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「割に合わないので、辞めます。」 ——元金ランクの天才魔道士、全部計算で解決したかったのに計算外の相棒ができました——  作者: わんだ


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資料室と、3ヶ月分のズレ

【資料室と、3ヶ月分のズレ】


 ギルド本部の資料室は、2階の奥にある。


 冒険者が使うのは1階の受付と掲示板だけで、2階に上がる人間はほとんどいない。階段を上がると、下の喧騒が嘘のように静かだった。廊下の壁に「資料室・閲覧は自由・持ち出し禁止」と書かれた古い看板がかかっている。

 扉を開けると、埃っぽい空気が鼻を突いた。


 広くはない。本棚が壁沿いに並び、中央に閲覧用のテーブルが2つ。窓から差し込む光が、棚に積まれた革表紙の記録簿の背表紙を照らしている。

 先客はいない。当然だ。依頼をこなして稼ぐのに忙しい冒険者が、わざわざ過去の記録を漁りにくるはずがない。データの価値を理解している人間は——少なくとも下層には、あたしくらいだろう。

 自惚れじゃない。事実だ。数字を読める人間が少ないから、あの依頼書が2週間も放置されていたのだ。


 棚のラベルを確認していく。依頼記録、ランク登録簿、魔物討伐報告——あった。


 「街道・野外 魔物出現報告(月次集計)」。


 分厚い革表紙の記録簿を3冊、テーブルに運んだ。過去3年分のデータが収められている。ギルドに所属する冒険者が、街道や野外で魔物と遭遇した際に提出する報告書の集計だ。

 冒険者は報告を義務付けられているわけではない。だが護衛依頼や討伐依頼の完了報告に付随する形で、遭遇した魔物の種類と数が記録される。統計としては精度が低い——報告する人間としない人間がいるから。

 でも、傾向を見るには使える。


 あたしは記録簿を開いて、数字を追い始めた。


 エルドヴァレス東街道。角猪の出現報告数。

 1年前:月平均12件。

 半年前:月平均14件。

 3ヶ月前:月平均19件。

 先月:23件。


 岩蜥蜴。

 1年前:月平均8件。

 半年前:月平均9件。

 3ヶ月前:月平均14件。

 先月:18件。


 右肩上がり。

 しかも、増加率が加速している。1年前から半年前の増加は緩やかだが、3ヶ月前から急激に跳ね上がっている。


 あたしは白紙を1枚引き寄せて、数字を書き出した。月ごとの増減率を計算し、グラフの代わりに傾きを数字で追う。

 角猪は3ヶ月前を境に月あたり15~20%の増加。岩蜥蜴は同時期から25%以上の増加。

 ——3ヶ月前に、何かが変わった。


 3ヶ月前。

 あたしがアウレクスに報告書を提出したのが4ヶ月前。握り潰されたのがその直後。

 つまり、あたしが異変を報告した時点では既に加速が始まっていた。報告が通っていれば、3ヶ月前の段階で調査が入っていたはずだ。それが握り潰された。


 ——怒りの感情が湧いた。数字が感情を裏付けている。珍しい。


 あたしは感情を棚に上げて、次の記録簿を開いた。


 街道だけじゃない。他の区域のデータも見たい。

 北街道。西街道。南の山道。ダンジョン周辺の野外区域。

 全部、同じ傾向だった。


 3ヶ月前を起点に、エルドヴァレス周辺の全方位で魔物の出現頻度が増加している。東街道だけの局所的な現象ではない。放射状に、均等に。

 まるで——中心から何かが押し出されているような分布だ。


 中心。

 エルドヴァレスの中心にあるもの。


 ダンジョン。


 あたしは椅子の背もたれに身体を預けた。天井を見上げる。古い木の梁に、蜘蛛の巣がかかっている。

 アウレクスにいた頃に書いた報告書の内容が蘇る。深層の魔力反応の異常。中層への深層種の流入。あの時は「ダンジョン内部の問題」だと思っていた。でも——。

 ダンジョンの内部で起きている異変と、地上で起きている魔物増加が、同じ原因から来ているとしたら。


 規模が違う。あたしが想定していたよりも、ずっと大きい。


 ——でも、今のあたしに何ができる?


 銅ランクのソロ冒険者。盟約なし。後ろ盾なし。ギルドに報告を上げたところで、辺境の村からのジグの報告と同じ扱いを受けるだけだ。数値データを添付しても、「銅ランクの小娘が何を言ってるんだ」で終わる。

 アウレクスにいた時ですら握り潰されたのだ。今のあたしが声を上げても、誰も聞かない。


 合理的に考えれば——今は黙って、データを集め続けるしかない。

 来月、シオンの護衛依頼で東街道を往復すれば、今回との比較データが取れる。1ヶ月間隔で魔物の分布を定点観測できる。3回、4回と繰り返せば、増加のペースと方向性が推定できる。

 それだけの精度が揃えば、ギルドも無視できなくなるかもしれない。


 ——来月の護衛依頼を「受ける理由」が、また1つ増えた。

 合理的な理由が。


 メモに数字をまとめ直して、ポーチにしまった。

 記録簿を棚に戻す前に、もう1つだけ確認した。ダンジョン内部の魔物出現報告。こっちは冒険者の報告義務があるので精度が高い。


 浅層の出現数は——ほぼ横ばい。変化なし。

 中層は——データが少ない。銀ランク以上しか入れないから、報告の母数が小さい。だが、少ないデータの中に気になる記述があった。


 「第12階にて、通常出現しない種の目撃報告あり。種の同定は不完全。報告者注記:深層種の可能性」


 日付は2ヶ月前。


 あたしはその一行をメモに書き写して、記録簿を閉じた。


 資料室を出た。階段を降りると、1階の喧騒が戻ってきた。掲示板の前に冒険者がたむろしている。依頼を選ぶ顔。昨日の稼ぎを自慢する声。酒臭い笑い声。

 誰も、数字の変化に気づいていない。

 まあ、気づく必要がないのかもしれない。目の前の依頼をこなして、今日の飯を食う。それが冒険者の日常だ。

 あたしだって3日前まではそうだった。銅ランクのソロ依頼を回して、効率よく稼ぐ。それだけを考えていた。


 今は——少しだけ、見える景色が変わっている。

 いや、変わったんじゃない。見ようとしているだけだ。


 掲示板の前を通り過ぎようとした時、ふと目が止まった。

 掲示板の端。見覚えのある位置。あの小さな依頼書が貼ってあった場所。

 今は別の依頼書が貼ってある。当然だ。あたしが剥がしたんだから。


 ——来月の15日前後。

 あの場所に、また小さな依頼書が貼られる。


 あたしは掲示板から目を逸らして、ギルドを出た。

 今日の午後はダンジョンの浅層を回る。銅ランクの日常を取り戻す時間だ。

毎日更新継続中。明日も同時刻に。


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