山門編-初国知らす王の章(42)-出雲の荒王(13)
<これまでのあらすじ>
豊秋津島の青垣山籠もれる山門の国は、俳優の少年御統と黒衣の少女豊、そして多くの人の活躍と犠牲で剋軸香果実の厄災を乗り越えた。
天孫の磐余彦狭野姫は、手研の乱を鎮めたあと、名を日照と改め、旅の仲間とともに出雲へ向かう。
日照たちは吉備の統治を巡る争いに巻き込まれ、山門人の武彦とともに吉備の正統を取り戻す。
日照は次兄の稲飯が出雲主の座を簒奪し、荒王と怖れられていることを知り、出雲へ向かう。
出雲の首邑、日隅邑に到着した日照は牢の呪を打ち祓い、出雲主たる次兄と対峙する。
誓約により次兄に誠心を認められた日照だったが、出雲主の側近、振根から横槍を入れられる。
日照は占縄引きの勝負に応じるが、まさかの敗北。永久の巌の呪いが彼女を助けた仲間もろとも白い石に変える。残された豊城彦と豊鍬姫は日隅邑から脱出する。
≪是非ご一読ください。ご感想、ご評価をいただけましたら幸いです。≫
<人物紹介>
豊城彦
俳優の少年・御統と黒衣の少女・豊の生まれ変わり。入彦を父として育つ。自由奔放。
豊鍬姫
俳優の少年・御統と黒衣の少女・豊の生まれ変わり。入彦を父として育つ。呪能に秀でる。
入彦
磯城族の氏上。厄災を乗り越え、一角の人物に成長する。磯城の県主。
美茉姫
入彦の妻。明るい美しさの女性。淑やかであり、闊達でもある。
活人
入彦と美茉姫の子。引っ込み思案で臆病者だが、やるときはやる。いつも兄と姉に翻弄される。
大彦
入彦の伯父で舅。怪力無双。豪放な性格だが、娘の美茉姫には頭が上がらない。
石飛
磯城族の青年。入彦の舎人。
百襲姫
磯城族の斎宮。入彦の大伯母。呪能は無尽蔵。
翠雨
入彦の愛馬。御統の友人。濡れたような深い青色の毛並み。
如虎
黒豹。豊の友人。厄災後は、磯城の三輪山の森の中で静かに暮らしている。
翔
豊鍬姫になついている熊鷹の子。
日照
旧名は狭野姫。かつて天孫族の氏上であり、磐余彦を号して山門主であった。超絶美女だが、乱暴でわがまま。入彦を慕っている。
手研
故人。狭野姫の年上の甥。狭野姫が唯一甘えられた人物。入彦に狭野姫を託して逝く。
珍彦
狭野姫の忠臣。手研の盟友。
道臣
狭野姫の忠臣。手研の盟友。
吾曽利
天孫族の有力者。狭野姫に不満を抱いている。山門近傍に潜伏し、捲土重来を期す。
太忍
葛城族の氏上。山門の権力掌握をもくろむ。
雄心
旧名は剣根。太忍の庶子。過去の所業を悔やみ、日照の従者となる。
五瀬
故人。狭野姫の長兄であり、手研の父。高千穂族とともに東の真秀場を目指し、天孫族を号する。初代の天津彦。
五十鈴媛
五瀬の後妻。出雲族の出身で、製鉄技術者集団と縁が深い。手研にとっては、同年代の継母。
香魚
両性具有の人。神々も魅了する美しい瞳を持っている。
荒王
出雲を実効支配する。元の名は稲飯。日照の実兄。
五十鈴依媛
須賀族の氏上。出雲の荒王となった稲飯を秘かに想う。
秀火
元須賀族。妖言により荒王の配下となっていたが、日照に解放される。
若彦
元須賀族。妖言から解放されていたが、稲作で荒王を支える。
<用語>
高天原:天上世界
豊秋津島:物語の舞台
葦原中国:豊秋津島の別名
山門:豊秋津島のほぼ中央に位置する地方
青垣山:山門の周囲を囲む山並み
筑紫洲:豊秋津島の西部にある大きな島で、白日、豊日、建日、日向の四地方を持つ
真:先端の文明が栄えている西の海の果ての大陸
氏上:一族の族長
天神地祇:八百万の神々
