第54話 夏祭り(2)
花火は。
思ったより長く続いた。
夜空いっぱいに咲く大輪の光が、赤や青や金色に色を変えながら次々と広がり、そのたびに周囲から歓声が上がる。
刑部市の夏祭りは規模こそ大きくない。
けれど。
だからこそなのかもしれない。
どこか近いのだ。
花火も。
祭囃子も。
人々の笑い声も。
全部が。
手を伸ばせば届きそうな距離にある。
「……」
少年はずっと空を見ていた。
言葉もなく。
ただ静かに。
見上げていた。
その横顔を見ていると、不意に思い出す。
ほんの数日前まで。
彼は世界中を見ていた。
いや。
見過ぎていた。
一人の人間が一生かけても知ることのできない情報を抱え込み、文明の興亡を観測し続け、数え切れない人生を記録し続けた果てに、自分自身が何を感じているのかさえ分からなくなっていた。
そんな存在だった。
けれど今は違う。
世界そのものではなく。
たった一つの花火を見ている。
それだけなのに。
そちらの方がずっと人間らしく見えた。
「隼人」
不意に。
少年が口を開く。
「何」
「花火は保存される?」
また難しいことを聞く。
「写真ならな」
「違う」
少年は首を横に振った。
「今の」
空を見上げる。
既に消えてしまった光を。
「今見た花火」
「それは」
少し考える。
答えは簡単そうで難しかった。
「消えるんじゃないか」
結局そう答えた。
少年は黙る。
「記録は残るかもしれないけど」
「同じものは二度と見られない」
「そう」
「たぶん」
すると。
少年はしばらく空を見上げていた。
そして。
本当に小さく呟く。
「それでいいのか」
その声は。
誰かへ向けたものではなかった。
自分自身へ向けた問いだった。
◇◇◇
その後。
僕たちは神社の境内へ移動した。
花火が一段落したせいか、人の流れも少し落ち着いている。
石段の近くに腰を下ろす。
風が吹く。
夏の匂いがした。
屋台のソースの匂い。
線香花火の匂い。
木々の匂い。
夜の空気の匂い。
そんな中。
アークが静かに言った。
「答えは出たかい」
少年が顔を上げる。
「何の」
「花火の話」
アークは笑う。
どこか懐かしそうに。
「君は今まで残すことばかり考えていたからね」
少年は黙る。
「消えるものに価値があるのか」
「そういう話だろう」
図星だったらしい。
少年は少し俯く。
そして。
長い沈黙のあと。
「分からない」
正直に答えた。
アークは頷いた。
「それでいい」
「いいの?」
「うん」
穏やかな声だった。
「私もまだ分からない」
全員が驚く。
アークが肩をすくめた。
「そんな顔をしなくても」
「いや」
僕は言う。
「あなたが分からないとか言うと結構衝撃なんだけど」
「失礼だな」
少し笑う。
そして。
夜空を見上げた。
「千三百年考え続けても答えが出なかったことなんて山ほどあるよ」
その言葉は。
妙に重かった。
「だから」
アークは続ける。
「分からないまま生きることも案外大事なんだ」
少年が黙って聞いている。
その横顔は真剣だった。
昔のような解析ではない。
理解しようとしている顔だった。
◇◇◇
祭りも終盤へ差し掛かっていた。
人の流れが少しずつ駅の方へ向かい始める。
提灯の灯りが揺れる。
屋台も片付けを始めている。
楽しい時間は終わる。
それは少し寂しい。
けれど。
だからこそ特別なのだろう。
「終わっちゃうね」
のぞみが言う。
「そうだな」
「毎年思う」
ひかりが続ける。
「始まる前は長いのに」
「始まったら一瞬」
その通りだった。
夏祭りも。
夏休みも。
青春も。
たぶん人生も。
案外そんなものなのかもしれない。
その時だった。
少年が不意に立ち上がる。
そして。
夜空を見上げながら言った。
「分かったかもしれない」
全員がそちらを見る。
少年は少し考えながら言葉を選ぶ。
まだ上手く説明できないらしい。
それでも。
一生懸命だった。
「消えるから」
一拍。
「大事なのかもしれない」
誰も喋らない。
「残らないから」
「今見ようと思う」
「終わるから」
「楽しい」
言葉を探しながら。
少しずつ。
少しずつ。
理解していくように。
「だから」
少年は笑った。
観測者ではない。
一人の少年として。
「今日の花火は綺麗だった」
その瞬間。
アークが目を閉じた。
そして。
本当に小さく。
誰にも聞こえないくらい小さく。
「そうか」
と呟いた。
その声は。
どこか救われたように聞こえた。
まるで千三百年越しに。
ようやく一つの答えへ辿り着いた人のように。
夜空には。
最後の花火が上がっていた。
そしてその光は。
誰にも保存されることなく。
静かに消えていった。




