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「割に合わないので、辞めます。」 ——元金ランクの天才魔道士、全部計算で解決したかったのに計算外の相棒ができました——  作者: わんだ


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掲示板の端っこの常連

【掲示板の端っこの常連】


 それから2週間、あたしは銅ランクの日常を淡々とこなした。


 朝起きて、ダンジョンの浅層を回る。スライム、ゴブリン、たまに大ネズミ。全部片手間で処理して、素材を回収する。昼にギルドで依頼を1件受けて、午後に片付ける。薬草採取、害獣駆除、荷運び。猫捜索だけは断り続けた。あたしにだって譲れない一線はある。

 夕方に素材を売って、宿に戻って、収支を記録して、寝る。

 繰り返し。


 ゴルドの店には3日に1回のペースで通った。浅層の素材は単価が安いが、無傷で持ち込むあたしの品は他の冒険者の持ち込みより1割以上高い値がつく。ゴルドも心得たもので、3回目くらいから「嬢ちゃん」ではなく「イグリット」と名前で呼ぶようになった。


「イグリット、今日もスライムの核か。もうちょっと歯応えのある獲物はないのか」

「浅層にいるのはこの程度。文句はギルドのランク制度に言って」

「ふん。あんたの腕なら銀でも通用するだろうに。もったいねえ」


 ゴルドはぶっきらぼうだが、素材の目利きは確かだ。あたしが持ち込む品の状態を毎回正確に評価する。時々、素材の相場情報を教えてくれるようにもなった。

 取引先としては申し分ない。


 2週間で稼いだ額は、合計28000レイド。1日あたり2000レイド。銅ランクとしては上出来だ。

 上出来なのに、数字を手帳に書くたびに、2日で10327レイドの数字がちらつく。比較するなと言い聞かせても、あたしの脳は勝手に計算する。効率の差を、パーセンテージで。

 1日2000レイドと1日5163レイド。効率差は2.58倍。

 ——数字は正直だ。


 資料室には週に1回通った。月次の集計データが更新されるタイミングに合わせて。

 街道の魔物出現報告は、先月のデータが集計され始めていた。数字は予想通り——増加傾向が続いている。あたしが歩いた東街道だけでなく、北も西も南も。

 メモが少しずつ厚くなっていく。データが蓄積されるほど、描ける線が精密になる。でも、まだ足りない。あと2、3ヶ月分のデータがあれば、増加率の推移から「いつ臨界に達するか」の推定ができるかもしれない。

