3人の朝と、隣の薬瓶
【3人の朝と、隣の薬瓶】
翌朝。
薄壁の向こうから、シオンの寝息——いつもの穏やかな寝息に戻っていた。
その向こう側、もう1枚薄壁を隔てた部屋から——別の音が聞こえる。
ガラスがカチャ、と整列する音。試薬管の擦れる音。早朝から起きている人間の音。
ニーヴ。
あたしは、自分の部屋でベッドの縁に座って、その音を聞いていた。
昨日の真夜中、シオンを救った薬師が、今は隣の部屋で——たぶん、調合の整理をしている。
まだ夜明け前。
窓の外、谷の上層の建物群が、薄い藍色の中にぼんやり見える。
「——起きとるんか」
ニーヴの声。壁越し。
あたしは少し驚いた。気配が感じられたのか。
「起きてる」
「あんたも早いな。寝てへんの?」
「寝た。あなたが早い」
「うちはいつもこの時間や。薬瓶の整理は人が動かん時間に限る」
壁越しの会話。シオンの部屋を挟んで。
不思議な距離感だった。
あたしはベッドから立ち上がって、ジャケットを羽織った。深紅のショートジャケット。袖まくり。
部屋を出ると、廊下にはまだ誰もいない。
ニーヴの部屋のドアが、半分開いていた。
「入ってええで」
顔は見えないのに、入る前に声がかかった。
あたしは中を覗いた。
ニーヴが、床に薬瓶を並べていた。30本以上。色も大きさもバラバラ。
その隣に、昨晩のフリルベストが——綺麗にたたまれている。今は、白いブラウスとスカートだけ。袖は捲ったまま。腕の細かい火傷跡が、ろうそくの光で見えた。
「整理?」
「シオンの薬の配合を決め直す。昨夜のは即席や。今のうちにもうちょい安定したやつ作る」
ニーヴの長い髪——淡い金緑色——は、寝起きのまま少しほつれていた。ハイポニーテールではなく、首の後ろで雑にまとめている。
その姿は——昨日の上品な令嬢風と、別人みたいだった。
「あなた、髪、長いね」
「邪魔やで。けど切るのもめんどい」
「ポニーにする時のリボン、特別なもの?」
「ただの黒いリボンや。何で?」
「丁寧に結ぶから」
ニーヴが、少しだけ手を止めた。
顔を上げて、こちらを見た。
「あんた、人の見るところがおかしい」
「観察が、仕事の一部」
「うちもや」
ニーヴが薬瓶を1つ手に取って、揺らした。透明の液体。
ろうそくの光に透けて、きれいに見えた。
「あんたの指輪の負荷を減らす薬、考えとる。完全には無理やけど。微量を毎朝飲ませる」
「副作用は」
「気だるさ。1〜2時間程度。朝の活動には影響ないはずや」
「いつから飲める」
「3日後。今、原料の調達待ち」
あたしは頷いた。
3日後。技術顧問が来る予定の日。
ニーヴが、薬瓶を床に戻した。
「で、朝飯どうする」
「シオンが作る」
「あの子、何でも作るんか」
「何でも作る。下手な物は出てこない」
「ええなあ」
ニーヴが、しみじみと言った。
あたしは——少し笑った。声を出さずに。
薄壁の向こうから、シオンが起き出す気配がした。あくびの音。布団がめくれる音。
3人の朝が、始まろうとしていた。
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