山門編-初国知らす王の章(41)-出雲の荒王(12)
<これまでのあらすじ>
豊秋津島の青垣山籠もれる山門の国は、俳優の少年御統と黒衣の少女豊、そして多くの人の活躍と犠牲で剋軸香果実の厄災を乗り越えた。
天孫の磐余彦狭野姫は、手研の乱を鎮めたあと、名を日照と改め、旅の仲間とともに出雲へ向かう。
日照たちは吉備の統治を巡る争いに巻き込まれ、山門人の武彦とともに吉備の正統を取り戻す。
日照は次兄の稲飯が出雲主の座を簒奪し、荒王と怖れられていることを知り、出雲へ向かう。
出雲の首邑、日隅邑に到着した日照は牢の呪を打ち祓い、出雲主たる次兄と対峙する。
誓約により次兄に誠心を認められた日照だったが、出雲主の側近、振根から横槍を入れられる。
≪是非ご一読ください。ご感想、ご評価をいただけましたら幸いです。≫
<人物紹介>
豊城彦
俳優の少年・御統と黒衣の少女・豊の生まれ変わり。入彦を父として育つ。自由奔放。
豊鍬姫
俳優の少年・御統と黒衣の少女・豊の生まれ変わり。入彦を父として育つ。呪能に秀でる。
入彦
磯城族の氏上。厄災を乗り越え、一角の人物に成長する。磯城の県主。
美茉姫
入彦の妻。明るい美しさの女性。淑やかであり、闊達でもある。
活人
入彦と美茉姫の子。引っ込み思案で臆病者だが、やるときはやる。いつも兄と姉に翻弄される。
大彦
入彦の伯父で舅。怪力無双。豪放な性格だが、娘の美茉姫には頭が上がらない。
石飛
磯城族の青年。入彦の舎人。
百襲姫
磯城族の斎宮。入彦の大伯母。呪能は無尽蔵。
翠雨
入彦の愛馬。御統の友人。濡れたような深い青色の毛並み。
如虎
黒豹。豊の友人。厄災後は、磯城の三輪山の森の中で静かに暮らしている。
翔
豊鍬姫になついている熊鷹の子。
日照
旧名は狭野姫。かつて天孫族の氏上であり、磐余彦を号して山門主であった。超絶美女だが、乱暴でわがまま。入彦を慕っている。
手研
故人。狭野姫の年上の甥。狭野姫が唯一甘えられた人物。入彦に狭野姫を託して逝く。
珍彦
狭野姫の忠臣。手研の盟友。
道臣
狭野姫の忠臣。手研の盟友。
吾曽利
天孫族の有力者。狭野姫に不満を抱いている。山門近傍に潜伏し、捲土重来を期す。
太忍
葛城族の氏上。山門の権力掌握をもくろむ。
雄心
旧名は剣根。太忍の庶子。過去の所業を悔やみ、日照の従者となる。
五瀬
故人。狭野姫の長兄であり、手研の父。高千穂族とともに東の真秀場を目指し、天孫族を号する。初代の天津彦。
五十鈴媛
五瀬の後妻。出雲族の出身で、製鉄技術者集団と縁が深い。手研にとっては、同年代の継母。
香魚
両性具有の人。神々も魅了する美しい瞳を持っている。
荒王
出雲を実効支配する。元の名は稲飯。日照の実兄。
五十鈴依媛
須賀族の氏上。出雲の荒王となった稲飯を秘かに想う。
秀火
元須賀族。妖言により荒王の配下となっていたが、日照に解放される。
若彦
元須賀族。妖言から解放されていたが、稲作で荒王を支える。
<用語>
高天原:天上世界
豊秋津島:物語の舞台
葦原中国:豊秋津島の別名
山門:豊秋津島のほぼ中央に位置する地方
青垣山:山門の周囲を囲む山並み
筑紫洲:豊秋津島の西部にある大きな島で、白日、豊日、建日、日向の四地方を持つ
真:先端の文明が栄えている西の海の果ての大陸
氏上:一族の族長
天神地祇:八百万の神々
祖霊:祖先の霊魂 氏上は死ぬと神上がって祖霊となる
精霊:森羅万象に宿る魂
魑魅:山林の異気から生まれた邪霊
厄災:山門を呪いによって支配していた饒速日の体制を瓦解させた大災
剋軸香果実:高天原の神々が下界に投げ捨てた邪心が凝固したもの いつか高天原に帰ることを望み、時を戻す霊力を蓄えるため大地に寄生して石の花を咲かせる
