市場の偶然と、干し肉の格差
【市場の偶然と、干し肉の格差】
ひと月が経過し、3回目の護衛依頼が終わって、5日後。
あたしは下層の市場にいた。消耗品の補充だ。ポーションの空瓶、魔力回復用の鉱石粉末、包帯。冒険者の日用品。
下層の市場は朝から騒がしい。露店が通りの両側にぎっしり並んで、野菜、肉、香辛料、鍛冶用品、怪しげなお守り、何でもある。人混みの中を歩くのは好きじゃないが、まとめ買いの効率を考えると市場一択だ。
鉱石粉末を買って、ポーション瓶を5本まとめて値切って——値切り交渉はアウレクスの経費処理で鍛えられた——次は食料の補充。
携帯食の干し肉バーを買おうと思って屋台に向かった時、聞き覚えのある声が耳に入った。
「これ、鮮度が落ちてますよ。色を見てください、表面が酸化してる。昨日の残りでしょう」
——シオンだった。
干し肉の屋台の前で、店主と話している。背負い袋を肩にかけて、右腕の青い布がいつも通り。
店主がむっとした顔をしている。
「うるせえ、嬢——兄ちゃん。これで十分だ」
「鮮度が落ちた干し肉は旨味成分が抜けます。日持ちも短くなる。この価格なら、もう少し状態のいいものを——」
「素人が偉そうに」
「素材屋で2年働いてました。干し肉の品質は見ればわかります」
シオンの声に、いつもの控えめさがない。穏やかだが、はっきり言い切っている。素材屋時代の目利き。この少年は、食材と素材のことになると急に芯が強くなる。
店主が気まずそうにしている。図星だったらしい。
「……ちっ。じゃあこっちだ。今朝仕入れた分」
奥から別の束を出してきた。シオンが手に取って、色と硬さを確認して、頷いた。
「これなら大丈夫です。3束ください」
取引が成立した。あたしは通りの反対側から、この一部始終を見ていた。
——見ていただけだ。偶然、同じ市場にいただけだ。市場は1つしかないのだから、同じ時間帯に居合わせるのは確率的に普通のことだ。
シオンが振り返った。あたしと目が合った。
「あ——イグリットさん!」
太陽みたいな笑顔。朝の市場で見ると、物理的にも眩しい。朝日が差し込んでいるせいだ。照明の問題。
「偶然ですね」
「偶然。何してるの、こんな朝早くに」
「今週の食材の買い出しです。干し肉と香辛料を補充しようと思って」
素材屋で鍛えた目利きで、食材も自分で選ぶタイプか。市場の朝一番に来るあたり、品揃えがいい時間帯を知っている。合理的な判断だ。
「イグリットさんは?」
「消耗品の補充。ポーション瓶と——」
言いかけて、手に持っている物に気づいた。干し肉バーだ。例の、段ボール味の100レイドの棒。さっき買ったやつが3本、ポーチから覗いている。
シオンがそれを見た。それから、自分が値切って買い付けた上質な干し肉を見た。
「イグリットさん、それ——」
「非常食」
「あの、僕の干し肉、1束お分けしましょうか。こっちの方が——」
「いらない。これで十分」
段ボール味で十分だ。味に贅沢を求めるのは非合理的だ。
シオンが何か言いたそうにしたが、飲み込んだ。代わりに、
「じゃあ、来月の弁当は干し肉を多めに使いますね」
「……好きにすれば」
あたしの携帯食の質に、間接的に介入しようとしている。遠回しだが、わかる。この少年の善意は、正面から断ると別のルートで回り込んでくる。水みたいだ。
並んで市場を歩くことになった。別に一緒に行動しようと決めたわけじゃない。同じ方向に買い物があっただけだ。
シオンが八百屋の前で立ち止まった。根菜を手に取って、断面を確認している。
「この人参、甘みが強い品種ですね。煮込みに使うと——」
独り言のように呟きながら、品定めをしている。素材屋の目利きが食材に転用された結果、シオンの買い物はやたらと効率がいい。良い品を正確に選び、適正価格かどうかを瞬時に判断する。
あたしが数字で世界を見るように、シオンは「モノの質」で世界を見ている。切り口が違うだけで、観察力の種類は——似ている。
「イグリットさん、今日はこの後ダンジョンですか」
「うん。浅層の日課」
「僕は午後からギルドで荷運びの依頼です」
「荷運び。鉄ランクの?」
「はい。倉庫間の運搬で、報酬500レイド。重いですけど、僕は荷車で鍛えてるので」
500レイド。あたしの浅層日課の4分の1。
この少年は文句を言わない。500レイドの仕事を「鍛えてるので」と笑って受ける。
市場の出口で別れた。シオンは「じゃあ、また」と手を振った。あたしは頷いた。
——「また」。
護衛依頼の時だけの「また」が、市場で偶然会った時の「また」にもなっている。接点が、契約の外に広がり始めている。
気づいているが、止める理由がない。市場で知り合いに会って挨拶するのは、社会生活の基本だ。合理的だ。
ダンジョンに向かう道すがら、ポーチの中の干し肉バーが目に入った。段ボール味。
隣に、シオンが「よかったら」と押し付けてきた干し肉が1束、入っている。「いらない」と言ったのに、別れ際にポーチにねじ込んできた。強引な善意だ。
……今夜、宿で食べ比べてみよう。
品質の差を数値化するためだ。味の評価は主観だが、食感と香りの差は客観的に記述できる。合理的な調査だ。
——断じて、楽しみにしているわけではない。
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