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「割に合わないので、辞めます。」 ——元金ランクの天才魔道士、全部計算で解決したかったのに計算外の相棒ができました——  作者: わんだ


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街道と荷車と角猪

【街道と荷車と角猪】


 街道に出て30分。あたしは早くも後悔しかけていた。


「——それで、その薬草を村の薬師さんに届けるんです。村には薬師が1人しかいなくて、エルドヴァレスから定期的に原料を運ばないと回復薬が作れないんです」

「ふうん」

「回復薬がないと、村の人たちが怪我した時に大変で。特に農作業中の事故が多いみたいで」

「そう」

「あ、鍛冶用の鉱石は村の鍛冶屋さんへの納品です。村では採れない種類の鉱石なので、これも定期便で——」

「……あのさ」


 あたしは荷車の横を歩くシオンを見上げた。見上げるのが地味にストレスだ。身長差が恨めしい。


「わたし、依頼書に書いてない情報まで求めてないんだけど」

「あ、すみません。つい」

「つい、で30分喋り続けられるの、才能だと思う」


 皮肉で言ったのに、シオンは「そうですかね?」と本気で考え込んでいる。ツッコミが通じない相手ほど疲れるものはない。

 ——しかし、情報自体は無駄じゃない。村の薬師が1人。回復薬の需要がある。鍛冶屋への納品ルートも確立されている。つまりこの運搬依頼は定期的に発生する。

 シオンがこの依頼を継続的に受けているなら、あたしが護衛として組み続けるのも悪くない。定期収入になる。

 合理的だ。うん。


 街道は谷を出ると、なだらかな丘陵地帯に変わった。左右に低い草原が広がり、ところどころに岩場がある。空が広い。エルドヴァレスの谷底から見る細い空とは全然違う。

 朝の陽が丘の稜線を越えて、街道を暖かく照らしている。風が草を揺らすさわさわという音と、荷車の車輪がごとごとと石を踏む音。それだけ。

 静かだ。嫌いじゃない。


「イグリットさんは、エルドヴァレスの外に出たことは」

「ある。昔は遠征任務もあったから」

「あ、そっか。金ランクだったんですもんね」

「……誰に聞いた」

「受付の人が、手続きの時にちょっとだけ。『元金ランクの方ですが、現在は銅ランクです』って」


 あの受付嬢。プロだと思ったのに、余計なことを言う。


「気にしないでください。ランクなんて、僕は気にしません」

「気にしてるのはわたしじゃなくて世間の方」

「でも、僕は鉄ランクですよ。気にしてたら依頼も出せません」


 それは——まあ、確かに。鉄ランクで護衛依頼を出すこと自体が、ある意味では図太い。周りの目を気にしていたらできない。

 鈍感なのか、強いのか。この少年は判断に困る。


 街道を1時間ほど進んだところで、あたしは足を止めた。


「止まって」

「え?」

「荷車を止めて。動かないで」


 シオンが慌てて荷車を止めた。不安そうな顔でこっちを見ている。

 あたしは右手に意識を集中した。指先に淡い赤光が灯る。魔力の探知。街道の右側、岩場の影に——いる。


 岩の陰から、それは飛び出してきた。


 角猪。体長1.5メートルほどの猪型の魔物。額に鋭い角が1本。突進力が売りの、街道では定番の魔物だ。

 まっすぐこっちに向かってくる。いや、正確にはあたしの後ろの荷車に。食料の匂いに反応したか。

 速い——銅ランクの冒険者にとっては。


 あたしにとっては、欠伸が出るほど遅い。


 右手を軽く振った。赤い光が一閃。角猪の足元の地面が隆起し、走路を塞ぐ。角猪がつんのめって体勢を崩した瞬間、2発目。精密に制御した衝撃波が角猪の側頭部を打つ。

 脳震盪。角猪はそのまま横倒しになり、痙攣して動かなくなった。


 3秒。


「——え?」


 シオンが目を丸くしてこっちを見ている。口が半開きだ。


「な、なに今の」

「角猪。そこそこいる魔物。気配でわかる」

「いや、あの、倒し方がおかしくないですか」

「おかしくない。普通」

「3秒で倒すのは普通じゃないと思います……」


 普通だよ。あたしにとっては。

 それよりも重要なのは——角猪の仕留め方だ。あたしは衝撃波を使って内部からダメージを与えた。外皮に傷はない。角も折れていない。つまり素材としての価値が最大限に保たれている。