白砂に長大な縄が現れた。十人もの男手によって運び込まれたその縄は、葛の繊維で綯われた子綱を三本縒り合わせた巨大なもので、大人の大腿部ほどもある太さは、大蛇を想わせる。
「これは占縄である」
振根は白砂が沸き立ち、斎庭の土塀によじ登っていた見物人の幾人かが転がり落ちるほどの大声を出した。
日照にとっては言わずもがなであるが、占縄は聖と邪、常世と現世とを明確に区分し、それぞれの領域を占めさせるものである。
「この占縄をもって、汝の赤き心を問うてやろう」
日照の虚実を、占縄によって顕かにしようと言うのである。
「この綱を互いに引き合い、己が領地に相手を引き込めば正しきといたそう。どうだ、この誓約、受けるや否や」
綱引き勝負をしようと言うのである。無論、単純な力比べではなく、呪能の勝負である。
で、あれば、日照が受けて立たぬはずがない。彼女は、斎庭に斜に渡された大綱の一方に立った。
日照の全身には闘志と呪能が漲っているが、傍目に見れば、筋骨隆々の武人と柳腰の女人の力比べである。公平な勝負でないことは一目瞭然であるし、いつの時代も民衆は、権力者に立ち向かういじらしい挑戦者の味方である。ましてその挑戦者が神秘的なまでに艷やかな女人ともあれば、なおさらである。
振根は斎庭に投げ込まれてくる物言いや悪言を、むしろ心地良く聞いた。民衆の声を剛力で踏みしだいてこそ支配は盤石となり、彼の嗜虐性は満足される。
「天常立尊、国常立尊、国狭槌尊に言挙げ奉る。千引きの占縄をば引き渡し、もしも赤き心あらば野蒜を引き抜くがごときに引き寄せられん。邪き心あらば、根の堅洲の巌のごときに動かざり、永久の巌の災いを受けん」
太縄を、強欲を根こそぎもぎ取るような手でむんずと掴み上げ、
「さぁ、この誓約、受けるや否や」
と、振根は日照を睨み据えた。
「受けてたちましょう。ただし」
日照は、早春の光る風のような軽やかさで、占縄の傍にふわりと立ち、
「赤きこころ顕かならば、巌の災い、八雲立つ出雲の天地から消え去れ」
と、誓約の宣言を継ぎ足した。
日照は推察している。秀火から聞いた話では、出雲の首邑、ここ日隅邑には、二体の石像が石像があるという。誰が設置したかもわからぬその石像こそ、出雲の正統支配者とその妻の変わり果てた姿であろう。彼等に永久の巌の災いをもたらした元凶は、この眼の前の武人に相違ない。であれば、この邪悪な野望を秘めた武人が誓約を挑んできたことを幸いとして、自らの赤き心を示すとともに、出雲族の氏上を虜囚としている巌の災いを祓ってしまおう。日照の意図はそういうことであり、この時点で、彼女は、自らの敗北を考えていない。
しかし日照ほど悠然と構えていられないのが、雄心である。彼は日照の背後にたち、彼女の許可を得ぬまま太綱に己の腕を巻き付けた。無論、日照に加勢しようというのである。
雄心だけでなく、白砂の外で待機していた秀火も駆け出し、雄心と争うようにして、その後ろに並んだ。
日照はおせっかいな二人の男に睨む目を向けたが、雄心も秀火も、怒ってなお美しい日照の眼差しを受けても、ここは退くつもりはなかった。
その光景を見て、大いに頷いたのが、斎庭を囲んでいる出雲人、役人、門守たちであった。雄心と秀火の加勢は、いわば観衆の許諾を得たのである。
「よかろう、まとめて、蕪青のように引き抜いてやろう」
振根にとっても、三人まとめて処理したほうが都合が良い。
それならばと、袖をまくって参加しようとした豊城彦は、流石に日照のきつく窘める目に足を止めた。
この間、稲飯は一言もなく、台上から白砂での場景を見下ろしていた。
「何人来ようと我は構わぬぞ」
振根は太い右腕を占縄に絡ませた。それから顔を上げて、台上の稲飯へ 目配せした。頷いた稲飯はおもむろに台の縁に立った。
稲飯は一度、空を見た。陽射しが白雲を灼くような夏の空である。眼下に視線を移せば、すでに両者の体勢は整っている。
