計算外の出発
【計算外の出発】
「報酬1000レイドってのは、本気?」
「本気です。それが今の僕に出せる限界で……すみません」
謝るな。謝られると交渉しにくい。
「素材の譲渡は確実?」
「確実です。荷車に積む分以外は全部。僕は素材の処理が下手なので、どうせ値がつかないんです」
正直だなこいつ。自分の弱点を隠す気がゼロだ。交渉術というものを知らないのか。アウレクスの幹部たちなら、弱みを見せた瞬間に報酬を値切りにかかるぞ。
——まあ、それはそれで情報が正確ということだから、あたしとしてはありがたい。嘘をつく相手より、馬鹿正直な相手の方が計算が立つ。変数が少ないのは良いことだ。
「わたし、一つ条件を追加していいですか」
「はい、なんでしょう」
「道中のペースはわたしが決めます。荷車が遅れるなら置いていく」
「わかりました」
「即答すぎない? 荷物が目的なんでしょう?」
「荷物も大事ですけど、護衛してもらえる方がもっと大事なので」
あたしはこの少年をじっと見た。
嘘をついている目じゃない。駆け引きをしている顔でもない。ただ本当に、困っていて、助けてほしいだけの目だ。
——あたしの苦手なタイプだ。合理的な交渉が成立しない。善意で動く人間の行動は予測が難しい。変数が多すぎる。
アウレクスにいた4年間で学んだことがある。人は大抵、自分の利益のために動く。だから行動が読める。損得を計算すれば、次に何をするか予測できる。
でも、こういう——損得じゃなくて「それが正しいから」で動くタイプは、あたしの計算モデルに載らない。厄介だ。
「……まあいいわ。受けます」
口が勝手に動いていた。いや、計算は合っているのだから合理的な判断だ。断る理由がない。
あたしは依頼書を掲示板から剥がした。受付に持っていけば正式に契約が成立する。
「ありがとうございます!」
シオンの顔がぱっと明るくなった。さっきまでの困り顔が一転、太陽みたいな笑顔。あたしは思わず目を逸らした。眩しい。物理的にじゃなく、なんというか——慣れてない。こういう顔を向けられるのに。
アウレクスでは、あたしに向けられる表情は「警戒」か「敬遠」か「嫉妬」のどれかだった。こんなふうに、まっすぐ嬉しそうな顔をされるのは——いつ以来だろう。
「出発はいつ?」
「明日の朝でお願いできますか? 東門に日の出で」
「了解。遅刻したら置いていくから」
「しません!」
受付で手続きを済ませた。受付嬢があたしとシオンのランク差——銅と鉄——を見て微妙な顔をしたが、何も言わなかった。プロだ。ただし、あたしの名前を登録する際にちらっと画面を二度見していた。たぶん、過去の実績データが残っている。元金ランクが鉄ランクの護衛依頼を受ける。受付嬢としては色々と聞きたいことがあるだろうが、飲み込んでくれた。ありがたい。
ギルドを出ると、昼過ぎの陽が谷の底まで差し込んでいた。下層の雑踏はいつも通り騒がしい。鍛冶屋の金属を打つ音と、屋台の呼び込みと、どこかの酒場から聞こえる笑い声が混ざり合っている。
「あの、イグリットさん」
隣を歩いていたシオンが声をかけてきた。
「なんで受けてくれたんですか? あの依頼、2週間も放置されてたのに」
「計算が合ったから」
「計算?」
「素材の売却額を加味すれば、2日間の拘束に見合う。それだけ」
シオンはきょとんとした顔で、それから笑った。
「やっぱり、すごいですね。僕には思いつかなかった」
「……別にすごくない。算数ができれば誰でも気づく」
「僕は気づかなかったです」
「それはあなたの問題」
冷たく言い放ったつもりだったのに、シオンは全然へこたれない。むしろ「確かに」と素直に頷いている。反省しているのか感心しているのか、よくわからない表情で。
……会話のテンポが合わない。あたしのツッコミが全部受け流される。これは新しい体験だ。普通は、あたしがこういう言い方をすると相手が黙るか怒るかするものなのに。
この少年、天然なのか、それとも胆が据わっているのか。どっちにしろ、あたしのペースを崩してくる。嫌いなタイプ——のはずなのに、なぜか不快じゃない。
「明日、よろしくお願いします」
シオンが頭を下げた。深く、丁寧に。
「……ええ。よろしく」
別れて安宿に戻る道すがら、あたしは考えていた。
計算は合っている。2日間で5000~6000レイド。銅ランクのソロ依頼を2日こなすよりも効率がいい。完全に合理的な判断だ。
合理的な判断だ。
帰り道に素材屋の前を通ったので、角猪の牙と岩蜥蜴の鱗の相場を確認しておいた。あたしの暗算通りだった。むしろ最近は岩蜥蜴の鱗の需要が上がっていて、相場が少し高い。明日の見込み収入は上振れするかもしれない。
——じゃあ、なんであたしは今、少しだけ機嫌がいいんだろう。
収入の見込みが上がったからだ。それ以外の理由はない。
ポーチの中でギルド証が揺れた。鈍い赤銅色。でも、昨日見た時よりも少しだけ、重さが気にならなくなっていた。
たぶん、明日の収支見込みが想定以上だったからだ。
うん。そういうことにしておこう。
合理的な理由は——今回は、ちゃんとある。
……たぶん。
翌朝。
日の出の10分前に東門に着くと、シオン=サルヴェインは既にそこにいた。
荷車の横で、律儀に背筋を伸ばして立っている。荷車には布で覆われた荷物が積まれていて、結構な量だ。これを一人で引いて街道を往復しようとしたのか。無謀にもほどがある。
あたしを見つけた瞬間、また太陽みたいに笑った。朝焼けに照らされて、白い一房の前髪がほんのり紅く染まっていた。
「おはようございます、イグリットさん!」
「……おはよう。敬語やめて。背中がむず痒い」
「え、でも——」
「依頼主と依頼受注者は対等。敬語は不要。合理的でしょう?」
シオンは目をぱちくりさせて、それから恐る恐る口を開いた。
「……おはよう、イグリット、さん」
「『さん』もいらない」
「それはまだちょっと……」
まあいい。今は。慣れるまで待ってやるくらいの余裕はある。2日間の付き合いだ。
シオンが荷車の荷物を最終確認していた。「薬草の原料が50束、鍛冶用の鉱石が20キロ、あとは村の雑貨屋への日用品……」とぶつぶつ呟きながら、丁寧にリストと照合している。几帳面だ。戦闘は弱いらしいが、こういう地味な作業は得意なのかもしれない。
東門の向こうに、朝焼けの街道が伸びていた。遠くに低い山並みが見える。あの山の手前に目的地の村があるはずだ。
朝の風が頬を撫でた。谷の中とは違う、開けた土地の匂い。草と土と、かすかに花の香り。
2日間の旅。割に合う依頼。それだけの話。
あたしはまだ知らなかった。
この街道の先で待っているものを。この少年が、あたしの人生にどれだけ巨大な変数を叩き込んでくるのかを。あたしの「合理的な人生計画」がどれだけ盛大に狂わされることになるのかを。
そしてその「狂い」が、あたしにとって最も合理的な選択だったということも。
——まあ、知っていたところで、たぶん同じ選択をしたと思うけど。