 角猪の牙、1本400レイド。角は状態次第で600レイド。皮も無傷なら200レイドはつく。合計1200レイド。たった3秒で。

 ——悪くない時給だ。


「シオン」

「は、はい」

「解体用のナイフ、持ってる?」

「はい、あります」

「じゃあ、ここで素材を回収する。手伝って」

「わかりました!」


 シオンが背負い袋からナイフを取り出して駆け寄ってきた。真剣な顔だ。やる気だけは一人前——いや、それ以上か。

 あたしは角猪の前に屈みこんで、素材の状態を確認した。うん、完璧だ。外傷なし。


「まず牙から。根元に沿ってナイフを入れて——」

「こう、ですか」

「違う。角度が急すぎる。牙の根元を傷つけたら値が下がる。もっと浅く、歯茎に沿わせるように」


 シオンの手つきは——控えめに言ってひどかった。ナイフの握り方は悪くないが、力の入れ方が雑で、素材を傷つけそうになる。「僕は素材の処理が下手なので」と言っていたのは謙遜じゃなく事実だったらしい。


「貸して」


 あたしはナイフを受け取り、手本を見せた。牙の根元に刃を滑らせ、最小限の力で切り離す。綺麗に抜けた牙を掲げてみせる。


「こう。力じゃなくて角度の問題。刃の入射角を15度以内に保てば、素材に一切傷がつかない」

「15度……覚えます」


 シオンが真剣な顔でメモを取り始めた。文字通り。背負い袋から手帳を出して書いている。

 ……几帳面だとは思ってたけど、ここまでとは。


「あの、今の魔法ってどういう原理なんですか。地面が盛り上がって、それから見えない力で——」

「企業秘密」

「あ、すみません」

「冗談。半分は」


 教える義理はない。でも、素材処理の仕方くらいは教えてもいい。この少年が自分で素材を売れるようになれば、護衛依頼の報酬も上げられるかもしれない。

 合理的だ。あたしが教えるのは、あくまで合理的な判断だ。


 ——別に、メモを取るシオンの横顔が、なんだか真剣で、ちょっとだけ好感が持てたとか、そういうことじゃない。


 角猪の素材を回収し終えて、再び街道を歩き始めた。

 背負い袋が少し重くなった。牙2本、角1本、皮1枚。推定売却額1600レイド。

 1体目で既に依頼報酬を超えている。やはり、計算は合っていた。


「イグリットさん」

「ん」

「すごかったです」

「何が」

「全部。魔物の気配がわかるのも、3秒で倒すのも、素材に傷をつけない倒し方も」

「普通のことだよ。銅ランクの依頼を受ける魔道士なら、これくらいはできる」

「……それは絶対に嘘だと思います」


 シオンが珍しくきっぱりと言い切った。初めて聞く、断定的な口調。犬がたまに見せる、妙に鋭い目。

 ——この少年、鈍いようでいて、見るところは見ている。

 面倒なタイプだ。嘘が通じないのは、合理的な交渉を阻害する。


「……まあ、ちょっとだけ得意なだけ」

「ちょっと、ですか」

「ちょっと」


 シオンは納得していない顔をしていたが、それ以上は追及してこなかった。空気を読んだのか、あるいはあたしの表情から「これ以上は聞くな」を読み取ったのか。

 どちらにしろ、助かる。あたしの過去を掘り返されるのは面倒だ。


 街道は続く。荷車の車輪が石を踏む音が、リズムのように繰り返される。

 隣を歩くシオンが、さっき教えた素材処理の手順をぶつぶつと復唱している。「15度以内、15度以内……」

 ——真面目か。


 次の角猪が出てきたら、今度はシオンにやらせてみるか。

 練習相手としては丁度いいサイズだし、素材の質が落ちても片道分の余裕はある。教育投資と考えれば合理的だ。


 あたしは、まだこの時点では気づいていなかった。

 「合理的だ」という言い訳が、1時間に1回のペースで増えていることに。


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