祖霊:祖先の霊魂 氏上は死ぬと神上がって祖霊となる
精霊:森羅万象に宿る魂
魑魅:山林の異気から生まれた邪霊
厄災:山門を呪いによって支配していた饒速日の体制を瓦解させた大災
剋軸香果実:高天原の神々が下界に投げ捨てた邪心が凝固したもの いつか高天原に帰ることを望み、時を戻す霊力を蓄えるため大地に寄生して石の花を咲かせる
草原を吹き渡る風も、夏草の匂いも、振り切るようにして豊城彦は駆け通した。日照たちを助けることができず、ただ逃げることしかできない己がたまらなく悔しく、挫折の思いが溢れ出る涙となって、彼の足跡を濡らした。
日隅邑の正門を如虎の背に乗って飛び出した豊城彦は、癇癪に耐えかねたように如虎の背から飛び出し、何か分厚い理不尽の壁を突き破ろうとするかのように駆けたのだ。何もできない弱い己という現実を振り切ろうとした。
豊城彦は、彼の涙が尽き果てた頃、ようやく駆けるのを止め、内蔵を突き上げてきた疲労を叢に嘔吐した。それから、叢の中に身体を投げ出した。
背の高い夏草は、すっかり豊城彦の身体を隠している。たとえ出雲族の追手がいたとしても、広大な草原の中に児童の姿を見つけ出すのは困難を極めるだろう。
草の穂の先に、夏の空が見えた。白い雲が流れてゆく。その光景が、豊城彦の目に、白く石化していく日照たちの姿を思い見させた。枯れたはずの涙が湧き出し、豊城彦は、今度は静かに泣いた。
夏草を分けて、黒い獣が現れた。如虎である。その背には同母妹が乗っており、彼女の肩には若い熊鷹が止まっていた。
「…豊鍬、吾を見損なったであろう」
当然そうあるべきだと言いたげな涙声であった。なげやりになっているわけではない。ただ、自負していたほど、自分が大した人物でなかったことに期待外れだったのだ。
「わたくしとて、そんなもの…」
と、応えようとした豊鍬宮は、ふと夏風の合間に水の音を聞き、如虎の背を下りてそちらに向かった。しばらくして戻ってきた彼女の手には水を満たした椀があった。
妹の気配りを察知した豊城彦は拗ねたように横を向いたが、水が近づくと、椀を奪うようにして飲み干した。
一息ついた豊城彦は、ぼんやりと夏空を見た。視界にある、下から見上げる豊鍬姫の面立ちがやけに澄明で、何か誰にも見えないものを見つめているような不思議な眼差しをしていた。
「高光る 日鳥は待たむ天雲の ゆきてやこずと たれか言ふらん」
豊鍬姫の歌声が、朝日が野露を輝かしていくようにして広がった。
そうだ。再び日照たちのもとへ戻らぬと、誰が言ったというのか。
豊城彦は体を起こした。彼の胸元にしっかりと留まっているものがある。
「…韓久がいた」
斎庭の門の陰に確かにいた。牢の呪いを仕掛けた癪に障る男の白々顔を見間違えるはずはない。
「八重の言代の民を御穂邑に訪ねよ。氏上の勇魚に助けを求めるのだ。肥川の野を末まで行き、獣入りの海の橋立を渡り、陰面を日へ迎えば御穂邑に至る。勇魚は八重の言代主である」
韓久は確かにそう言った。全力で逃走する豊城彦との一瞬の交差に、それだけの情報を伝え得たのは、それが単なる言葉でなく、呪力を帯びた言霊だったからだろう。
韓久の言霊は、無我夢中で走り続ける豊城彦の胸に葈耳の実のようにくっつき、ここに至るまで離れなかった。
豊城彦が韓久の言霊を噛むようにして呟くと、彼の胸元に留まっていた言霊は拭ったように消えた。
「勇魚を探しに行こう」
