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「割に合わないので、辞めます。」 ——元金ランクの天才魔道士、全部計算で解決したかったのに計算外の相棒ができました——  作者: わんだ


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定点観測と、数えたくない数字

【定点観測と、数えたくない数字】


 午前中だけで角猪が7体出た。前回の初日は5体。40%増。


 街道を歩きながら、あたしはメモの数字を睨んでいた。

 第1区間:3体(前回1体)。第2区間:2体(前回2体)。第3区間:2体(前回2体)。数だけ見れば第1区間の増加が顕著だが、第2・第3区間でも個体のサイズが前回より大きい。成獣ばかりだ。若い個体がいない。

 つまり——山側から押し出されてきた成獣が、街道周辺の縄張りを奪っている。若い個体はさらに遠くに追いやられたか、淘汰されたか。生態系の玉突き現象だ。

 何が山側の角猪を追い出しているのか。より大きな捕食者か、あるいは——環境そのものの変化か。


「イグリットさん、角猪の素材、全部回収できました」


 シオンがナイフを拭きながら戻ってきた。7体中、あたしが仕留めた6体の素材処理はあたしがやったが、最後の1体——荷車を狙ってきた個体はシオンが足止めした後、あたしが仕留めた——の牙の回収はシオンに任せた。


「見せて」


 差し出された牙を確認した。2本とも、まあまあの出来だ。1本は根元の処理が少し雑で、歯茎の肉が残っている。もう1本は——綺麗に抜けている。


「右の方、80点。左は65点。肉が残ってると買取で減額されるから、次は——」

「根元をもう少し丁寧にですね。わかりました」


 あたしが言い終わる前に、シオンが自分で答えた。どこを直せばいいかを、自分で判断できるようになっている。

 前回は「すみません」だった。今回は「わかりました」。謝罪から理解へ。小さい変化だが、意味が大きい。


 昼の休憩は、前回と同じ泉のある休憩所で取った。石のベンチに座って、シオンの弁当の残りを食べる。


 午後、渓谷区間に入った。岩蜥蜴の出現区間。

 あたしは魔力探知の感度を上げた。前回はここで8体の岩蜥蜴に囲まれた。今回は——。


 探知に引っかかった反応を数える。


「——11」

「え」

「岩蜥蜴、11体」


 シオンの顔が強張った。前回の8体でも異常だった。11体は——。


「前回より3体多い。分布も変わってる。前回は街道の両側に散っていたけど、今回は——右の崖壁に集中してる。9体が右、2体が左」

「集中してるのは——」

「良いニュースと悪いニュースがある。良いニュースは、片側に集中してるから各個撃破しやすい。悪いニュースは、集中してる理由がたぶん——左側に何かもっと嫌なものがいて、蜥蜴がそっちを避けてる」


 シオンが息を呑んだ。


「もっと嫌なもの、って——」

「わからない。探知の反応が岩蜥蜴とは質が違う。大きい。でも——動いてない。眠ってるか、こっちに興味がないか」


 あたしは左の崖壁の上方に意識を向けた。確かに何かいる。魔力の質が、街道の魔物とは違う。重い。密度が高い。

 浅い層のダンジョン魔物とも違う。中層——いや、もっと深い層の。

 見たことがある気がした。アウレクスにいた頃、深層で感じた魔力の質感に似ている。似ているだけで、同じじゃない。劣化コピーのような、薄まった残響のような。


「……通り過ぎる。刺激しない。静かに、速やかに」


 あたしは声を低くした。シオンが頷いて、荷車の速度を少し上げた。車輪の音を最小限に抑えるために、石を避けて歩いている。言われなくても。


 右側の岩蜥蜴は、あたしが先行して処理した。荷車から離れた位置で、1体ずつ。音を立てない方法で。衝撃波ではなく、魔力の直接注入で神経を焼く。静かだが、魔力消費が大きい。指輪のせいで出力が制限されている分、精密さで補う。いつも通りだ。

 9体。1体あたり5秒。計45秒。

 左の2体は、あえて放置した。あの「何か」から離れたくないのか、街道に降りてくる気配がない。わざわざ刺激する必要はない。


 渓谷を抜けた時、あたしは深く息を吐いた。


「シオン」

「はい」

「あの区間、前回と何か違うと感じた?」

「……空気が重かった気がします。前回は岩蜥蜴がいるだけでしたけど、今回は——なんか、もっと怖かった。うまく言えないですけど」


 感覚は正しい。魔力を感知する訓練を受けていないシオンが「空気が重い」と感じたということは、あの存在の魔力はかなり強い。感知できないはずの人間にまで圧を与えるレベル。


 あたしはメモに書いた。「渓谷区間:岩蜥蜴11体(前回比+3、右側偏在)。左崖上に未同定の大型反応あり。魔力の質は深層種に類似。活動なし」

 ペンを持つ手が、少しだけ力んでいた。

 データは冷静に。感情はあとで。


「今日のデータ、まとめておく。前回との比較を数字で出す」

「僕にも教えてもらえますか」

「……なんで」

「僕もこの街道を歩くので。何が起きてるか、知っておきたいです」


 シオンの目が、まっすぐだった。前回、村で「何か知ってることがあるか」と聞いてきた時と同じ目。鋭い方の目。


「……今夜、野営の時に話す。今わかっていることだけ」


 シオンが深く頷いた。


 日が傾き始めた。前回と同じ場所で野営する。崖の張り出しの下。風が遮られて、周囲が見渡せる窪地。

 あたしの選んだ場所を、シオンは覚えていた。荷車を止める位置も、止め石の噛ませ方も、何も言わなくても前回と同じように動いた。


 焚き火の準備をするシオンの横顔を、ちらりと見た。

 右腕の青い布が、夕日に照らされている。使い込まれた藍色。何度も繕われた布地。

 あたしの魔力探知では、あの布の下だけが読めない。街道を歩いている間、何度かスキャンしたが、シオンの右腕だけがいつも空白になる。布が魔力探知を遮断している——そんなことがあるのか。普通の布なら、ありえない。

 気になる。でも、今聞くことじゃない。


 まずは、魔物のデータの話からだ。


毎日更新継続中。明日も同時刻に。


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