日常の更新と、小さな厄災とその相棒
【日常の更新と、小さな厄災とその相棒】
「シオン。左足の踏み込みが浅い」
「はい——こう?」
「もう5センチ。——そう。角度は?」
「30度——」
「35度。あたしが教えたでしょ」
「はい! 35度!」
ダンジョン第1階。朝の浅層巡回。
銀ランクの権限で第3階まで。シオンも銅ランクになったから、第2階まで同行できる。今は弱い魔物相手の実戦訓練を兼ねて狩りを進めている。
——パーティ「符号なし」の登録から、3日目の朝。
素直すぎる。教えたことを即座に修正できる。そこがシオンの強みだ。
身体の反応速度は——明らかに以前より速い。紋様の活性化以降、シオンの身体能力は着実に向上している。まだ鉄ランク並みの基礎体力だが、反射と判断の速度が銅ランクに追いついてきている。
昼。安宿に戻って、シオンの弁当。
今日は——鶏の香草揚げ弁当。リィナが来た。
「おう。香草揚げか。——1個もらっていい?」
「どうぞ!」
「礼を言う前に3個取るな」
「2個だ。——3個目はこれからもらう」
3人で弁当を食べた。
リィナが情報を持ってきた。ダンジョンの最新状況。
「討伐隊が第5階の亀裂を調査した。——塞ぐ方法はまだ見つかっていない。でも、亀裂の周囲に応急的な封印を施した。ギルドの研究チームが来て」
「応急封印。——どの程度の効果?」
「漏出量が3割減ったらしい。完全じゃないけど、深層種の新たな発生は抑えられる」
「3割。——時間稼ぎにはなる」
「問題は——エルドヴァレスだけじゃないってことだ。世界中のダンジョンで同じことが起きてる。全部に対処するには——」
「圧倒的に人手が足りない」
リィナが頷いた。
「ギルド本部が、各地の支部に調査チームの派遣を始めたらしい。——イグリット、おまえにも声がかかるかもしれない」
「たぶん、来る。あたしの分析力が——」
「売り込み上手だな」
「事実を言っただけ」
午後。訓練場でシオンと稽古。
リィナも参加した。3人での模擬戦。リィナが仕掛けて、シオンが受けて、あたしが援護。
シオンの動きが——また変わった。昨日教えたフェイントを、もう実戦レベルで使っている。
「——おい。あの兄ちゃん、昨日教わったばかりの技を使ってないか」
「使ってる。——成長速度が異常だ」
「異常っていうか——才能か」
「才能だけでは説明できない。——でも、努力と才能の相乗効果だと思えば、辻褄は合う」
合う。表面上は。裏の理由——根源適合——は、あたしとリィナだけが知っている。
稽古の後。3人で汗を拭いている。
「イグリットさん。——僕、もう少しで、イグリットさんの一撃を避けられるようになりそうです」
「3年早い」
「3年——じゃあ、3年後には——」
「3年後に考える」
シオンが嬉しそうにした。3年後、という言葉に。一緒にいる前提の言葉に。
夕方。ゴルドの店で素材を売った。
ダンジョン浅層の素材と、先日の街道素材。合計——8420レイド。折半して4210レイドずつ。
「8420を2で割ると——4210。端数なし。綺麗に割れた」
「『符号なし』なのに、割っちゃいましたね」
「……シオン。今のダジャレか」
「えへへ」
「殴っていいか」
「すみません」
ゴルドが「はいはい」と言った。もう慣れたらしい。
前は全額あたしの取り分だった。今は——半分。
半分になったのに、収支以上の何かが増えている。
計算には載らない、変数の方が。
冒険者街を歩いた。夕暮れ。
すれ違う冒険者が、あたしたちを見ている。
——その中に、噂話とは違う種類の視線が、たまに混ざる。気のせいかもしれない。
「——あれ、『小さな厄災』だろ」
「パートナーの兄ちゃん、銅ランクだって? 深層種の討伐に関わったらしいぜ」
「マジか。鉄から3ヶ月でか」
噂が広がっている。「小さな厄災とその相棒」。あたしたちの存在が、冒険者街に知られ始めている。
「——有名になっちゃいましたね」
「目立ちたくない」
「でも、かっこいいですよ。『小さな厄災とその相棒』」
「小さいは余計」
「それ、いつも言ってますね」
「いつも余計だから」
安宿に着いた。
シオンが自室に、あたしが自室に。隣の部屋。壁が薄い。
ベッドに座った。
左手の指輪を見た。黒い指輪。はめ直した指輪。
8年間、枷だった。今は——選択だ。
外しても消えないとわかった上で、自分の意志ではめている。制限は必要だ。全力を常時開放したら、身体がもたない。
でも——いつでも外せる。必要な時に。
壁の向こうから、シオンの鼻歌が聞こえた。何の歌かわからない。音痴だ。
あたしは——笑った。声を出さずに。
日常が、更新されている。
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