第36話 候補者(3)
赤い光が。
エルザさんへ向けられていた。
無数の目。
トンネルの奥に広がる観測装置の本体。
人類の歴史より長い時間を見続けてきた何か。
その全てが。
ただ一人を見ている。
エルザさんを。
「……」
彼女は何も言わなかった。
だが。
少しだけ肩が強張っている。
怖いのだ。
当然だった。
記憶を失い。
追われ。
ようやく自分が何者なのかを受け入れ始めたばかりなのだから。
――質問。
巨大な声が響く。
――候補者。
――隼人。
世界が静まり返る。
蝉の声もない。
風もない。
ただ声だけがある。
――対象エルディア。
――存在確率三・二パーセント。
――百年後生存率〇・〇一パーセント。
――千年後生存率ゼロ。
数字が並ぶ。
まるで統計資料を読み上げるように。
感情のない声で。
――保存対象として適切。
――回収を推奨。
僕は眉をひそめた。
「回収って何だよ」
――記録。
――保存。
――永続化。
「それは本人じゃないだろ」
――差異率〇・〇〇〇二パーセント。
即答だった。
まるで当然の事実を説明するように。
――ほぼ同一。
「違う」
僕は言う。
すると。
観測者は続けた。
――質問。
――対象を失うことを許容できるか。
沈黙。
嫌な聞き方だった。
まるで。
許容できないならこちらへ来いと言っているみたいに。
僕はエルザさんを見る。
エルザさんは苦笑した。
「答えなくていいからね」
「いや」
「私は別に」
「それ以上言うな」
思わず遮る。
エルザさんが目を丸くした。
そして少しだけ笑う。
本当に少しだけ。
だけど。
その笑顔を見た瞬間。
僕の中で何かが妙に腹立たしくなった。
「勝手に諦めるなよ」
「え?」
「本人が先に諦めてどうする」
エルザさんがぽかんとする。
のぞみとひかりも同じ顔をしていた。
たぶん。
僕自身も少し熱くなっていた。
でも止まらなかった。
「百年後とか千年後とか知らない」
「隼人」
「そんな先の話されても困る」
僕は観測者を見る。
見えているのかも分からない暗闇を。
「今だろ」
言葉が出る。
自然に。
「今……、ここに居るじゃないか」
エルザさんが息を呑む。
「消えるかもしれない」
「いつか死ぬかもしれない」
「そんなの当たり前だろ」
拳を握る。
「だから一緒に居るんじゃないのかよ」
静寂。
観測者は答えない。
ただ赤い目だけが明滅する。
まるで処理を続けているように。
――理解不能。
やがて声が響いた。
――非合理。
「知ってる」
――保存を拒否。
――消失を受容。
「違う」
僕は首を振った。
「消えてほしいなんて言ってない」
そこは間違えるなと思った。
本当に。
「消えてほしくない」
「失いたくない」
「覚えていたい」
「全部そうだ」
観測者が沈黙する。
「でも」
僕は続ける。
「だからってコピーでいいとは思わない」
長い沈黙。
その言葉を。
アークが静かに聞いていた。
まるで。
ずっと昔に聞けなかった答えを聞くみたいに。
そして。
エルザさんも。
どこか泣きそうな顔で笑っていた。
――解析。
――解析。
――解析。
無数の赤い目が点滅する。
だが。
今までとは少し違った。
何かを計算しているというより。
考えているように見えた。
初めて。
本当に初めて。
この観測者は理解できないものに出会ったのかもしれない。
その時だった。
アークがぽつりと言った。
「やっぱり」
全員が彼を見る。
アークは苦笑していた。
少しだけ。
本当に少しだけ救われたような顔で。
「私が負けた理由はそこか」
「何の話だ」
僕が聞く。
するとアークは肩を竦めた。
「簡単だよ」
そして。
エルザさんを見る。
昔を思い出すように。
懐かしそうに。
「千三百年前」
静かな声。
「私も同じ質問をされた」
空気が変わる。
観測者の赤い目が止まる。
アークは続けた。
「そして私は答えた」
その表情は穏やかだった。
だが。
どこか悲しかった。
「全部残したい、と」
沈黙。
誰も喋れない。
そして。
アークはゆっくり笑った。
「君は違う答えを選んだ」
その瞬間。
暗闇の最奥で。
観測者の無数の目が一斉に開く。
まるで。
何か重大な結論に辿り着いたかのように。
そして。
世界そのものを震わせる声が響いた。
――結論を更新。
その一言で。
ガラムドが珍しく叫んだ。
『まずいです!』
『今度は何だ』
『相手が学習しました!』
嫌な予感しかしなかった。
そして。
次の宣告が下される。
――計画を修正。
――対象、十文字隼人を排除。
――エルディアを回収。
――観測継続。
無数の赤い目が。
一斉に殺意へ変わった。
どうやら。
説得に失敗した相手は、保存する価値がないらしかった。




