「割に合わないから」と、星の下の告白
【「割に合わないから」と、星の下の告白】
「シオン」
「はい」
「——アウレクスの話。ヴァルディスが来た時の」
「はい」
「あの時——2つ目の提案。あなたを『保護』するという話。断った」
「聞いてました。——イグリットさんが断ってくれた」
「断った理由を——あなたに言ってなかった」
シオンが横を向いた。あたしの顔を見た。
「ヴァルディスの提案は、合理的に見れば——悪くなかった」
「え?」
「アウレクスの研究チームには、設備がある。資金がある。あなたの紋様の正体を、あたしより早く解明できる可能性がある。安全面も——組織の方が個人より保護能力がある。合理的に考えれば」
「でも、断ったんですよね」
「断った」
「——なんで」
あたしは星を見た。光の点が、いくつも瞬いている。
「割に合わないから」
シオンが——止まった。
「アウレクスに戻ることと、あなたの隣にいること。天秤にかけた。——計算した」
「……計算したんですか」
「した。金ランクの待遇。調査チームの設備。情報アクセス権。全部足した。——あなたの隣にいることの価値と、比較した」
「それで——」
「計算するまでもなかった」
シオンの呼吸が止まった。
「アウレクスに戻ることが——割に合わない。あなたの隣にいることと比べたら。報酬も設備も情報も——全部足しても、足りない。あなたの弁当1つの方が、価値がある」
「弁当——」
「弁当は比喩。——いや、比喩じゃないかもしれない。あなたのハーブ焼きは本当にうまい」
シオンが笑おうとして——笑えなかった。目に涙が浮かんでいるから。
「あたしは——3ヶ月前、全部を合理で処理するつもりだった。損得だけで動くつもりだった。感情は変数。計算に組み込めないものは無視する。そうやって生きるつもりだった」
「……」
「でも、あなたがいた。計算外の変数。最初から最後まで、あたしの計算を壊し続けた」
風が吹いた。冷たい。シオンの髪が揺れた。白い一房が、月明かりに光った。
「『割に合わないので、辞めます』——あたしがアウレクスを辞めた時の言葉。あの時は、アウレクスが割に合わないから辞めた。合理的な判断」
「はい」
「でも——今は意味が違う。割に合うかどうかで判断することを——辞める。あなたの隣にいることに、損得の計算はいらない」
シオンの涙がこぼれた。声を出さずに。渓谷の夜と同じ。
「だから——パーティ名を『符号なし』にした。あたしたちの関係に、割に合うかどうかの符号はつけない」
シオンが袖で目を拭いた。鼻をすすった。
「——イグリットさん」
「何」
「僕も——同じです。イグリットさんの隣にいることに、理由はいらないです。最初から。ずっと」
「——最初からは嘘でしょ。最初はただの護衛依頼」
「そうでした。でも——2回目の護衛で、僕の弁当を『悪くない』って言ってくれた時から。たぶん。——いや、もっと前かもしれない」
「もっと前って——」
「掲示板の前で、僕の依頼書を見て、3秒で暗算してくれた時。あの時から——この人についていきたいって思ってました」
あたしは何も言えなかった。
暗算。3秒。あの瞬間に。
「——あたしは、あの時、ただ損得を計算しただけ」
「はい。それが——かっこよかったんです」
あたしは星を見上げた。
顔が熱い。寒いのに。風が吹いているのに。
「……うるさい」
「すみません。でも——言いたかった。ずっと」
2人で丘の上に座っていた。星の下で。
あたしの左手の指輪が、温かい。シオンの右腕の布が、夜風に揺れている。
2つの枷。2つの秘密。2つの「外せないもの」。
でも——もう、1人じゃない。
「——帰ろう。明日の朝が早い」
「はい。——イグリットさん」
「何」
「パウンドケーキ、持ってきました。トルテさんのレシピで焼いた——」
「食べる」
「即答——」
「パウンドケーキに計算は不要だ」
シオンが笑った。あたしも——笑った。
少しだけ。暗くて見えないだろうけど。
——見えているかもしれない。この少年は、暗闇でもあたしの表情を読む。表情パターンの番号なんか必要ない。
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