世界の亀裂と、異変の全体像
【世界の亀裂と、異変の全体像】
ギルドに呼ばれた。今度はグレイフではなく——ギルド長。
ギルド長の執務室は上層にあった。初めて入る。窓が大きい。エルドヴァレスの谷が一望できる。上層の白い建物群、中層の商業地区、下層の冒険者街。全部見える。
ギルド長は——老人だった。白髪。穏やかな目。だが、穏やかさの奥に鋭さがある。
「イグリット=アシェンド。——座りなさい」
座った。椅子がやわらかい。上層の椅子だ。
「おまえの報告書を読んだ。全部。3ヶ月前の最初の報告から、今回の根源エネルギー漏出点の発見まで。——感服した」
「ありがとうございます」
「そして——困っている」
ギルド長がテーブルの上に、大きな地図を広げた。大陸全体の地図。エルドヴァレスは中央やや東。
地図の上に、赤い印が複数打たれていた。
「エルドヴァレスだけではない」
あたしの思考が加速した。
「この赤い印は——」
「各地のギルド支部からの報告だ。過去半年間に、大陸全体で魔物の異常増殖、ダンジョンの魔力濃度上昇、未確認の深層種の目撃——全て、同じパターンを示している」
赤い印は12箇所。大陸全土に散らばっている。エルドヴァレスを含めて——13箇所。
「フィルターの劣化は——世界規模で起きている」
「おまえの言う『フィルター』という概念を、本部の研究員に照会した。——古代の文献に、似た記述があった。おまえがギルドの資料室で見つけたものと同じ出典だ」
「『漏出ニ適合セシ者』——」
「それも含めて。——ダンジョンは自然物ではなく、古代の封印装置であるという仮説。根源エネルギーという未知のエネルギー体の存在。フィルターの劣化による漏出の加速。全て——おまえの分析と一致する」
あたしの胸の奥で、何かが軋んだ。
3ヶ月前。あたしが報告書を書いた時。アウレクスに出した時。握り潰された時。
あの時、この情報が公開されていれば——。
「アウレクスの盟主、ヴァルディスは——この情報を知っていたのでしょうか」
ギルド長が頷いた。
「アウレクスは独自に根源エネルギーの調査を行っていた。少なくとも1年前から。——おまえの報告書を握り潰したのは、情報の独占のためだ」
「1年——」
「冒険者2人の死亡事故の調査過程で、アウレクスの内部報告書が発見された。根源エネルギーの存在と、その利用可能性に関する研究計画。——ギルドは現在、アウレクスに対して正式な調査を開始している」
あたしは地図を見た。13箇所の赤い印。
世界中のダンジョンで、同じことが起きている。フィルターが壊れている。根源が漏れ出している。
「このままでは——」
「推定で、3年から5年。フィルターの劣化がこのペースで進めば——大陸の複数のダンジョンで、深層の封印が完全に崩壊する。根源エネルギーが地上に直接漏出する」
「地上に——」
「魔物が地上に溢れる。深層種が。そして——根源エネルギーに曝された人間や動物が、変異を始める可能性がある」
シオンの腕が思い浮かんだ。青い紋様。変異しかけた肌。
あれが——世界中で起きる。
「ギルドは対策を——」
「対策を立てるには、情報が足りない。フィルターの修復方法も、根源の封印技術も——失われている。古代の技術だ」
ギルド長があたしを見た。穏やかな目の奥の鋭さが、今は前面に出ている。
「イグリット。おまえには、2つお願いしたいことがある。1つは——おまえの分析力を、ギルドの調査チームに貸してほしい」
「わかりました」
「もう1つは——おまえの仲間。シオン=サルヴェイン。あの少年は——特別な存在だ。ギルドはそれを知っている。だが、公式には知らないことにする」
あたしの背筋が伸びた。
「……なぜ」
「特別な存在は、利用したがる者が現れる。アウレクスがそうだったように。——あの少年を守れるのは、おまえだけだ」
あたしは頷いた。
シオンを守る。その言葉が——自然だった。計算ではなく。覚悟として。
ギルド長の執務室を出た。階段を降りた。上層から下層へ。
冒険者街に戻った。焼き肉の匂い。酒場の喧騒。
シオンが安宿の前で待っていた。何か——紙袋を持っている。
「イグリットさん! パウンドケーキ買ってきました。トルテさんのレシピで、下層のパン屋さんに——」
「……シオン」
「はい?」
「帰ろう。——話がある」
シオンの顔が少し心配そうになった。でも、すぐに頷いた。
「はい。——パウンドケーキ、食べながらでいいですか」
「いい」
2人で安宿に入った。
世界が壊れかけている。でも、パウンドケーキは甘い。そのギャップが——今は、ありがたかった。
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