掲示板の端っこの依頼書
【掲示板の端っこの依頼書】
銅ランクのソロ依頼は——控えめに言ってゴミだった。
「下水道の害獣駆除。報酬800レイド」
「倉庫の荷運び補助。報酬500レイド」
「迷子の猫捜索。報酬300レイド」
……猫?
あたし、元金ランクなんですけど。ダンジョン深層で災害級の魔物と渡り合ってきたんですけど。その腕で猫を探せと?
いや、わかってはいた。銅ランクの依頼なんてこんなものだ。上から見ているのと、実際にその場に立つのとでは感覚が違うだけ。あたしの計算に間違いはない。数をこなせば収支は合う。
合うんだけど。
猫はちょっと。あたしにだってプライドの最低ラインはある。
周りを見ると、同じ掲示板の前に何人かの冒険者がいた。あたしと同じ銅ランクか、あるいはその下の鉄ランク。彼らはテキパキと依頼書を剥がしている。猫捜索も、荷運びも、迷いなく。これが日常なのだ。彼らにとっては。
あたしにとっては——今日からだけど。
掲示板をもう少し丁寧に見ていく。銅ランクの依頼は大きく3種類に分かれる。雑務系、採取系、そして討伐系。効率で言えば採取系が一番いい。肉体労働の雑務系は時間単価が低いし、討伐系は銅ランクだと対象が弱すぎて素材に値がつかない。
ダンジョン関連の依頼は——あった。
「浅層第3階の薬草採取。報酬1200レイド。ソロ可」
これならまだマシだ。浅層なら寝ぼけてても帰ってこられる。浅層第3階は初心者向けの階層で、出現する魔物も弱い。あたしなら目を瞑っていても突破できる。いや、実際にやったことはないけど。
薬草の相場も知っている。回復薬の原料になるフェリグラスは1束200レイド前後。依頼報酬とは別に、余分に採取した分を素材屋に卸せば上乗せできる。
計算上、この依頼を午前中に片付けて、午後にもう一件。それで1日2500レイドくらい。悪くない——と自分を納得させかけた時、掲示板の一番端に目が止まった。
他の依頼書と比べて、紙が一回り小さい。文字も控えめ。貼られている位置からして、かなり前に掲示されたまま誰にも見向きもされていないのだろう。端がめくれかけている。
「護衛依頼。街道沿いの村への素材運搬。日数:2日間(往復)」
「報酬:1000レイド」
「条件:銅ランク以上、ソロ可」
「備考:道中の魔物素材は全て護衛者に譲渡します」
「依頼主:シオン=サルヴェイン(鉄ランク)」
……1000レイド。2日間で1000レイド。
あたしは暗算した。2日間拘束されて1000レイド。1日あたり500レイド。猫探しより安い。正気か? この報酬で2日間の護衛をやるくらいなら、下水道でネズミを狩った方がまだ実入りがいい。
しかも依頼主は鉄ランク。最下位だ。冒険者登録したばかりの新人がもらうランク。鉄ランクの冒険者が、自分で護衛依頼を出している。つまり自力では街道の魔物に対処できないということ。どれだけ弱いんだ。
そして2週間も放置されている。つまりこの依頼主は2週間、毎日ギルドに来ては誰にも受けてもらえず帰っている。なんだか哀れになってきた——いや、同情で依頼を受けるほどあたしは甘くない。
普通なら、見なかったことにして通り過ぎる案件だ。
でも——あたしの目は「備考」の一行に釘付けになっていた。
道中の魔物素材は全て護衛者に譲渡。
あたしは街道沿いの魔物分布を思い出した。エルドヴァレスから東の村へ向かう街道には、角猪や岩蜥蜴が出る。こいつらの素材——特に角猪の牙と岩蜥蜴の鱗は、下層の素材屋で安定した値がつく。片道で5、6体倒すとして、素材の売却額は——。
指が勝手に計算を始めた。
依頼報酬1000レイド。素材売却想定4000~5000レイド。合計で5000~6000レイド。2日間の拘束で。
……あれ。割に合うぞ。
依頼主が鉄ランクだから誰も見向きもしなかったのだろう。鉄ランクの護衛なんて、面倒な割に旨味がないと思われている。実際、素材を考慮に入れなければその通りだ。低報酬で2日間拘束される上に、依頼主が弱いと守る手間まで増える。普通の銅ランクなら見向きもしない。
でも、あたしは普通の銅ランクじゃない。
あたしの処理速度なら街道の魔物は片手間で倒せる。素材回収に時間を割いてもスケジュールに影響はない。角猪の牙は1本あたり400レイド。岩蜥蜴の鱗は状態が良ければ600レイド。あたしの魔法なら素材を傷つけずに仕留められるから、買い取り価格も上がる。つまり実質的には——。
「あの」
声がした。低くもなく高くもない、妙に通る声だ。
掲示板に顔を近づけていたあたしの真横に、いつの間にか人が立っていた。気配を感じなかった——いや、あたしが計算に没頭していただけか。
「すみません、その依頼書を見ていただいてるんですか」
横を向くと——背の高い少年がいた。あたしより頭2つ分は高い。身長差で首が痛くなるやつだ。
紺色の髪に、前髪の右側だけ白い一房が混じっている。染めたのか天然なのか。目は深い青——海の底みたいな色だ。表情は——なんだろう、困ったような、期待しているような、犬が散歩に連れて行ってもらえそうな時のような。
灰白色のフード付きベストを羽織っていて、右腕から肩にかけて青い布を独特な巻き方で固定している。あの布、何のためだろう。おしゃれ? にしてはずいぶん使い込まれている。腰にはポーション瓶のホルダーと安物の片手剣。鞘の金具が少し錆びている。使い込んだブーツにバックル。背中に斜め掛けの背負い袋。背負い袋はパンパンに膨らんでいて、中身の重みで肩紐が食い込んでいた。
冒険者の装備としては一式揃っている。だがどれも安物で、使用感だけは一人前だ。金をかけられないが、手入れだけは怠らないタイプか。その姿勢は嫌いじゃない。
あたしは少年の腕をちらりと見た。冒険者なら必ず持っている刻印。その数値が——低い。笑えるくらい低い。あたしの10分の1以下。いや、指輪で抑制されているあたしの現在値と比べても、5分の1以下だ。
よくこの数値で冒険者をやっていられるな。感心すら覚える。
「……あなたが依頼主?」
「はい! シオン=サルヴェインです。この依頼、ずっと受けてもらえなくて——見ていただいてるなら、ぜひ」
「まだ受けるとは言ってない」
少年——シオンが、しゅんとした。犬みたいだな、本当に。尻尾があったら垂れてるだろう。
あたしは依頼書にもう一度目を通した。
「いくつか確認していい?」
「はい、なんでも」
「この素材運搬、自分で運べない理由は」
「量が多くて、一人だと荷車を引きながら魔物に対応できないんです。以前一人でやろうとして、荷物ごと崖下に落ちかけました」
「……それ、死ぬやつだよね」
「はい。死にかけました」
けろっとした顔で言うな。
しかし、情報としては有用だ。荷車を引くということは両手が塞がる。街道の魔物に片手で対応しつつ荷車を守る——鉄ランクには荷が重い。護衛を雇う判断自体は合理的だ。報酬が安すぎることを除けば。