 臨界。何が起きるかはわからない。わからないから、データが要る。


 そんな日々の中で、あたしは1つ、自分でも予想しなかった変化に気づいた。


 掲示板を見る癖がついている。


 朝、ギルドに来ると、まず掲示板の全体を見る。銅ランクの依頼を選ぶためだ。それは前からやっていた。

 でも最近、依頼を選び終わった後も——掲示板の端に、ちらりと目をやるようになった。

 あの位置。小さな依頼書が貼ってあった場所。

 まだ何も貼られていない。来月の15日前後だと言っていた。まだ早い。


 ——別に待っているわけじゃない。掲示板の端まで視界に入るのは、あたしの視野が広いからだ。護衛の仕事で鍛えた周辺視野。そういうことだ。


 14日目の朝。

 いつも通りギルドに入って、いつも通り掲示板を見て、いつも通り依頼を選んで——。


 端に、紙が1枚。


 他の依頼書より一回り小さい。文字が控えめ。端がぴんと張っている。今朝貼られたばかりだ。


 「護衛依頼。街道沿いの村への素材運搬。日数:2日間(往復)」

 「報酬:1000レイド」

 「条件:銅ランク以上、ソロ可」

 「備考:道中の魔物素材は全て護衛者に譲渡します」

 「依頼主:シオン=サルヴェイン(鉄ランク)」


 ——同じだ。1文字も変わっていない。報酬も、条件も、あの律儀な備考も。

 2週間前にあたしが剥がした依頼書と、まったく同じ。


「あの」


 声がした。聞き覚えのある、妙に通る声。


「あ——イグリットさん」


 振り返ると、シオン=サルヴェインが立っていた。

 紺色の髪、白い一房。青い布を巻いた右腕。背負い袋と安物の剣。何も変わっていない。2週間前と同じ格好だ。——いや、ブーツが少しだけ綺麗になっている。磨いたのか。

 相変わらず背が高い。首が痛い。


「今、依頼書を貼りに来たんです。まだ早いかなと思ったんですけど——」

「15日前後って言ってたのに、早いね」

「薬草の仕入れが予定より早く揃って。それと、エルサさんから追加の注文が入ったので」


 村の薬師。回復薬の原料。魔物の増加で怪我人が増えているなら、需要が上がるのは当然だ。ジグが言っていた「畑の被害」の影響だろう。

 ——あたしのデータと符合する。


「出発はいつ」

「明後日の朝を予定してます。もし、受けていただけるなら——」


 シオンが言葉を濁した。「受けていただけるなら」。前回あたしが「見つけたら検討する」と言ったのを、ちゃんと覚えている。確約はしていない。だから「お願いします」ではなく「受けていただけるなら」。

 律儀というか、あたしの言葉をいちいち正確に覚えているのは——まあ、几帳面な性格だから当然か。


 あたしは計算した。

 明後日出発、2日間の護衛。素材売却の見込みは前回と同等かそれ以上——魔物が増えているなら、遭遇数も増える。収入は上振れする可能性が高い。

 街道のデータも取れる。前回との比較で、1ヶ月間の魔物分布の変化を定量的に測定できる。

 合理的に考えて、断る理由がない。


 ——断る理由がない、と判断するのに0.5秒もかからなかった。前回は掲示板の前で暗算に30秒かけたのに。


 なぜだろう。

 答え:前回の実績データがあるからだ。既知の変数で構成された方程式は、解くのが速い。それだけだ。


「受ける」


 シオンの顔がぱっと明るくなった。あの笑顔。太陽。前回と同じだ。

 ——今回は目を逸らさなかった。慣れた。太陽を直視する訓練ができたのだ。合理的な適応だ。


「ありがとうございます! 明後日、東門に日の出で——」

「知ってる。前と同じでしょ」

「はい。あの、今回はお弁当、もっと美味しく作ります」

「頼んでない」

「護衛の方の食事を確保するのは——」

「それ禁止って言った」


 シオンが笑った。あたしは依頼書を掲示板から剥がした。2度目だ。

 受付で手続きを済ませた。今回は受付嬢も慣れたもので、銅×鉄のランク差に何も言わなかった。ただ「前回もご利用ありがとうございました」とにこやかに処理してくれた。プロだ。


 ギルドを出た。昼前の下層の通りは、いつもの喧騒。鍛冶屋の音。屋台の呼び込み。酒場の笑い声。

 シオンは「荷物の準備があるので」と先に帰っていった。背負い袋を揺らしながら、人混みの中を歩いていく背中。170cmの背中は、下層の雑踏の中でもよく見える。


 あたしは反対方向に歩き出した。

 明後日の準備をしよう。ポーチの中身を確認して、消耗品を補充して、背負い袋の容量を確保して。前回より魔物が増えている可能性が高い。素材の回収量も増えるだろうから、袋がもう1つ必要かもしれない。

 あと——干し肉バーは、やめておこう。あいつが弁当を作ると言っていた。合理的に考えて、栄養価の高い食事の方が戦闘パフォーマンスに寄与する。だから携帯食は非常時の予備だけでいい。


 ……弁当を楽しみにしているわけじゃない。栄養効率の問題だ。


 ポーチの中でギルド証が揺れた。赤銅色の板。初日は重く感じたそれが、今はもう気にならない。

 重さが変わったんじゃない。あたしの手が慣れただけだ。


 2週間前、あたしは「来月の予定を感情で固定しない」と言った。合理的な人間は、状況に応じて最適な判断を更新し続けるものだと。

 ——事実、あたしは状況に応じて判断を更新した。データを見て、数字を計算して、合理的に「受ける」と決めた。感情ではなく、計算で。


 完璧に合理的な判断だ。


 なのに、掲示板で依頼書を見つけた時——計算するより先に、足が止まっていた。

 そのことについては、今は考えない。


 明後日の朝、東門。日の出。

 あの街道を、もう一度歩く。

毎日更新継続中。明日も同時刻に。


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