4回目の街道と、言えなかった言葉
【4回目の街道と、言えなかった言葉】
4回目の護衛依頼。
朝、西門でシオンと合流した。荷車。背負い袋。青い布で巻かれた右腕。いつもの笑顔。
「おはようございます、イグリットさん。今日もよろしくお願いします」
「……うん。よろしく」
弁当箱を受け取った。今回は少し重い。
荷車の積荷を確認する。薬品と布。今回も、トルテッドの村への定期便だ。
出発した。
第1区間。森林帯。シオンが荷車を引く足取りは、1回目より明らかに安定している。体力がついた。訓練の効果もあるだろう。足運びが変わった。重心が低くなっている。
あたしは探知を展開しながら、街道の左右を監視した。
角猪、4頭。1回目は1頭だった。2回目は3頭。3回目は5頭。今回は4頭——減った?
いや、角猪が減ったのではない。角猪の縄張りが狭くなっているのだ。別の魔物に押し出されて、出没ポイントが偏っている。分布が変わった。
メモに書き留めた。出現数だけでなく、出現位置の変化。新しい分析軸だ。
「イグリットさん。また増えてますか?」
「数は微減。でも、分布が変わってる。縄張りがずれてる」
「縄張りが——何かに押されてるんですか」
「……たぶん」
シオンの観察力が上がっている。以前は「増えてますか」だった質問が、今は「何に押されてるか」に変わっている。訓練だけじゃない。あの手帳の記録を毎日つけているから、変化の「質」に目が向くようになった。
昼食。街道脇の岩場で荷車を止めた。
弁当箱を開けた。
——鶏の照り焼き。甘辛いタレ。横に、刻み生姜の和え物。玄米おにぎりが2つ。味噌汁用の乾燥具材が小袋に入っている。
「前回、イグリットさんが生姜を多めに買ってたので——好きかなと思って」
あたしは市場で生姜を買った記憶を辿った。あれは魔力回復の民間療法で使うために買ったもので、食用目的ではなかった。
でも、美味い。生姜は美味い。好き——かもしれない。嫌いではない。
「……悪くない」
「よかった」
シオンが笑った。あたしは照り焼きを齧りながら、昨日の灰角獣のことを考えていた。
言うべきだ。あたしのデータによれば、街道の異変とダンジョンの異変は連動している。ダンジョンの中層種が浅層に侵入しているなら、街道の外でも同等の異変が進んでいる可能性がある。シオンは毎月この道を歩く。当事者だ。
リィナも言っていた。「あいつも当事者だ」と。
「シオン」
「はい」
「——ダンジョンの話をしていいか」
「はい。もちろん」
あたしは、最小限の事実だけを伝えた。
ダンジョンの浅層で、本来いないはずの中層種が確認されたこと。魔物の行動圏が変わっていること。街道の増加と、ダンジョン内部の変化が同じ方向を向いていること。
シオンは黙って聞いていた。メモは取らなかった。ただ、真剣な目で聞いていた。
「それは——この街道も、もっと危なくなるってことですか」
「可能性がある。今すぐじゃない。でも、半年後、1年後——」
「わかりました」
シオンが頷いた。怖がらなかった。逃げなかった。
ただ、静かに受け止めた。
「僕にできることがあれば、言ってください。記録でも、荷物持ちでも」
あたしは少し、言葉に詰まった。
この少年は——「怖い」の先に、「何ができるか」を置く。あたしとは順序が逆だ。あたしは「何が起きているか」を分析して、対策を立てて、それから行動する。シオンは「何ができるか」から入る。
非合理に見えて——でも、あの角猪の前に立った時も同じだった。恐怖より先に、足が動く。
「……訓練を続けて。剣の基礎。それが、今のあなたにできる一番合理的な備えだ」
「はい。続けます」
午後の行程は静かだった。
渓谷区間。2回目の護衛で「何か」がいた場所を通過した。今回は——反応なし。あの重い気配は感じない。
ただ、指輪がかすかに温かい。常温より、ほんの少しだけ。気のせいかもしれない。
トルテッドの村に着いた。
村の柵が補強されていた。前回より高く、太い杭が追加されている。村人たちの顔に疲れが見える。夜間の魔物接触が増えているのだろう。
シオンが薬品を降ろしながら、村長と話している。あたしは柵の外周を歩いて、魔物の痕跡を確認した。
爪痕が3箇所。角猪。岩蜥蜴。——もう1つ、判別できないもの。
浅いが、幅がある。ダンジョンの第5階で見たものとは違うが、浅層の魔物のものでもない。
メモに追加した。データポイントが、また1つ増えた。
帰路。
夕暮れの街道を歩きながら、シオンが言った。
「イグリットさん。来月も、依頼を出します」
「……そう」
「村の人たちが待ってるので。薬が届かないと困る人がいるので」
あたしは何も言わなかった。
危険が増しているのに、この少年は歩き続ける。自分のためじゃなく、村のために。
非合理だ。報酬と危険のバランスが崩れかけている。商人としての判断なら、別のルートを探すか、頻度を減らすか、報酬を上げるべきだ。
でも、シオンはそういう計算をしない。
「護衛は——あたしが受ける」
口から出た言葉に、計算はなかった。
効率も、合理性も、経済的メリットも——計算する前に、答えが出ていた。
「ありがとうございます」
シオンが振り返って笑った。西日が橙色に染めている。
あたしは無表情を保った。保ったつもりだ。
エルドヴァレスに戻った。西門で別れた。
素材の売却。ゴルドの店で12800レイド。過去最高だ。魔物の増加が、皮肉にも収入を押し上げている。
安宿に戻った。
ベッドに座って、今日のデータを整理した。出現数、分布変化、村の柵の状況、判別不能の爪痕。
全部書き終えてから——弁当箱を見た。空になった弁当箱。洗って返さないと。
明日、ギルドで会うだろう。訓練の日だ。弁当箱を返して、訓練をして、リィナのダンジョン偵察報告を聞いて、シオンの掲示板記録を確認する。
あたしの1日に、3人分の予定がある。
4ヶ月前、あたしはエルドヴァレスに1人で来た。
誰も知らない街で、誰にも干渉されず、効率よく稼いで生きていくつもりだった。
今、あたしの手元には——3人分のデータと、空の弁当箱と、週2回の訓練予定がある。
計算する前に、答えが出ていた。
さっきの、あの瞬間。「護衛はあたしが受ける」と言った、あの瞬間。
あたしは——いつから、計算の前に答えを出すようになった?
天井の染み。7つ。変わらない。
変わったのは、あたしだ。——この前も同じことを思った。同じ天井で、同じ結論。
でも今回は、それが怖くない。
怖くないことが、少しだけ怖い。




