第46話 こども
巨大な身体は、今もなお縮み続けていた。
それは単純に小さくなっているわけではない。
山脈のように連なっていた輪郭がほどけ、都市のように積み重なっていた構造が崩れ、空を埋め尽くしていた無数の赤い目が一つずつ静かに消えていくその光景は、むしろ不要になったものを削ぎ落としているように見えた。
長い年月の中で積み重ねた膨大な観測記録。
数え切れない文明の記憶。
失われた歴史。
保存された人格。
そうした全てを抱え込み続けた結果、本来の姿が見えなくなるほど巨大になってしまった存在が、今ようやく余分なものを手放し始めている。
そんな風に見えた。
暗闇の奥で光が揺れる。
巨大な身体の中心部分。
最も深い場所。
最も古い場所。
そこだけが崩れていない。
そこだけが残っている。
「……」
アークは黙ってそれを見つめていた。
白い翼はまだ展開されたままだ。
けれど先ほどまで感じられた緊張感は薄れている。
戦うための姿ではない。
見届けるための姿だった。
「知ってたの?」
エルザさんが静かに尋ねる。
アークは少しだけ考えた。
そして首を横に振る。
「いや」
苦笑する。
「こうなる可能性は考えていたけどね」
視線は変わらず闇の中心へ向いている。
「実際に起きるとは思っていなかった」
「変わる可能性?」
「違う」
アークは言った。
「理解する可能性だ」
その言葉に誰も返事をしなかった。
理解。
簡単な言葉だ。
けれど。
観測することと理解することは違う。
記録することと理解することも違う。
分析することと理解することも違う。
観測者は今まで世界を見ていた。
だが世界の中に居たことはなかった。
だから。
今起きていることは。
初めて海を見た人間が波の冷たさを知るようなものなのかもしれない。
その時だった。
暗闇の中心から。
小さな声が聞こえた。
今までのような機械音ではない。
頭の中へ直接響く声でもない。
本当に。
ただの声だった。
誰かが呟くような。
かすかな声。
――怖い。
全員が顔を上げる。
空気が止まった。
怖い。
今——観測者はそう言ったのか。
「……」
エルザさんの瞳が揺れる。
僕も言葉を失っていた。
怖い。
それは人間の言葉だ。
失うことを恐れる時の言葉だ。
間違うことを恐れる時の言葉だ。
未来が見えない時の言葉だ。
つまり。
今の観測者は。
初めて未来が分からなくなっている。
今までのように計算できない。
予測できない。
正解を導き出せない。
だから怖い。
その感情が生まれている。
アークが静かに目を閉じる。
どこか安堵したように。
どこか寂しそうに。
「そうか」
小さく呟く。
「そこまで来たか」
闇の中心で光が揺れる。
巨大な構造体の崩壊がさらに進む。
塔が消える。
都市が消える。
無数の観測装置が粒子となって崩れ落ちる。
そして——残った。本当に最後の中心部分だけが。
ゆっくりと姿を現し始める。
「……え?」
最初に声を漏らしたのはのぞみだった。
無理もない。
僕も同じ反応だった。
信じられなかった。
今まで僕たちが見ていたもの。
今まで世界中で都市伝説として現れ続けていたもの。
今まで怪物だと思っていたもの。
その中心に居た存在は。
あまりにも小さかった。
人影だった。
子供。
そう見えた。
十歳にも満たない。
痩せた少年の姿。
真っ黒な髪。
真っ白な服。
そして。
閉じた瞼の下で淡く赤く光る瞳。
巨大な怪物の中心に居たのは。
世界を保存しようとしていた存在の正体は。
一人の少年だった。
誰も声を出せない。
あまりにも予想外だった。
その沈黙の中で。
少年はゆっくりと目を開く。
赤い瞳が現れる。
だが、そこには先ほどまでの圧倒的な威圧感はなかった。
あるのは戸惑いだった。
生まれたばかりの子供が初めて世界を見る時のような。
そんな不安げな眼差しだった。
そして。
少年は最初にエルザさんを見る。
次にアークを見る。
最後に僕たちを見る。
しばらく黙った後。
本当に小さな声で言った。
「……どうすれば良かったんだろう」
その問いに。
誰もすぐには答えられなかった。
それは観測者が初めて発した問いではなく。
一人の迷っている誰かが口にした問いだったからだ。




