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「割に合わないので、辞めます。」 ——元金ランクの天才魔道士、全部計算で解決したかったのに計算外の相棒ができました——  作者: わんだ


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銅ランクの日常と、段ボール味の平和

【銅ランクの日常と、段ボール味の平和】


 ダンジョン浅層は、相変わらず退屈だった。


 第1階。薄暗い石の通路。天井から垂れる苔が微かに発光していて、足元をぼんやりと照らしている。空気は湿っていて、地下特有のひんやりした冷気が肌に触れる。

 前方に、スライムが2体。

 ゼリー状の半透明の身体が、通路の壁に張りついてゆっくり蠕動している。こちらに気づいたのか、鈍い動きで這い寄ってきた。


 右手を軽く振った。赤い光が2つ。2体同時に弾けて、核だけが床に転がった。

 スライムの核、1個50レイド。2個で100レイド。


 ……時給換算が虚しくなるのでやめておこう。


 浅層を回るのは3日ぶりだ。街道から戻って、素材を売って、資料室で情報を集めて、翌日から通常業務。銅ランクの冒険者の日常。

 第2階まで降りて、ゴブリンの群れを処理した。5体。雑魚だが数が出る。素材は耳の先端と爪。品質が良ければ1体あたり120レイド。あたしの魔法なら全部無傷で回収できる。

 第3階。薬草の採取エリア。フェリグラスの群生地を見つけて、依頼分の50束を刈り取った。ここは慣れた作業だ。刈り方を間違えると薬効成分が抜けるので、根元から3センチ上を水平に切る。これも素材処理の一種だ。


 午前中で依頼1件、薬草採取1件、ダンジョン素材の回収。合計2100レイド。

 悪くない——いや、正直に言えば物足りない。街道の2日間が日給5000レイド超えだったせいで、感覚が狂っている。2100レイドは銅ランクとしては平均的な稼ぎだ。贅沢を言うな。


 ダンジョンを出て、地上に戻った。昼過ぎの下層は活気がある。冒険者たちが午前の稼ぎを持って素材屋に並び、そのまま酒場に流れていく。あたしは素材を売って——ゴルドの店に持ち込んだ。浅層の素材は品質加算が少ないが、それでも重量買取の店よりは高い。


「嬢ちゃん、今日は随分とおとなしい品だな」


 ゴルドが浅層素材を見て苦笑した。2日前に角猪と岩蜥蜴の無傷素材を持ち込んだ客が、スライムの核とゴブリンの爪を売りに来たのだ。落差が激しいのは自覚している。


「浅層しか入れないので」

「ランクか。もったいねえな」


 ゴルドはそれ以上聞かなかった。素材屋は客の事情に踏み込まない。それがこの商売の礼儀だろう。ジグと同じ、職人気質の人間だ。


 宿に戻って、遅い昼食。1階の食堂で定食を頼んだ。500レイド。厚切りの肉と硬いパンとぬるいスープ。初日に食べたのと同じメニュー。

 肉にかじりついた。うん、変わらない。粗挽きの黒胡椒。脂の焦げた端。相変わらず上品じゃないが、腹にたまる。

 ——でも、なんだろう。3日前と比べて、少しだけ味気ない気がする。

 気のせいだ。同じ定食だ。同じ味のはずだ。


 ……シオンのサンドイッチとか、トルテばあちゃんの煮込みとか、そういうのと比べているわけじゃない。比べる意味がない。あれは旅先の食事で、これは日常の食事だ。カテゴリが違う。


 午後はもう1件、依頼をこなした。下層の倉庫整理。報酬800レイド。肉体労働系だが、重い荷物は魔法で浮かせて運べるので、あたしにとっては楽な仕事だ。

 積み上げられていたのは、「段板ダンボール」の箱。古紙や繊維の端材を層にして固めた、下層物流の必需品だ。木箱より軽く、使い捨てができるほどに安い。合理的だが、湿気ると埃臭く、およそ食用とはかけ離れた代物。

 倉庫の主人が「嬢ちゃん便利だなあ」と感心していたが、元金ランクの魔道士を倉庫整理に使っているという事実は誰も知らない。知らなくていい。


 夕方、宿に戻った。

 今日の収支。ダンジョン素材と依頼報酬で合計2900レイド。宿泊費と食費を引いて、純利益2100レイド。

 悪くない。でも、良くもない。

 ベッドに寝転がった。スプリングが軋む。天井の染みを数える。7つ。昨日と同じ。

 

 携帯食の干し肉バーをポーチから出した。街道に持っていったやつの残り。1本100レイドの段ボール味。非常食として取っておいたが、今は非常事態ではない。

 齧った。

 ……やはり、あの倉庫に積まれていた段ボールと同じ味がする。


 ——この3日間で、あたしの舌が贅沢になったとしたら、それはシオンのせいだ。あいつの弁当のせいだ。合理的な食事に余計な比較対象を作りやがって。


 手帳を開いて、今月の収支をまとめた。

 アウレクスの精算金。シオンの護衛依頼の収入。今日のダンジョン稼ぎ。合計すると——当面の生活には困らない。

 来月も同じペースで稼げば、半年分の蓄えができる。1年あれば、もう少し設備のいい宿に移れるかもしれない。スプリングがまともなベッドのある宿に。


 手帳の隅に、資料室で書き写したメモが挟まっている。

 魔物の出現頻度。3ヶ月前からの増加率。「深層種の可能性」の一行。


 これを追うには、データが足りない。

 東街道の定点観測は来月の護衛依頼で1回目が取れる。他の街道のデータは資料室の月次集計を追えばいい。ダンジョン内部の情報は——銅ランクでは浅層しか入れない。中層以深のデータは、誰かから聞くか、ランクを上げるしかない。

 ランクを上げる。

 銅から銀に上がれば中層に入れる。中層のデータを自分の目で確認できる。

 ——ランクを上げる合理的な理由が、また1つ増えた。


 寝返りを打った。スプリングが抗議する。

 合理的な理由ばかりが増えていく。護衛依頼を受ける理由。データを集める理由。ランクを上げる理由。全部、数字と論理で説明できる。

 あたしの人生は合理で回っている。問題ない。


 隣の部屋から、いびきが聞こえてきた。壁が薄い。

 街道の夜は——もっと静かだった。虫の声と、焚き火の音と、遠くの谷川のせせらぎ。


 それは単に、環境音の質が違うだけの話だ。街道の方が静かなのは当然で、下層の宿が騒がしいのも当然で、そこに何の感傷もない。

 ない。


 目を閉じた。

 明日も浅層を回る。銅ランクの日常。効率的で、安定していて、計算通りの毎日。

 それがあたしの選んだ生活だ。


 ——あと17日。


 15日前後、とシオンは言っていた。来月の。薬草の仕入れ周期に合わせて。

 別にカウントダウンしているわけじゃない。ただ、護衛依頼の想定収入を月の収支計画に組み込むなら、日数を把握しておくのは当然だ。

 合理的だ。

 合理的な、カウントダウンだ。


 ……寝よう。

毎日更新継続中。明日も同時刻に。


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