母の仕事と、隠す理由
【母の仕事と、隠す理由】
3日後。次の訓練の日。
シオンの対人稽古は順調に進んでいる。受けだけでなく、打ち込みのパターンも増やした。連続3手の攻防。打って、受けて、返す。
シオンの動きに迷いがなくなっている。2ヶ月前とは別人だ。
——訓練中、あたしの目は何度もシオンの右腕に戻った。
木剣を振るたびに揺れる藍色の布。使い込まれて、何度も繕われた布。この少年にとっては「母の形見」。
でも、あたしの頭の中では——「深層鉱物の遮蔽装置」。
その2つが1つの布の上で重なっている。母はなぜ蒼鉛石を知っていた。なぜ息子の腕を隠した。——答えを知っている人間は、もういない。残っているのは、シオンの記憶だけ。
ゴルドの忠告が耳に残っている。「突っ込みすぎるな」。——突っ込まないと、何もわからない。知らないまま隣にいるのは、もう無理だ。
訓練を終えた後、訓練場の隅に座った。シオンが水を飲んでいる。
3日前の「嘘ですね」がまだ頭に残っている。あの少年に見抜かれた。あたしの計算ずくの台詞を。
だから——今日は、計算ではなく聞く。嘘も、遠回りもなしで。
「シオン。——1つ、聞いていい?」
「はい」
「踏み込んだ話になる。答えたくなかったら、そう言って」
「……はい」
「あなたの母親のこと——教えてくれる?」
シオンが水筒を下ろして、あたしを見た。驚いている。
あたしがプライベートなことを聞くのは、初めてだ。今まで踏み込まなかった領域。
「……何が知りたいですか」
「どんな仕事をしていたか」
シオンが少し考えて、話し始めた。
「母さんは——ダンジョンの中で荷物を運ぶ仕事をしていました。冒険者じゃなくて、補助の作業員です。中層くらいまで、冒険者パーティの荷物や補給品を運ぶ。危険だけど、報酬がよかったみたいです」
中層の補助作業員。深層に近い環境で、長期間働いていた。
蒼鉛石は深層の鉱物だ。中層で補助作業をしていたなら、深層由来の素材に触れる機会はあった。
「僕が生まれてからは辞めました。身体があまり丈夫じゃなくて——僕が10の時に亡くなりました」
シオンの声は穏やかだった。悲しみはあるが、整理されている。何年もかけて、受け入れた悲しみだ。
「この布は、母さんが作ってくれたんです。生まれた時から——『これを巻いておきなさい』って。理由は教えてくれませんでした。でも、母さんが言うなら、って。ずっと」
「理由を聞かなかったの」
「聞きました。1回だけ。母さんは——少し悲しそうな顔をして、『あなたを守るものだから』とだけ」
守るもの。
蒼鉛石の遮蔽性。魔力の伝導を断つ性質。シオンの右腕にあるものが何であれ——母親はそれを「隠す」ために布を作った。
深層で働いていたから、蒼鉛石の性質を知っていた。あるいは、素材として入手できた。
母親は知っていたのだ。全部ではなくても、何かを。息子の腕にあるものが「普通ではない」ことを。見せてはいけないことを。
あたしの頭の中で、線が繋がっていく。
ダンジョン中層の補助作業員。長期間の深層付近での労働。深層の漏出への微量曝露。そして——息子の腕に、何かが現れた。
母親は原因を知らない。でも、本能的に「隠すべきだ」と判断した。だから布を作った。深層の鉱物を練り込んだ、遮蔽機能のある布を。
「シオン」
「はい」
「……いい母親だったんだね」
あたしの口から出た言葉は、分析でも質問でもなかった。
シオンが笑った。少し寂しそうに、でも温かく。
「はい。——いい母親でした」
あたしは布の分析結果を——言わなかった。
蒼鉛石のこと。深層鉱物のこと。遮蔽の意味。母親が何を知っていたか。
言えなかった。データが不足しているから——ではない。
言ったら、あの笑顔が曇る。「母さんが作ってくれた布」が「深層鉱物の遮蔽装置」に変わったら、シオンにとっての布の意味が壊れる。
昨日、シオンはあたしの嘘を突いた。あたしは今、シオンに嘘をついている。正確には——言わないことで、守っている。
嘘と沈黙は違う。でも、どちらも「全部は見せない」ことだ。
「——帰ろう。夕飯、食堂で」
「はい。今日は何にしますか」
「何でもいい。段ボール以外なら」
シオンが笑った。
訓練場を出た。夕方の日差しが長く伸びている。
隣を歩くシオンの右腕に、藍色の布。使い込まれて、何度も繕われた布。母親の手作り。蒼鉛石の粉末が練り込まれている。——息子を守るために、遺された盾。
あの布の下に、何がある。
わかりかけている。でも、まだ——見ない。
見る覚悟ができるまで。
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