新しい朝を迎えたように、豊城彦は威勢良く立ち上がった。しかし、韓久の言霊が 行く先を大まかに示しているとはいえ、童子の背丈を隠すほどの草原が広大である。御穂邑までの合理的な道筋を知らなければ、たどり着くまでにどれだけの日時を要するかわからない。邪霊がどこに潜むかもしれない原野の徘徊は、童子二人には危険すぎる。
そういった懸念を兄に伝えたあと、豊鍬姫は何かを探すかのように辺りを見渡した。
長い齢を重ねた喬木の下枝に二羽の大瑠璃が遊んでいるのを見つけた豊鍬姫は、その喬木へ静々と近づいた。下枝の真下にくると、豊鍬姫は、彼女を不思議そうに見つめる二羽の大瑠璃に語りかけた。
「天馳、天馳。わたくしたちを肥川の原のその末まで連れて行っておくれ」
二羽の大瑠璃は鈴の音のような豊鍬姫の声に触れると、心地よさげに目を細め、互いに顔を見合ったあと、おもむろに下枝を飛び立った。
「あの恋人同士が道を教えてくれるでしょう」
豊鍬姫はそう宜って、如虎の背に跨った。
「あいつらは、そうなのか」
豊城彦は驚いた。彼の眼には、二羽が雄なのか雌なのかもわからない。
「見ればわかるでしょ」
目を流した豊鍬姫に童女とは思えぬ艶があり、豊城彦は鳥肌を立てた。もちろん、情欲をそそられたわけではない。あえていえば日照化しつつある妹に、兄としてその将来を案じたのである。女人として美しいに越したことはないが、美しさがあまりに過ぎると、人が愛すには神々しすぎるということがある。超越した美しさが、必ずしも幸せを招くとは限らない。男として、兄として、豊城彦はそんなことに薄々気づきつつある。だが、今はその心配を後回しとしなければならない。
豊城彦も如虎の背に乗った。兄妹を乗せても、軽々と跳躍するほど、如虎は逞しい四足獣である。
大瑠璃の二羽を追った。二羽は大空を飛翔する生き物なだけあって、野末まで、地形に詳しいようだ。時折は相談するように翼を寄せ合い、如虎に行く先を示した。仲睦まじい二羽は、ときどきじゃれ合って、如虎の背の兄妹を呆れさせた。
原野のことであるから、どこの木陰から猛禽が飛び立ち、大瑠璃の恋人同士を襲うかしれない。実際、そういう場面をあったが、翔が素早く追い払った。
翔も熊鷹の子であるから、普段は小鳥を捕食することもある。だが、今は、自分の役割をしっかりと理解していた。
夜を迎えると、豊鍬姫が手際よく結界を張った。日照直伝のこの呪いであれば、地祇級でない限り、いかな邪霊も兄妹の眠りを邪魔することはない。
一夜目は干し肉を啄む翔を二羽は怖れたが、次の日、また襲い来たった猛禽を翔が撃退すると、二羽は彼を信頼したのか、並んで飛ぶようになった。
鳥でも、種族を越えて信頼することがあるのだと、如虎の背の兄妹は学んだ。
二夜を越すと、翌朝、行く手の景色が輝きを放った。海面が夏の陽射しを照り返しているのである。
獣入りの海である。
「あの美味い蜆が捕れる海だよなぁ」
と、二日前の出来事など忘れたかのような豊城彦の言い草である。頼もしい兄に戻ったのだと、豊鍬姫は安心した。
大瑠璃の恋人同士の生息域はここらが限りであったようで、二羽は申し訳なさげに豊鍬姫に告げた。
「ここまでありがとう。とても助かりました」
二羽を両の手のひらに迎えた豊鍬姫は、夏風の中で、柔らかい二羽の頭頂に唇で触れた。
「さぁ、おゆきなさい」
言霊から解き放たれると、二羽はしばらく近くの空を旋回し、翔とも別れの挨拶をしてから、遠くへ飛び去っていった。
ちなみにこのあと、翔は小鳥を捕食することをしなくなり、もっぱら川魚や蜥蜴、蛇などに狙いを定めるようになった。彼等にとっては、いい迷惑だろう。
