帰り道の値段
【帰り道の値段】
午後、村を発った。
「ありがとう、シオンくん! 来月も待ってるよ!」
「気をつけてね。護衛のお嬢さんもまた来てね!」
「シオン、次は鎌の柄も頼むぞ」
「はい! 必ず届けます!」
村の入口で、何人もの村人が見送ってくれた。トルテばあちゃんは「道中のおやつ」と言って、包みを2つ持たせてくれた。マルタは「またおいで」とあたしの手を両手で握った。温かくて、ざらざらした、畑仕事の手だった。
ジグだけは見送りに来なかった。代わりに、シオンの剣を無言で研いでくれていた。鍛冶屋なりの見送りだろう。
村の屋根が丘の向こうに消えるまで、シオンは何度も振り返って手を振っていた。
「……いつもあんなに盛大に見送られるの」
「いえ、今日は特別でした。イグリットさんがいたから」
「わたしのせい?」
「おかげ、です。村の人たちは、シオンくんを守ってくれた人に感謝したかったんだと思います」
守ったのはあたしじゃなくて契約だ。金を貰って護衛しただけだ。
——でも、村の人たちはそう思っていない。あたしが「シオンを守った人」として扱われた。金銭契約の護衛ではなく、「大事な子を守ってくれた人」として。
その差が、あたしにはまだうまく飲み込めない。
帰りの街道は、行きより静かだった。
荷車が空なのでシオンの足取りが軽い。車輪の音もカラカラと乾いた、気持ちのいい音だ。風が草原を渡って、午後の日差しが暖かい。
「イグリットさん」
「ん」
「今回の依頼、引き受けてくれてありがとうございました」
シオンが立ち止まって、深く頭を下げた。
「おかげで、全部無事に届けられました。岩蜥蜴の時も、角猪の時も——イグリットさんがいなかったら、僕だけじゃ無理でした」
事実だ。8体の岩蜥蜴に1人で対処するのは鉄ランクには不可能だ。下手をすれば荷車ごと全滅していた。
でも。
「あなたも荷車を守った。それは事実」
「……でも、ほとんどイグリットさんが」
「ほとんどとか関係ない。守ったか、守らなかったか。あなたは守った。それだけ」
シオンがまた、あの太陽みたいな笑顔を浮かべた。あたしは前を向いて歩き続けた。顔を見ていると、なんか調子が狂う。
しばらく黙って歩いた。帰りの街道は魔物の気配が薄い。行きに掃除した効果がまだ残っているのだろう。あたしが倒した角猪と岩蜥蜴の分、縄張りに空白ができている。2、3日は安全なはずだ。
それでも魔力探知は切らない。何かあった時に備えるのは護衛の基本だ。右手の指先に淡い赤光を灯して、定期的に周囲をスキャンする。反応なし。静かな午後だ。
街道脇の草むらで、小さな青い花が揺れている。行きには気づかなかった。戦闘モードで歩いていたからだろう。帰りは——少しだけ、景色を見る余裕がある。
「次の依頼は、いつ」
あたしの口が勝手に動いた。また。
「え?」
「次の運搬依頼。いつ出すの」
シオンが目を丸くした。それから、少し戸惑ったように——でも、どこか嬉しそうに答えた。
「来月の15日前後です。薬草の仕入れ周期に合わせて」
「次も護衛の依頼を出す予定は」
「あの——出したいです。でも、報酬が」
シオンの声が小さくなった。1000レイドの護衛料。彼の収入を考えると、毎月出すのは厳しいだろう。
あたしは計算した。
シオンの護衛依頼に同行することのメリット。
街道の魔物素材:角猪と岩蜥蜴で1回あたり7000~10000レイド。往復2日。日給3500~5000レイド。
ダンジョンのソロ潜りと比較すると——正直、大差ない。むしろ街道の方がリスクが低い分、安定している。
デメリット。
2日間ダンジョンに潜れない。その分の機会損失。
ただし、魔物の分布が変わっているなら、街道の情報収集には価値がある。ダンジョンの異変との関連を調べるためのデータが必要だ。
「報酬はそのままでいい」
「え」
「1000レイド。前と同じ。その代わり、道中の魔物素材は引き続きわたしが全回収する。それで十分ペイする」
シオンが口をぱくぱくさせた。
「で、でも、前回みたいに岩蜥蜴が大量に出たら——素材だけで何千レイドにもなるのに——」
「だから割に合うって言ってるの。わたしが損する取引はしない」
嘘じゃない。計算上は黒字だ。
魔物素材の売却益を考えれば、この依頼はあたしにとっても「割に合う」。それに、魔物分布の変化を定点観測できるのは情報として価値がある。次回との比較データが取れれば、異変の進行速度を推定できる。
——割に合う。
本当にそうか? あたしは今、純粋に経済的な合理性だけで判断しているか?
村のおばあちゃんの煮込みの味が、まだ舌に残っている。
マルタの手の温かさが、まだ手のひらに残っている。
シオンが村人に「ありがとう」と言われるたびに浮かべた、あの笑顔。
全部、あたしの収支計算には載らない項目だ。
「あの——本当にいいんですか」
「何回聞くの。いいって言ったらいい」
「じゃあ——来月も、よろしくお願いします」
シオンが右手を差し出してきた。握手。仕事の契約の形。
あたしはその手を取った。大きくて、荒れていて、でも温かい手。
「よろしく」
短く答えて、すぐに手を離した。
シオンの手は、剣のタコと荷車のタコで硬くなっていた。強い手じゃない。でも、仕事を続けてきた手だ。2年間、この街道を1人で歩き続けた手。
——それだけの情報を、一瞬の握手で読み取ってしまうあたしも大概だ。
夕暮れの街道を、2人で歩いた。
空がオレンジ色に染まっていく。長い影が2つ、街道の先に伸びている。大きいのと、小さいの。身長差のせいで影も格差がある。地味に腹立つ。
トルテばあちゃんのおやつの包みを開けた。中身はクルミのクッキーだった。一口かじると、サクッと崩れて、バターの風味とクルミの香ばしさが口の中に広がった。甘すぎず、歩きながら食べるのにちょうどいい。
シオンにも1つ渡した。「ありがとうございます」と笑って受け取った。
明日の朝にはエルドヴァレスに着く。素材を売って——角猪5体と岩蜥蜴8体の素材、売却見込みは9000レイド以上——宿に戻って、次の仕事を探す。いつもの日常だ。
ただ、帰ったらギルドの資料室に寄ろう。街道の魔物分布の過去データがあるはずだ。ここ数ヶ月の変化を追えば、異変の範囲がわかるかもしれない。
でも——「次の依頼」が決まっている日常は、昨日までとは少しだけ違う。
「イグリットさん」
「ん」
「次は、もっと美味しいお弁当作りますね」
「……頼んでない」
「護衛の方の食事を確保するのは依頼主の——」
「そのセリフ使い回すの禁止」
シオンが笑った。あたしも——ほんの少しだけ、口の端が上がった。たぶん。
クルミのクッキーが美味しかったからだ。それ以外の理由はない。
帰りの街道は、行きより——ほんの少しだけ、短く感じた。
合理的な理由は——たぶん、荷車が空で歩くペースが上がったからだ。
うん。それ以外の理由は、今は考えない。
街道の向こうに夕日が沈んでいく。オレンジ色が綺麗だった。
——綺麗な夕日を見て「綺麗だ」と思うのは、合理的じゃなくて普通のことだ。たぶん。




