヒーラーがおれば治せた。けどうちらのパーティに魔法ヒーラーはおらん。うちは——魔法が使えへん」
あたしは、黙って聞いていた。
「3日もった。3日間、薬で痛みを抑えて、点滴で水分を入れて、必死で生かそうとした。けど4日目の朝に——息をしてへんかった」
ニーヴが、お茶を、ぐっと飲んだ。
「最期の言葉は『ありがとう』や。前日、まだ意識があった時にうちに言うた。『ニーヴ、ありがとう。ここまで頑張ってくれて』。——うちは、何も返さんかった。返せんかった」
部屋の中、シオンが、静かに、涙を拭いた。
「うちはその日から『ありがとう』が苦手になった。患者から『ありがとう』言われるたびに思い出す。間に合わんかった日。最期の声」
「だから——」
あたしの声。
「だからシオンを救った時、『ありがとう、はあかん』と」
「そうや」
「そして、間に合いたい」
「そうや。——カイの『ありがとう』を上書きしたいんかもしれん。次は間に合ったって自分に言い聞かせるために」
あたしは、何も言わなかった。
シオンも、何も言わなかった。
しばらく、3人で、沈黙していた。
ニーヴが、お茶のカップを、ことん、と置いた。
「ファルダはどうなったの」
あたしが、聞いた。
「あいつは半年後にパーティ解散して、商人専業に戻った。今もカルタレスで商売しとる。たまに手紙くれる。『おまえのせいやない』って書いてくれる」
「優しい人」
「うん。けど優しさで救えるもんは限られとる」
ニーヴが、ふっと、息を吐いた。
「——シオン」
「はい」
「あんたは、生きる」
ニーヴの声が、ふと、低くなった。
でも、低い中に、決意があった。
「あんたの紋様、5年もたん言うた。けど世界中のダンジョン回って根源の手がかり集めれば——5年で治療法見つかるかもしれん。うちはそれに賭ける」
「ニーヴさん——」
「シオン」
ニーヴが、シオンの目を、まっすぐ見た。
「『ありがとう』言わんでええ。代わりに生きて。それがうちへの一番の返しや」
シオンが、頷いた。
涙が、もう一筋、頬を伝った。
でも、笑った。太陽みたいに。
「はい。——生きます」
あたしも、自分の左手の指輪を、見つめた。
5年。
あたしも、生きる。
今度は、ニーヴと、シオンと、3人で。
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