さて、眼の前に海が広がった。獣入りの海である。暑気を帯びた夏風邪は、この海に小波を立てることで、涼風となった。なお、海といいながら、実際のところは湖である。
「橋立を渡れ」
と、韓久の言霊は言った。橋立とは砂や礫が波に運ばれて堆積した砂州である。
獣入りの海の岸辺を日竪に上る、つまり東に向かうと、しばらくして橋立の根本に着いた。
ここから先の案内人を、豊鍬姫は湖面の中に探した。だが、陽光を灯した群青色の湖面は、そこに棲むもの姿を容易に窺わせなかった。
「吾と同母兄の企図、もしも事成るのであれば、魚、多に頭をいだせ」
豊鍬姫が呪言を湖面に注ぐと、たちまち煮え立ったように沸き立ち、無数の魚が我勝ちに頭を出した。
魚の一匹に、立派な背びれを持つ鱸を見つけた豊鍬姫は、
「海駆、海駆。わたくしたちを肥川の原のその末まで連れて行っておくれ」
と、あたかも一本釣りをするかのように、鱸の口に言霊を放り込んだ。鱸は勇躍して湖面に跳ね、銀白色の腹をきらめかせた。
「勇魚との話はうまくいきそうだ」
脳天気な顔をした豊城彦に豊鍬姫は微笑みを向けて、
「さぁ、あの鱸の背びれを追っていきましょう」
と、如虎を促した。
兄妹は如虎の背で、夏風に溶け込んだように砂州を疾駆した。鱸の背びれは、輝く旗指物のように、常に右手前方に掲げられていた。
途中、橋立を横切る細流が幾筋かあったが、いずれも浅く、舟を要さずに渡ることができた。
橋立を末までゆくと、大地は思い立ったように隆起している。東西に延びる大地の脊陵である。その隆起の背面は侵食された険しい崖が海に落ち込んでいるが、影面には狭い野がある。その野には、草花と灌木に埋もれながらも、人の営みの証拠である径が認められた。
その径に踏み入ったとたん、痛烈な悪寒が兄妹を襲った。背中を虫が駆け上ってくるような寒心に豊城彦が身震いしたのであるから、霊感の特別に鋭い豊鍬姫は長い黒髪逆立てるほど怖気を震った。
径に呪いが施されていた。注意深く周囲を観察していれば、叢に隠れて、呪眼の彫り込んだ小さな石像を見つけられただろう。
兄妹は、急速な身体の脱力に抗いようもなかった。兄妹だけでなく、まず、宙にいた翔が叢に堕ち、次に如虎が横倒しになった。投げ出された兄妹は、複数の足音を聞いたあと、視界から色彩を失った。
足音は四人の男のものであった。彼らは、男女の童の傍に立ち、他に黒毛の獣と若い熊鷹を認めると、目語を交わして、互いに頷いた。男たちは、彼等の呪いにより昏倒した異邦人たちを肩に担ぐやら、担い棒に括り付けるやらして運び始めた。彼等の向かう先は、八重族の邑である御穂邑だ。
その邑は、低い丘が岬となって獣入りの海に突き出たり、入江が深く切り込んだりした地形の奥まった曲浦にあった。
御穂邑から吹いてくる風には、剣呑とした匂いがある。さざなむ湖水の群青、夏の日差しを照り返す山肌の翠緑は美しいが、その佳景に挟まれた御穂邑の風貌はいささか無粋であった。
豊城彦と豊鍬姫には与り知らないことながら、かつての御穂邑は、佳景に際立つ雅趣を持たなかったが、景観を損なわない程度の質朴さであった。ところがここ数年で、眠っていた獣が危険を察知して逆毛を立てるように表情を激変させた。
湖水を引く濠を広く深くし、土塁を盛り、その上には切り出したままの木材を粗々と並べた柵や物見櫓が立った。
その厳しい顔つきの御穂邑に、豊城彦たちは運び込まれた。
