布の下の沈黙と、観察者の自覚
【布の下の沈黙と、観察者の自覚】
帰路。野営地。
焚き火の傍で、シオンがスープを作っている。今回は根菜と干し肉のスープに、粗挽き胡椒を多めに。あたしの好みを反映している。——いつから把握された。
シオンがスープを混ぜている間、あたしは探知を展開した。
夜の街道は魔物の活性が上がる。周囲200メートルの安全確認。日課だ。
探知の波が、焚き火の周囲に広がる。
地面の下の虫。50メートル先の茂みに角ネズミが2匹。100メートル先に角猪の気配が1つ、眠っている。脅威はない。
探知の波が、シオンの身体を通過した。
——またか。
シオンの全身は探知に映る。心拍。体温。筋肉の動き。普通の人間の生体反応。
ただし、右腕だけが**空白**だ。
布が巻かれている部分——肩から手首にかけて、探知が**通らない**。まるでそこだけ壁があるように、魔力の波が弾かれている。
第5話の護衛で、最初に気づいた時は「気のせいかもしれない」と思った。
2回目に確認した時は「布の厚みで減衰している可能性」と考えた。
5回目の今日。3度目の確認。
気のせいではない。減衰でもない。完全に遮蔽されている。
普通の布は魔力探知を遮蔽しない。絹でも麻でも革でも、生体の探知を完全に遮る素材は——深層鉱物を含む特殊素材か、魔法的な仕組みを持つ装備だけだ。
「シオン」
「はい?」
「その布——特殊な素材なの?」
シオンが手を止めた。右腕を見下ろす。
「わかりません。母が作ってくれたもので。生まれた時からずっと巻いてます」
「……素材の心当たりは」
「藍染めの手織り布、としか。母は裁縫が上手だったので、何度も繕ってくれました。——特別なものだとは思いますけど、素材のことは」
シオンの目が少し遠くなった。母親の話をする時の、あの静かな表情。嘘はない。本当に知らないのだ。
あたしは追及をやめた。データが足りない時に推測を重ねるのは——。
「イグリットさん」
「何」
「イグリットさんって、僕のこと観察してますよね」
あたしの手が止まった。
「していない。護衛対象の装備を確認するのは当然の——」
「でも前回、僕の靴紐の結び方が変わったのも気づいてましたよね。それに、素材処理の時の手の角度が1度変わっただけで指摘してくれるし」
事実だ。否定できない。
靴紐の件は、歩行パターンの変化から足首の負担を推測するための——いや、そこまで考えて見ていたわけではない。ただ、目に入った。シオンのことが、目に入る。
「……斥候的な習慣」
遠くで、くしゃみの音がした。気がした。空耳だろう。リィナは今日はいない。
「斥候って——イグリットさん、魔道士ですよね?」
「魔道士でも周囲の観察は基本」
「じゃあ、僕の靴紐の結び方を観察するのも基本ですか」
「……黙ってスープを混ぜて」
シオンが笑って、おたまに戻った。
あたしはメモ帳に目を落とした。今日のデータ。角猪6頭。岩蜥蜴14匹。崖上の重い気配2箇所。分布の偏り。
その下に、書きかけの文字。
「布の遮蔽性——深層鉱物の可能性」
消した。消して、別のページに書き直した。シオンに見られたくない分析だ。
母が作った布が、深層鉱物を含んでいる。
それは——どういう意味だ。
シオンの母親は、なぜ深層鉱物を手に入れられた。
そして、布が遮蔽しているものは——何だ。
スープが出来上がった。シオンが椀に注いで渡してくれる。「熱いので気をつけて」。
あたしは黙って受け取った。
スープの湯気の向こうに、シオンの右腕が見える。藍色の布。使い込まれて、何度も繕われた布。
その下に、何がある。
——今は、聞かない。データが揃ってから。
合理的な判断だ。
スープを啜った。美味い。胡椒が多めなのは——あたしが辛いものを好むと、この少年が知っているから。
観察しているのは、あたしだけじゃない。




