第39話 エルディア(3)
世界が白く弾けた。
それは爆発ではなかった。
光でもなかった。
音ですらなかった。
もっと根本的な何かだった。
まるで現実そのものが一度ばらばらに分解され、別の法則で組み直されようとしているかのような、言葉にすること自体が難しい異常が、僕たちの立っている空間を中心に静かに広がっていく。
視界が揺れる。
いや。
揺れているのは視界ではない。
世界の方だった。
トンネルの壁が遠ざかったと思った次の瞬間には目の前まで迫り、天井が空のように高く見えたかと思えば、今度は手を伸ばせば届きそうなほど低く沈み込み、距離も大きさも方向さえも意味を失っていく。
「っ……!」
頭が痛い。
脳が悲鳴を上げている。
人間が理解できる範囲を超えたものを見せられている。
そんな感覚だった。
隣ではのぞみが頭を押さえながらしゃがみ込み、ひかりも必死に意識を保とうとしているのが見えたが、正直なところ僕自身もいつ倒れてもおかしくない状態だった。
だが。
その中で。
アークだけが動いていた。
静かに。
本当に静かに。
巨大な手を見上げながら。
まるで何百年も前から知っている相手と再会したような顔で。
「久しぶりだな」
ぽつりと呟く。
その声には怒りも憎しみもなかった。
あるのは。
深い疲労だった。
「まだ続けていたのか」
巨大な手が止まる。
それだけで空間が震えた。
観測者は返答しない。
だが。
無数の赤い目が一斉にアークを見た。
それだけで十分だった。
相手も認識している。
千三百年前の反逆者を。
計画の提唱者でありながら、それを否定した存在を。
そして。
その瞬間だった。
アークの背後に。
光が現れた。
「……え?」
思わず声が漏れる。
翼だった。
巨大な白い翼。
二枚ではない。
四枚でもない。
数え切れないほどの光の羽根が背中から展開し、まるで夜空に広がる銀河のように空間を埋め尽くしていく。
それは神々しいというより。
圧倒的だった。
人間が想像する天使という存在を、そのまま極限まで巨大化させたような姿。
そして。
エルザさんが息を呑む。
「アーク……」
初めて見る顔だった。
懐かしさ。
驚き。
そして少しの悲しさ。
そんな感情が入り混じっていた。
アークは振り返らない。
観測者だけを見つめたまま言う。
「見せたくなかったんだけどね」
苦笑混じりだった。
「昔の姿はあまり趣味じゃない」
「……」
「格好付け過ぎだろう?」
その言葉に。
なぜかエルザさんは笑った。
本当に少しだけ。
泣きそうな顔で。
「今さらだと思う」
「それもそうか」
アークも笑う。
そして。
その笑顔が消える。
次の瞬間。
世界が震えた。
観測者の巨大な腕が動いたのだ。
ゆっくりと。
だが。
その一動作だけで周囲の景色が歪み、トンネルの壁が削れ、空間そのものが引き裂かれていく。
巨大な手は。
僕たちを掴もうとしていた。
まるで机の上の消しゴムを摘み上げるような気軽さで。
「隼人!」
エルザさんが叫ぶ。
「下がって!」
同時に。
金色の光が放たれた。
眩い閃光が巨大な腕へ叩き付けられる。
だが。
止まらない。
観測者はまるで気にしていなかった。
人間が雨粒を気にしないように。
その攻撃を受け流している。
「そんな……」
エルザさんの顔が青ざめる。
今のは全力だったはずだ。
それなのに。
届いていない。
圧倒的な差。
埋めようのない隔絶。
その現実がそこにあった。
だが。
アークだけは動じなかった。
静かに一歩前へ出る。
そして。
右手を持ち上げる。
その仕草はあまりにも自然で。
あまりにも簡単だった。
だが。
次の瞬間。
巨大な腕が止まる。
完全に。
ぴたりと。
まるで見えない壁にぶつかったかのように。
観測者の赤い目が揺れる。
初めてだった。
あの存在が明確な動揺を見せたのは。
「忘れたのか」
アークが静かに言う。
「最初に君を作ったのは誰だった?」
空気が凍る。
僕は思わず顔を上げた。
今——何と言った?
作った?
観測者を?
あの怪物を?
すると。
エルザさんも驚いた顔でアークを見る。
「待って」
声が震えていた。
「それって……」
アークは答えない。
だが。
その沈黙が答えだった。
ガラムドからメッセージが届く。
しかも。
珍しく短かった。
『最悪です』
『何が』
『皆さん』
数秒。
そして。
『今、とんでもない真相に辿り着きました』
嫌な予感しかしない。
そして。
ガラムドは続けた。
『観測者は侵略者ではありません』
背筋が冷える。
『元々は』
『アークが作った世界保存装置です』
沈黙。
誰も言葉を発せなかった。
観測者が。
元々は。
アークの作った存在。
つまり。
今まで戦ってきた全ての元凶は。
最初から。
アーク自身だったのである。
そして。
無数の赤い目が再び輝く。
今度は怒りではない。
もっと奇妙な感情だった。
まるで。
捨てられた子供が親を見つけた時のような。
そんな狂気を帯びた光だった。
――管理者確認。
観測者が告げる。
――帰還を要求。
その言葉を聞いた瞬間。
アークは。
千三百年分の疲労を滲ませたような顔で。
静かに目を閉じた。