「いざ、はじめ」
稲飯の号令で、占縄に綯われた葛の繊維に強烈な力と緊迫が伝播し、占縄はあたかも一本の鉄棒であるかのように張り詰めた。
占縄の緊張の両端を掴むのは日照と振根だ。日照は彼女と彼女の後ろにいる雄心、秀火との六本の腕で綱を引き、振根は右腕一般で均衡を保った。彼の筋肉が隆起し、衣の袖が裂けた。
「汝、真虫、百足、前に進むもの」
日照が占縄に言霊を振りかけると、縄は一瞬身震いし、習性に目覚めたかのように、ひたすら日照等の方へ進み始めた。ちなみに真虫は蛇、百足は蜈蚣のことである。
振根が足が一歩、前へずれた。しかし、この男が不気味に微笑むと、その足は大地と一体化したかのように動かなくなった。
振根は空いていた左手をおもむろに懐へ入れ、一枚の鏡を取り出した。黒曜鏡である。背面には怪異な巨人が見事に鋳込まれた出雲族の宝鏡である。その宝鏡を出雲主である稲飯でなく、振根が臆面もなく所持しているそのことが、今の出雲族の実態を表している。それはそうとして、鏡面を覗き込んだ振根の顔つきが、凶悪になった。
「志羅紀の三埼を引き訖えつ、意宇!北門の佐伎を引き訖えつ、意宇!」
一言唱えるたびに、この男の筋肉が隆起し、衣の肩は砕裂し、胸元は引き裂かれた。
抗い難い力に日照等三人は引かれた。己を蛇か蜈蚣かと思い込んでいた占縄は、突然、尻尾を強烈に引き込まれ、驚きと怖れに目を丸くしたようであった。
「北門の良波を引き訖えつ、意宇!高志の都都の三埼を引き訖えつ、意宇!」
見る間に日照の身体が振根に引き込まれてゆく。
「日靈、おいでなさい」
日照が咄嗟に叫ぶと彼女の衣の懐が眩しく輝き、光の粒子が迸ったかと思うと、たちまち白光を放つ巨大な白烏が出現した。日照の式霊である。
日霊は一度大きく飛翔すると、たちまち状況を理解して、占縄の先端を逞しい脚爪が掴んだ。日霊が羽ばたくと烈風が起こり、振根の引く綱が動かなくなった。
「戯、汝もゆけ!」
雄心の掛け声に応じて、彼のまつろひである四つ腕の猩々も出現して、綱を引いた。
再び、日照側が占縄を引き戻した。
観衆は息を詰めて拳を握りしめるやら、励声を投げかけるやらした。
僅かに引かれながら、振根は不気味な笑みを浮かべた。
「志羅紀の三埼を引き訖えつ、意宇!北門の佐伎を引き訖えつ、意宇!」
その呪言を唱えるたびに、振根の筋肉は膨張し、剛力を増した。振根の怪力が、日照の呪力を凌駕しかけた。
日照は信じられぬ光景に戦慄した。天神地祇でなくては、日照の呪力を超えることなどできぬはずであった。
「大地に熟寝し種々(くさぐさ)の物種、物成れ木通のごと、物成れ実葛のごと」
日照の言霊を注がれた地面から、見る間に無数の蔓草が伸び、占縄に絡んだ。それによって、振根の怪力としばしの均衡が保たれた。
「さかしきことよ」
振根は、綱に左手を置いた。
「北門の良波を引き訖えつ、意宇!高志の都都の三埼を引き訖えつ、意宇!」
振根が両腕に剛力を漲らせると、綱に絡んだ無数の蔓草を引きちぎり、まるで野蒜を引き抜くように日照等を引き倒した。
占縄はもはや振根の自在である。
日照等は地面に投げ出され、戯は執拗に食い下がったが、凧のように振り回された挙句、地面に叩きつけられ、その衝撃で光の粒子となって飛び散り、雄心の懐にある鏡に逃げ込んだ。
飛翔した日霊はその鋭利な脚爪で振根に襲いかかろうとしたが、日照に制され、彼女もまた光の粒子に戻って鏡に帰った。
日照は立ち上がり、衣や肌について汚れを軽く払った。
斎庭の白砂は、ずいぶんと荒れた。その現実よりもはるかに殺風景となるのは、まもなく日照に振り降りてくるであろう誓約の占形による光景である。その占形の兆しは、すでに彼女の足元に現れている。
「誓約の占形は明らかである」
