盟主来訪と、下りてくる上層
【盟主来訪と、下りてくる上層】
3日後。
ヴァルディスが来た。
煌盟アウレクスの盟主が——冒険者街の安宿に。
上層の白い外套。護衛4人。金ランクの紋章。7番街の住人が道を空けている。場違いの塊が、下層を歩いている。
あたしは安宿の1階食堂にいた。定食を食べていた。シオンが向かいに座っていた。
ヴァルディスが食堂に入ってきた。頭が天井に届きそうな大男。穏やかな表情。でも、目が笑っていない。
「久しぶりだな、イグリット」
「——ヴァルディス盟主。下層は、お体に障りませんか」
「健康には問題ない。——少し話を」
護衛が食堂の入口を固めた。常連の冒険者たちが、酒を置いて出ていった。
シオンが立ち上がろうとした。あたしが手で制した。
「座ってて。——この人の話は、あなたにも関係がある」
ヴァルディスがシオンを見た。一瞬——目が鋭くなった。そして、すぐに穏やかに戻った。
見定めている。
「シオン=サルヴェイン。——噂は聞いている」
「……はい」
「用件を」
「直接的だな。——いい。2つある」
ヴァルディスが椅子に座った。食堂の椅子が軋んだ。
「1つ目。復帰の件。レイゼルには断ったそうだが——条件は再交渉できる」
「条件ではなく信用が足りません。3回目です」
「信用を示す方法がある。我々は根源エネルギーに関する全てのデータを——おまえに開示する用意がある」
「ギルドの調査が入って、隠し通せなくなったから開示するのでは、信用の証明になりません。追い詰められた側の譲歩です」
ヴァルディスの穏やかな表情が、わずかに揺れた。あたしの計算に追いつけない苛立ち——ではなく、追いつかれていることへの認識。この男は、あたしが何を知っているか測ろうとしている。
「2つ目は」
「2つ目。シオン=サルヴェインについて。——我々は彼を保護したい」
あたしの箸が止まった。
「保護」
「ダンジョンの深層種討伐の際、彼の存在が——特異な反応を示したという報告がある」
「報告。——誰からの」
「詳細は控えるが——」
「ガイルは口裏を合わせた。つまり、別の経路で情報を得た。討伐隊の他のメンバーか、ギルドの報告書か。あなたは——シオンの紋様のことを知っている」
ヴァルディスの目が、一瞬だけ——鋭さを隠さなかった。
「……おまえは相変わらず、見抜くのが早い」
「答えてください。シオンの紋様について、何を知っていますか」
食堂の空気が変わった。シオンがあたしの隣で、拳を握っている。
ヴァルディスが2秒だけ沈黙した。それから——穏やかな声で言った。
「漏出適合体。——根源エネルギーの漏出に曝されて、変異せずに人間の形を保った存在。古代の文献にはそう記されている」
あたしの背筋が伸びた。
ギルドの資料室で、あたしが断片的に見つけた用語を——この男は、正確に知っている。
「我々は1年前から、漏出適合体の存在を理論上把握していた。根源エネルギーの研究過程で。ただし——実在するサンプルは確認されていなかった。渓谷の報告を受けるまでは」
サンプル。シオンのことを「サンプル」と呼んだ。
「彼の紋様は——根源エネルギーが身体に定着したものだ。適合体は根源を制御できる可能性を持つ。フィルターの劣化が進む今、その能力は——世界規模で必要になる」
「だから保護するのですか。それとも——研究対象にするのですか」
「保護だ。安全な環境で——」
「却下」
あたしの声が、食堂に響いた。
「1年前から知っていた。根源の漏出も。フィルターの劣化も。漏出適合体の存在も。知っていて——何もしなかった。報告書を握り潰した。冒険者を2人死なせた。——それで今、『保護』と言っても、わたしの耳には『回収』にしか聞こえません」
ヴァルディスの穏やかさが——剥がれた。一瞬。完全に。この男の本当の目が見えた。計算する目。利益と損失を天秤にかける目。あたしと同じ種類の目——だが、天秤に載せるものが違う。あたしは人の安全を載せる。この男は、権力を載せる。
シオンが——あたしの横に立った。いつの間にか椅子から立ち上がっていた。
「僕は人間です。保護される理由がありません」
シオンの声が、震えていなかった。ヴァルディスを見上げている。鉄ランクの少年が、最大手盟約の盟主を。
——「僕は人間ですか」と、ダンジョンの医務室であたしに聞いた少年が。あの時の不安は消えていない。でも——自分の答えを出した。「人間だ」と。あたしが言った言葉を、自分のものにした。
ヴァルディスが立ち上がった。
「……考えを変える機会は、いつでも用意する」
「不要です」
「後悔しないことを祈る」
「前にも同じことを言いましたね。——わたしは後悔していません」
ヴァルディスが食堂を出た。護衛が続いた。上層の匂いが消えた。
食堂のおやじが奥から顔を出した。
「……帰ったか。——あいつら、定食も頼まねぇで」
シオンが椅子に座り込んだ。
「——怖かった」
「声、震えてなかった」
「怖かったです。でも——人間だって、言いたかった。イグリットさんが教えてくれた言葉だから」
あたしは定食の続きを食べた。冷めていた。
でも——不思議と、まずくなかった。
ヴァルディスは引かない。「考えを変える機会」と言った。つまり——また来る。別の手段で。
あの男は、シオンの価値を理解している。根源を制御できる可能性を持つ存在。フィルターが崩壊に向かう世界で、その存在がどれだけの意味を持つか。
利己と利用の男。あの目を、あたしは忘れない。
守る。この少年を。
あの目から。
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