表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神は言った。ラブコメに水着は定番だよね、と。  作者: 巫 夏希


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
48/55

第48話 終焉(1)

 涙だった。

 たった一粒。

 けれど。

 その一滴が零れ落ちた瞬間、空気が変わった。

 誰も言葉を発しない。

 発せなかった。

 それは観測者の涙だった。

 世界中の文明を観測し続け、数え切れない人格を保存し、千三百年という時間の中で一度も迷いを見せなかった存在が、今ようやく流した最初の涙だった。

 ぽたり。

 小さな雫が地面へ落ちる。

 その瞬間。

 周囲の空間が微かに揺れた。

 まるで世界そのものが、その涙に反応したかのように。


「……あ」


 少年が目を見開く。

 自分でも驚いているらしかった。

 指先で頬に触れる。

 濡れている。

 その事実を確かめるように何度も触れる。

 そして。

 少しだけ困った顔をした。


「これ」


 小さな声。


「何?」


 誰へ向けた問いなのか分からない。

 エルザさんは少しだけ笑った。


「涙だよ」


 優しい声だった。

 母親が子供へ教えるみたいに。


「悲しい時とか」

「苦しい時とか」

「嬉しい時とか」

「安心した時とか」

「色々な時に出る」


 少年は黙る。

 理解しようとしている。

 けれど。

 まだ上手く整理できていないらしい。


「僕は今」


 震える声。


「何なんだろう」


 その言葉に。

 誰もすぐには答えなかった。

 なぜなら。

 それはあまりにも難しい問いだったからだ。

 観測者は今まで観測者だった。

 世界保存装置だった。

 アークが作り出したシステムだった。

 だが。

 今は違う。

 少なくとも。

 もうそれだけではない。


「君は君だよ」


 静かに言ったのはエルザさんだった。

 少年が顔を上げる。


「それじゃ答えになってない」

「そうかな」


 エルザさんは首を傾げた。


「私も少し前まで分からなかったし」


 苦笑する。


「エルディアなのか」

「エルザなのか」

「どっちなんだろうって」


 少年は黙って聞いている。


「でも結局」


 エルザさんは続ける。


「今の私になった」


 金色の瞳が穏やかに細められる。


「過去も私だったし」

「今も私だった」

「だから」


 少し笑う。


「君もそのうち分かるんじゃないかな」


 少年は何も言わない。

 ただ。

 その言葉を大事そうに抱えるような顔をしていた。

 その時だった。

 後ろで。

 アークが小さく息を吐いた。

 それは安堵にも似た吐息だった。


「終わったかな」


 誰へともなく呟く。

 その声に。

 僕は思わず振り返った。

 そして。

 初めて気付く。

 アークの身体が——少し透けている。


「……あれ?」


 僕の声に。

 全員の視線が集まる。

 エルザさんも振り返る。

 そして。

 表情が固まった。


「アーク」


 アークは苦笑した。

 誤魔化そうとするみたいに。


「見つかったか」


 その身体は確かに薄くなっていた。

 輪郭が曖昧になっている。

 まるで光で作られた幻が少しずつ消えていくみたいに。

 少年もそれに気付いたらしい。

 赤い瞳が揺れる。


「どうして」


 アークは少しだけ空を見上げた。

 崩れた天井の向こう。

 夜空が見える。

 刑部の空だった。


「当然だよ」


 静かな声。


「私は元々残り物だから」


 誰も喋らない。

 アークは続ける。


「本体はずっと昔に死んでいる」


 淡々と。

 まるで他人事みたいに。


「私は計画の管理権限として残された人格の一部に過ぎない」


 その言葉に。

 ガラムドからメッセージが届く。


『事実です』

「今そこ補足しなくていいから!」


 思わず突っ込む。


『失礼しました』


 全然悪いと思っていない返信だった。

 だが。

 空気は重いままだった。

 エルザさんが一歩前へ出る。


「待って」


 震える声だった。


「消えるの?」


 アークは答えない。

 少しだけ笑う。

 その笑顔だけで十分だった。


「嫌だ」


 エルザさんが言う。

 即座に。


「嫌だよ」


 その言葉に。

 アークの表情が僅かに揺れた。


「今さら」


 エルザさんは続ける。


「今さら全部終わったみたいな顔しないで」


 唇を噛む。


「勝手過ぎる」


 その声は怒っていた。

 でも。

 本当は悲しんでいた。


「千三百年も放置して」

「好き勝手やって」

「勝手に諦めて」

「最後だけ格好付けるな」


 沈黙。

 アークは何も言わなかった。

 言えなかったのかもしれない。

 すると。

 隣で少年がぽつりと呟いた。


「消えるのは」


 小さな声。


「怖い」


 全員がそちらを見る。

 少年はアークを見ていた。


「僕は今」


 自分の胸を押さえる。


「それが怖い」


 赤い瞳が揺れる。


「だから」


 一歩前へ出る。


「あなたも怖いんじゃないの」


 アークが目を見開いた。

 ほんの少しだけ。

 本当にほんの少しだけ。

 千三百年間ずっと余裕を崩さなかった男が。

 初めて言葉を失った。

 そして。

 長い沈黙の後。

 小さく笑った。


「そうか」


 その声は。

 どこか救われたようだった。


「なるほど」


 白い翼が微かに揺れる。

 光の粒が夜空へ舞い上がる。

 そして。

 アークは静かに目を閉じた。


「お前は」


 少年を見る。

 その眼差しにはもう敵意も警戒もなかった。


「本当に変わったんだな」


 その瞬間。

 誰にも見えないどこかで。

 運命の歯車が。

 静かに動き始めたような気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