振根は勝ち誇った。
「三柱の尊も照覧たまえ。須賀族の使人を騙る者の邪心は明らかに曝された。出雲の主者を誑かさんとする賊には、永久の巌の災いがくだされるであろう」
振根が宣告し終わらぬうちに、斎庭の四囲から悲鳴と怨声があがった。
ちなみに三柱の尊とは天常立尊、国常立尊、国狭槌尊を指している。
さて、斎庭の四囲から沸き起こった悲鳴や怨声は、日照の足元から這い上ってきた永久の巌の災いが、彼女の照り輝くような肌を漆喰のような白さで覆い、彼女の明眸が白い闇に閉ざされてしまうと、失望の沈黙に沈んだ。
妹が石化されている様を台上で眺めていた稲飯は、苦しげな表情を見せたものの、それは一瞬であった。
斎庭には振根の高笑いだけが響き渡り、彼の暴威に陰らされた出雲の天空に晴れ間を望んだ出雲人の悲嘆のため息がその助奏となった。
希望や願望すら石化したような無明の場景にあって、光明を失っていない者がいた。
豊城彦と豊鍬姫という兄妹の瞳は、輝きを失っていない。二人は白い永久に沈む直前の日照から笑顔を向けられた。
「御身を信じています」
日照の明眸は、声音よりも明瞭に兄妹の胸に響いた。
豊城彦と豊鍬姫は、この斎庭から脱出すべく駆け出している。
小さな影の疾走に目ざとく気づいた振根は、大音声で、門守に兄妹の捕獲を命じた。
振根の指揮下にありながら、あわよくば主の斥退を願っていた彼等は、我が身の保身のためにも、是が非でも兄妹を捕らえねばならなかった。
長棒を振り上げた門守が兄妹に殺到した。だが、気の毒にも次の瞬間、彼等は身体のあちこちに火傷を拵えて悲鳴を上げることになった。
豊城彦は秀火から託された火埋布の嚢から、目にも止まらぬ早業で火産霊の呪いを染み込ませた小石を投擲したのである。その秀火は、日照と同じように巌の災いを被り、石化している。しかし、幼いといえども豊城彦にはわかっている。秀火も、そして雄心も、日照と共に豊城彦を信じているのだ。門守風情に捕らえられるわけにはいかない。
門守では埓があかぬとみた振根は舌打ちし、童相手にあろうことか、配下の兵衛に跡を追わせた。
兵衛は弓を持っている。その弓を矢継ぎ早に鳴らした。
弦が振るうたびに勁矢が兄妹を襲った。
観衆が悲鳴を上げ、目を背けたそのとき、兄妹は飛翔した。黒い獣が二人を乗せて跳躍したのである。
如虎であった。日頃は昼寝好きの彼も、友の危機には疾駆する黒風となる。
一人の門守が閂を抱いて門扉を閉じようとした。が、彼は悲鳴を上げて閂を放り投げた。若き熊鷹の翔が鉄剣よりも鋭い嘴で門守の頭を突いたのだ。
豊城彦と豊鍬姫は門を抜け、斎庭を脱した。
門扉を駆け抜けるとき、そこに居た人物が言葉を投げかけた。
その言葉を受け止めて、兄妹は逃げていった。
AIの回答を鵜呑みにして、本人の想像を超えた不幸な結果を招いてしまった事件が、社会の大きな関心を呼びました。
人というのは、いつの時代でも超越した何かからの啓示を欲する生き物であるようです。
どんな質問にも瞬時に答えを出してくれるAIは、ちょうど、古代人にとっての占いのようなものではないでしょうか?
現代人がPCやスマホの画面に文字を打ち込むように、古代人は獣骨を焼いたり、蓍の束を選り分けたり、人の顔や手をまじまじと見つめたりしたのでしょう。
ところで、獣骨や蓍は文字を返してくれませんので、古代人には占形を読み解くという作業がありました。その作業の中で、ときに忖度したり、ときに忠言を織り交ぜたり、読み解く者の経験や道理で濾過していたようです。占形を鵜呑みにしない分、古代人の方が現代人よりも理知的であったのかもしれません。
AIも尋ねられたことにストレートに答えるのではなく、なぞなぞを投げかけるように答えを返せば、現代人も考えるという作業をするのかもしれません。




