第32話 崩壊(1)
崩壊は静かだった。
轟音もない。
爆発もない。
巨大な観測装置は、ただ光になって消えていく。
まるで最初から存在しなかったかのように。
赤い単眼が砕け。
黒い身体がほどけ。
無数の光の粒となって天井へ昇っていく。
そして。
壁一面を埋めていた影たちも消え始めていた。
一人。
また一人。
静かに。
安らかに。
長い悪夢から解放されるように。
「終わった……?」
のぞみが呟く。
誰もすぐには答えなかった。
終わったように見える。
だが。
あまりにも簡単過ぎた。
ここまで積み上げてきた不気味さが、あっさり消え過ぎている。
その違和感だけが胸に残る。
すると。
アークが小さく笑った。
「君らしいな」
誰に向けた言葉かは分かる。
エルザさんだった。
「昔からそうだった」
懐かしそうな目。
「理屈より先に人を選ぶ」
「悪い?」
「いや」
アークは首を振る。
「羨ましかった」
その言葉に。
エルザさんが少しだけ目を見開く。
僕たちも黙った。
今の言葉は本音だった。
少なくとも。
そう聞こえた。
「アーク」
エルザさんが静かに言う。
「まだやめる気はないの?」
アークは答えない。
代わりに。
崩れていく観測装置を見上げる。
「知ってる?」
ぽつりと言った。
「星は死ぬ」
誰も返事をしない。
「文明も死ぬ」
静かな声。
「神も死ぬ」
その言葉に。
スマホが震えた。
『死にません』
ガラムドだった。
『少なくとも私は元気です』
「そういうところだよ」
アークが苦笑する。
何故か。
少しだけ空気が和らいだ。
だが。
アークの目は笑っていなかった。
「消えるんだ」
ぽつりと言う。
「全部」
長い沈黙。
その声は。
どこか疲れていた。
千三百年どころではない。
もっと長い時間を生きた者の疲労。
「だから残したかった」
崩れていく光を見ながら。
アークは続ける。
「一つでも多く」
「だからって」
僕は思わず言った。
「勝手に人をコピーしていい理由にはならないだろ」
アークがこちらを見る。
怒らない。
笑わない。
ただ見つめる。
「そうだね」
そして。
意外にもあっさり認めた。
「たぶん君たちはそう言う」
「たぶんじゃない」
「うん」
頷く。
「だから負けた」
負けた。
その言葉に。
エルザさんが眉をひそめる。
「まだ終わってない」
「終わったよ」
アークは笑った。
今度は本当に。
少しだけ晴れやかな顔で。
「少なくとも今回は」
その時だった。
ガラムドから新しいメッセージが届く。
『離れてください』
『何で?』
『すぐに』
珍しく説明がない。
焦っている。
その瞬間。
トンネル全体が震えた。
低い振動音。
地鳴りにも似た音。
全員が顔を上げる。
「今度は何だよ……」
僕が呟く。
すると。
アークが初めて驚いた顔をした。
「おかしいな」
「何が」
「早過ぎる」
嫌な予感しかしない。
崩壊していた観測装置。
その残骸。
光になったはずの欠片たちが。
空中で止まっていた。
「え?」
ひかりが目を丸くする。
光が動かない。
まるで時間が止まったみたいに。
そして。
一つ。
また一つ。
光が黒く染まり始める。
白から黒へ。
ゆっくりと。
嫌な変色だった。
「ガラムド」
エルザさんが低く言う。
「これ何?」
数秒。
返事がない。
そして。
ようやく届いた。
『撤退案件です』
短かった。
『今すぐ逃げてください』
『説明しろ』
『説明している時間がありません』
それだけだった。
だが。
次の一文で全員が凍り付く。
『観測装置は端末です』
スマホの画面に文字が浮かぶ。
『本体ではありません』
沈黙。
誰も言葉を発せなかった。
僕たちは今まで何と戦っていた?
切り裂きジャック。
観測装置。
都市伝説。
その全て。
本体じゃない?
ただの端末?
すると。
アークが静かに目を閉じた。
「なるほど」
そして。
心底嫌そうな顔をした。
「来たか」
その瞬間。
トンネルの最奥。
誰も光を届かせたことのない暗闇のさらに奥で。
何かが。
こちらを見た。
巨大な赤い単眼など比較にならない。
もっと大きい。
もっと古い。
もっと異質な。
何か。
そして。
それは初めて言葉を発した。
――観測継続。
世界そのものが。
微かに軋んだ。