やがて、風の刺々しさに不快な目覚めを迎えた豊城彦は、空がいつもより近い気がして、怪訝な顔を作りつつ、上半身を起こした。頭の中にまだ眠りの残滓があるようなぼんやりとした思考で、辺りを見渡す。
台の上で横臥していたらしい。豊鍬姫と如虎、翔も、近くで横たわっていることを確認し、とりあえず豊城彦は安堵した。
鳶が口笛を吹きながら旋回している。べつに珍しくもない。が、その鳶が、台の上に伸ばされた豊城彦の足よりも低い位置を飛んでいることに、彼は頭の中の夢の残り香を慌てて追い出した。慌てて飛び起きた豊城彦は、危うく、自身が現世から追い出されるところであった。
風の刺々しさの理由がわかった。彼等はいま、地上高く立てられた一本足の台に載せられているのだ。
台の縁からおそるおそる覗くと、眼下遥かに、御穂邑の物見櫓が見えた。この台を支えている柱は、台の中央部から一本足で地上の岩場に伸びており、とてもそこをつたって降りられそうもない。
どうやら邑人が外界との境に施した呪いに触れ、気を失っている間に、この友好を一片も感じない、悪意を積み上げたような高層の台に運ばれたようだ。
豊城彦の狼狽の気配を察して、豊鍬姫も目を覚ました。そして、兄が一通り実践した無駄な作業を妹も反復した。
(…なるほど、妹なのだな)
豊城彦がそう感心している間に目を覚ました如虎と翔も、手引書でも見たように同じ行動を繰り返した。
「もう、同じことをしないで」
そう気色ばんだ豊鍬姫に、
「いや、汝も気をつけろ」
咄嗟に豊城彦は注意した。
ともかく、兄妹と一匹と一羽は、彼等が決して楽観的な状況にないことを理解した。
「何か、へんじゃないかしら」
辺りを見渡していた豊鍬姫が表情を強張らせた。
彼女らが置かれた状況もさることながら、確かに異様だった。
この高層の台の上空に、鳥が集まっている。はじめに見かけたのは鳶一羽であったが、それが仲間を増やしたうえに、いつの間にか、烏や鶚、鷹、鷲の類まで旋回している。
「この台はやつらの集会場だったとか…」
豊城彦は場を和ませようとしたが、不穏な気配に押し切られた。鳥たちは、この台に親睦を深めに集まったというよりは、食事を前にお預けを食らった欲求不満を駄々漏らしているように思えた。耳障りに交わし合う鳴き声は、誰がどの獲物に嘴を刺すか相談しているようにも聞こえた。
身震いするような想像を振り払うように下界へ視線を逃した豊城彦は、一つの人影を見つけた。それは、嫌な予感をいや増すような、持箒者の身ごしらえでそこにいた。
「おーい」
豊城彦の呼びかけに気づいた持箒者は顔を上げたが、その表情を読み取れない高みに台はある。だが、決して友好的でないことは感じとれた。
「ここはどこなのか、教えておくれよ」
憐憫の情を掻き立てるべく、豊城彦はできるだけか弱い声を出してみたが、うまくいかなかった。持箒者の返事はそっけない。
「ここがどこかはともかく、これからどこへ行くのかを考えたほうがいい。常世の原に迎えられるのか、根の堅州に堕ちるのか。まぁとりあえずは、鳥の腹に収まることになるがな」
持箒者は、意地の悪い性格らしい。それはともかく、この台は、豊城彦がその想像を嫌ったように、鳥葬の場であるらしかった。死者の葬送ならその方法も尊いだろうが、生者にとっては酷な話である。
「ここは八重族の御穂邑だろ。吾らは異邦人には違いないが、勇魚に会いに来ただけなんだ」
豊城彦は、もう弱者の声色は使わなかった。
「ふん。出雲族が童子を装って氏上に近づこうとても、そうはいかぬわ」
「待て待て、吾らは出雲族ではないぞ」
