計算外の信用
【計算外の信用】
鍛冶屋は村の東端にあった。
石と煉瓦で組まれた頑丈な建物で、煙突から黒い煙が上がっている。近づくと、カンカンという金属を打つ音が規則正しく響いていた。炉の熱が外まで伝わってきて、朝の冷えた空気を押し返している。
「ジグさーん!」
シオンが扉を開けて声をかけると、金槌を振るっていた大柄な男が手を止めた。50代くらい。腕が丸太みたいに太い。鍛冶屋らしい、というか鍛冶屋そのものだ。
「おう、シオン。遅えぞ。あと2日来なかったら迎えに行くとこだった」
「すみません、出発が1日遅れて。でも鉱石、全部持ってきました」
シオンが荷車から鉱石の入った木箱を降ろした。ずしりと重い。あたしが手を出そうとする前に、ジグが片手で軽々と受け取った。鍛冶屋の腕力は冒険者とは別方向に化け物だ。
「ん、見せろ——」
ジグが木箱を開けて、鉱石を1つずつ手に取って確認した。光に透かしたり、指で弾いて音を聞いたり。目つきが変わっている。職人の目だ。
「……いい状態だな。欠けも割れもない。運搬中の衝撃対策、変えたか?」
「はい。緩衝材の量を増やして、あと箱の中で鉱石同士がぶつからないように仕切りを入れました」
「仕切り? 前は入ってなかったぞ」
「今回から工夫してみたんです」
——昨日あたしが言った「衝撃を避けろ」を、薬草だけじゃなく鉱石にも応用したのか。しかも自分で仕切りまで考えて。
正直に感心した。こういう「学んだことを別の領域に転用する力」は、戦闘力よりずっと役に立つ場面がある。
「ほう。成長したじゃねえか」
ジグがシオンの頭をがしがしと撫でた。170cmのシオンが子供みたいに見える。ジグがでかすぎるのだ。
シオンは嫌がりもせず、照れたように笑っている。鍛冶屋の荒い手つきにも慣れている様子だ。何度もこうされてきたんだろう。
「で、そっちの嬢ちゃんは」
あたしを見たジグの目が、一瞬だけ鋭くなった。
——見る目がある。鍛冶屋は武具を扱う。武装した人間の実力を、装備と佇まいから読み取る目を持っている。あたしの装備は安物じゃない。それに、魔力の気配を完全に隠すのは今の制限状態では無理だ。
「護衛のイグリットさんです」
「護衛ねえ。嬢ちゃん、随分と——いや、やめとくか。野暮だな」
ジグが何か言いかけて、飲み込んだ。「随分と実力がありそうだ」とでも続けるつもりだったのだろう。
賢い判断だ。あたしの素性を掘り返されるのは面倒だから。
炉から立ち上る熱気に、鉄が焼ける匂いが混じっている。壁にかかった剣や農具は、どれも使い込まれた実用品ばかりだ。華美な装飾品は1つもない。この村の鍛冶屋は、芸術家じゃなくて職人だ。村の暮らしを支える道具を作る人。シオンと同じで、ここにしかいない種類の「なくてはならない人」。
「鉱石の代金だ。シオン」
ジグが革袋を渡した。シオンが中を確認して——一瞬、目を見開いた。
「ジグさん、これ多くないですか。鉱石5キロで1500レイドのはずですけど」
「品質加算だ。今回の鉱石は状態がいい。欠けがないってことは、俺が整形する手間が減る。その分だけ上乗せした。文句あるか」
「文句なんて。ありがとうございます!」
シオンが深く頭を下げた。ジグは「ふん」と鼻を鳴らして炉に向き直った。照れ隠しだろう。この村の人間は、揃ってシオンに甘い。
鍛冶屋を出て、次は雑貨屋だ。
「雑貨屋のトルテばあちゃんは、村の入口の近くです。帰り道に寄れます」
「トルテばあちゃん?」
「あ、すみません。村の人はみんなそう呼んでるので、つい。トルテさんです」
雑貨屋は古い木造の建物で、入口の上にぶら下がった看板が風で揺れていた。「なんでも屋トルテ」と手書きの文字。扉を開けると、鈴がちりんと鳴った。
店内は狭いが、棚にぎっしりと商品が並んでいる。日用品、食料品、農具、布地。なんでも屋の名に恥じない品揃えだ。ただし全体的に古い。エルドヴァレスの下層の店よりさらに品揃えが限られている。こういう辺境の村では、物資の確保自体が難しいのだろう。
奥からゆっくりと老婆が出てきた。腰が曲がっていて、杖をついている。でも目は澄んでいて、あたしたちを見て顔をくしゃっとさせた。
「シオンや。来たかい」
「トルテさん、こんにちは。今月分の雑貨、持ってきました」
シオンが荷車から最後の荷物を降ろした。塩、香辛料、針と糸、石鹸、ロウソク。生活必需品だ。どれも村では手に入らないか、手に入っても割高になるもの。
トルテばあちゃんが1つずつ確認しながら、ゆっくりと棚に並べていく。シオンが自然にそれを手伝っている。高い棚には手が届かないばあちゃんの代わりに、上段に商品を並べる。
「ありがとうねえ。毎月毎月、遠い道を。危ないだろうに」
「大丈夫です。今回は護衛のイグリットさんもいましたし」
「まあ。可愛らしいお嬢さんだねえ」
可愛らしいお嬢さん。
……まあ、148cmの童顔が武装してても、80歳超えのおばあちゃんの目には「可愛らしいお嬢さん」に見えるのだろう。否定する気力もない。むしろ、ここまで悪意のない言い方をされると腹も立たない。あたしがイラつくのは「子供」呼ばわりであって、「可愛い」は——いや、別に嬉しくはない。ないったら、ない。
「これ、お駄賃。少ないけど」
トルテばあちゃんが、しわくちゃの手でシオンに小さな袋を渡した。中身は——おそらく数百レイド程度だろう。
シオンは丁寧に受け取って、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。来月もちゃんと届けますね」
「ああ、待ってるよ。気をつけてお帰り」
店を出ると、全ての納品が完了していた。シオンが手帳の最後の項目にチェックを入れた。
「納品完了です。全部無事に届きました」
ほっとした顔。肩の力が抜けている。この瞬間のために、あの街道を歩いてきたのだ。
空の荷車が、行きより軽い音を立てている。使命を果たした荷車だ。
あたしは内心で今回の依頼の収支を計算した。
シオンの収入:依頼報酬(各納品先からの受取合計)——推定3000~4000レイド。そこから護衛料1000レイドを引いて、残り2000~3000レイド。往復3日分の食費と消耗品を差し引くと——。
手元に残るのは、1000レイド程度か。3日間の労働で、1000レイド。
1日あたり約330レイド。
エルドヴァレスの下層の日雇いが500レイドだ。
——割に合わない。誰がどう計算しても。
なのにこの少年は、「ありがとう」と言われただけで、あの笑顔になれる。
「イグリットさん、お昼、ご馳走になりませんか。村の集会所で、みんなが歓迎してくれるみたいで」
「歓迎?」
「はい。護衛の方が来るのは初めてなので、村の人たちが張り切って。トルテさんが声をかけてくれたみたいです」
断る合理的な理由を探した。
午後はまだ早い。帰路に使う体力は十分ある。食事は携帯食があるが、温かい食事の方が栄養効率がいい。村人との情報交換は、今後の依頼に役立つ可能性がある。
——全部、後付けの理屈だと自分でわかっている。
「……行く」




