第49話 終焉(2)
誰もすぐには喋れなかった。
静寂が落ちる。
先ほどまで世界を揺るがしていた観測者との戦いが嘘みたいに。
ただ静かな時間だけが流れていた。
崩れたトンネル。
砕けた観測装置。
漂う光の粒。
そして。
少しずつ透けていくアーク。
どれも現実感が薄かった。
まるで長い夢の終わりみたいだった。
「……消えるの?」
少年がもう一度聞いた。
アークは困ったように笑う。
「その話が好きだね」
「だって」
少年は少し迷う。
言葉を探すように。
慣れない感情を整理するように。
そして。
ぽつりと呟いた。
「嫌だから」
その一言に。
アークの表情が止まった。
少年自身も驚いていた。
自分が何を言ったのか。
自分でも理解し切れていないらしい。
「嫌……」
自分の口から出た言葉を繰り返す。
「うん」
エルザさんが優しく頷く。
「そういうの大事だよ」
少年は黙る。
そして。
胸に手を当てた。
心臓の位置を確かめるように。
そこにある何かを感じ取ろうとするように。
「変だ」
小さく呟く。
「さっきまで無かった」
赤い瞳が揺れる。
「今はある」
アークは静かにそれを見ていた。
何も言わない。
けれど。
その目はどこか穏やかだった。
千三百年前。
きっと彼が望んでいたこと。
それが今。
ようやく目の前で起きているのかもしれなかった。
すると。
ガラムドから通信が入る。
『補足します』
「嫌な予感しかしない」
『現在、観測者の人格構造は急速に再編されています』
「いつもの日本語で」
『少年になっています』
「雑!」
『私にも初めての事例です』
それはそうだろう。
観測者が人格を獲得した前例などあるはずがない。
『なお』
ガラムドが続ける。
『世界保存計画は完全停止しました』
全員が顔を上げる。
『人格保存領域も解放中』
『強制観測機能停止』
『観測装置群停止』
『都市伝説化現象停止』
次々と報告が流れる。
そして。
最後に。
『切り裂きジャック事件は終了しました』
沈黙。
誰も言葉を発しない。
あまりにも長かった。
刑部に現れた怪異。
都市伝説。
連続人格消失事件。
切り裂きジャック。
全ての始まりだった異常が。
今。
本当に終わったのだ。
「終わった……のか」
思わず呟く。
すると。
のぞみがその場にへたり込んだ。
「疲れた……」
「分かる」
ひかりも珍しく同意する。
「もうしばらく怪異はいい」
「同感」
僕も全力で頷いた。
だが。
その時だった。
少年が不意にアークへ近付く。
一歩。
また一歩。
そして。
目の前まで来て立ち止まった。
「……」
アークも黙っている。
二人はしばらく見つめ合った。
親子にも見えた。
師弟にも見えた。
あるいは。
千三百年越しに再会した兄弟みたいにも見えた。
やがて。
少年が小さく口を開く。
「分からない」
「うん」
「まだ何も分からない」
「そうだろうね」
「でも」
そこで少年は迷った。
言葉を探す。
まだ不器用なまま。
慣れない感情を抱えながら。
そして。
ようやく言った。
「もう少し知りたい」
静かな声だった。
だけど。
それは観測者が初めて口にした願いだった。
保存ではなく。
管理でもなく。
観測でもなく。
ただ。
知りたいという願い。
生きる者の願いだった。
その言葉を聞いた瞬間。
アークは。
本当に久しぶりに。
心の底から笑った。
まるで。
千三百年間抱えていた後悔が。
ほんの少しだけ軽くなったみたいに。