「では土蜘蛛か魑魅の類であろう。鳥の腹が汝どもの収まるところに相応しい」
持箒者は、問答も面倒とばかりに立ち去ろうとしたが、それこそ三光鳥のような豊鍬姫の澄声が、彼の足を止めた。
「八重族は、言代の民であると聞きました。であれば、すでにわたくしたちの訪れを知っておられたのではないですか?わたくしたちが邪な心映えで勇魚様に会いに参ったのではないこともわかっておられましょう?」
豊鍬姫の向上は、素気無い態度の持箒者の気を多少引いた。
「なるほど、道理ではある。が、我には与り知らぬこと。我はただ葬りの穢れを祓うのが務め。斎主であれば、何か知っておろうがな」
「ならば斎主様にどうかお尋ねください。わたくしたちを、このまま鳥の葬るままにしてよいのか否か」
持箒者は顎に手を添えて、無駄な作業をすべきかどうかを考えた。豊鍬姫の可憐な声で訴えられては、さすがに惻隠の情がわく。
「無駄足だとは思うが、まぁ斎宮に参るだけは参ってみよう。我が戻ってくる前に鳥どもの腹に収まらぬよう、汝らの祖霊に拝んでおくがよい」
持箒者は己の義侠心が誇らしいのか、高笑いを残して姿を消した。
豊城彦たちにとっては笑い事ではない。幸い、彼等の荷物も台に放置されていたから、そこから勝軍木の木剣を拾い上げた豊城彦は、先走りに嘴を刺しに来た烏の一羽を打ち懲らしめた。
「やれやれ、さっきのやつの足が兎より早いといいけど」
豊城彦は妹を護るように木剣を構えた。雄心に稽古を付けられた彼の剣技は、童子の域を軽く凌駕している。
勝軍木の木剣が切っ先を向ける上空で、数十羽の鳥たちが渦を巻いている。どうやら、誰がどの獲物を食するかについて、鳥同士の話がついたようである。
なぜ、死者を土に埋めるのでしょうか?
現在では、墓地・埋葬に関する法律で、いわゆる土葬が定められています。この場合の土葬には、火葬のあとに遺骨を墓地や納骨堂に納めることも含まれます。
もっとも古い埋葬の例は、およそ10万年前のネアンデルタール人がそうですが、我が国では旧石器時代の土坑とみられる遺構が発見されています。縄文時代からは土葬の形跡が確認されているようです。体を折り曲げて土中に埋める屈葬や、手足を伸ばした伸展葬などを日本史の授業で習った方は多いかと思います。
弥生時代になると甕棺墓が用いられるようになり、古文時代には一部の権力者が古墳に埋葬されるようになります。
火葬がみられるようになるのは、仏教が伝来した飛鳥・奈良時代で、ごく一部の貴族において行われました。火葬が一般的と成るのは、江戸・明治期以降のことです。
さて、なぜ死者を土中に埋めるかですが、いろいろな説が考案されています。死者の復活をおそれたとするもの(屈葬)、死後の世界での復活を願ったとするもの(死者の世界は地下にあると考えられたようです)、衛生上の理由とするもの、死者を放置した場合の親族の心情を慮ったとするもの、等々です。おそらく、どれか1つの理由ではなく、いろんな理由が含まれているのだろうと思います。
ご存知のとおり、人は女性の体内から生まれでます。大地の穴を女性の体内に見立て、死者をもといた場所に戻すため、というのが、個人的には一番しっくりくる考えです。
我が国の歴史では、鳥葬が行われた事実は確認されていないようですが、出雲地方の一部では、鶏肉や鶏卵を忌忌避するという文化があるようです。その原因となった伝承は鳥葬とは何の関係もありませんが、そこからヒントを得て、今回のお話としてみました。




