第31話 上位存在、アーク(4)
白い光が奔流となって走る。
それは光線ではなかった。
もっと柔らかい。
もっと温かい。
朝日が雪を溶かすような光だった。
押し寄せる影の群れへ。
まっすぐに。
静かに。
そして容赦なく広がっていく。
最初に変化が起きたのは先頭の影だった。
顔のない人影。
人格を奪われた残骸。
その輪郭が揺らぐ。
ぶれる。
崩れる。
そして。
消えた。
悲鳴もない。
断末魔もない。
ただ。
長い夢から覚めるように。
静かに。
「……」
誰も声を出せなかった。
一体。
二体。
三体。
光に触れた影たちが次々と消えていく。
まるで最初から存在しなかったかのように。
だが。
その瞬間だった。
消えた影の場所から。
無数の光の粒が舞い上がる。
白い。
小さな。
蛍のような光。
「何だこれ」
僕が呟く。
すると。
エルザさんが静かに答えた。
「戻ってる」
「何が?」
「持っていかれたもの」
金色の瞳が光を見つめる。
「人格情報」
光の粒は天井へ向かわない。
トンネルの外へ飛んでいく。
山の向こうへ。
街の方へ。
どこかへ。
「帰ってるんだ」
エルザさんが小さく言った。
「本来の持ち主のところへ」
その言葉で。
僕は思い出した。
影のない老人。
影のない女性。
人格を削られた人たち。
この光は。
その欠片なのだ。
「じゃあ助かるのか?」
僕の問いに。
エルザさんは少しだけ考えた。
「全部は無理」
苦しそうな顔で言う。
「でも」
そして笑った。
「少しは取り戻せる」
その時。
巨大な観測装置が吠えた。
いや。
機械だから吠えるはずがない。
だが。
そう表現するしかなかった。
赤い単眼が激しく明滅する。
ノイズが響く。
トンネル全体が震える。
――警告。
――記録消失。
――記録消失。
――記録消失。
焦っている。
本当に。
機械のはずなのに。
「当然だよね」
エルザさんが見上げる。
「せっかく集めたデータが消えてるんだから」
アークは黙っていた。
何も言わない。
ただ。
その光景を見ている。
懐かしそうに。
そして少し寂しそうに。
まるで。
既に結果を知っているみたいに。
「止めないのか?」
僕は思わず聞いた。
アークがこちらを見る。
「止める?」
「お前の計画なんだろ」
すると。
彼は少しだけ笑った。
「違うよ」
「は?」
「これは彼女の勝ちだ」
意味が分からない。
だが。
アーク自身は本気だった。
戦う気配がない。
むしろ。
どこか満足しているように見えた。
その時。
エルザさんの身体がぐらりと揺れた。
「エルザさん!」
僕は慌てて駆け寄る。
今度はガラムドも止めなかった。
支える。
軽い。
驚くほど。
「大丈夫か?」
「んー」
力なく笑う。
「たぶん大丈夫じゃない」
顔色が悪かった。
金色だった瞳も少しずつ元に戻っている。
「無理したのか?」
「した」
即答だった。
そこは誤魔化さないらしい。
「今の私、本来の私じゃないから」
ぽつりと言う。
「思い出した記憶を無理やり使った感じ」
つまり。
借り物の力だ。
その代償が来ている。
その時だった。
トンネルの奥で。
ぱきり、と音がした。
全員が振り向く。
巨大な観測装置。
その赤い単眼に。
ひびが入っていた。
一本。
ゆっくりと。
「え?」
のぞみが目を丸くする。
さらに。
ぱきり。
ぱきり。
音が続く。
ひびが広がる。
蜘蛛の巣のように。
赤い瞳全体へ。
そして。
観測装置が呟いた。
初めて。
機械音声ではない声で。
かすれた声で。
まるで長い眠りから覚めた人間のように。
――失敗。
沈黙。
誰も動かない。
観測装置は続ける。
――記録維持不能。
――観測継続不能。
――対象世界。
そこで声が途切れる。
そして。
最後に。
誰にも理解できないほど小さな声で。
こう呟いた。
――また失われる。
その言葉だけは。
何故か悲しそうに聞こえた。
次の瞬間。
赤い単眼が砕け散る。
光の粒になって。
無数の欠片になって。
トンネルの天井へ舞い上がった。
そして。
巨大な影の身体そのものが崩壊を始める。
観測装置。
切り裂きジャック。
この事件の中心にいた存在が。
終わろうとしていた。
だが。
アークだけは空を見上げたまま動かなかった。
まるで。
本当に終わったわけではないことを知っているかのように。
そして。
崩れゆく光を見つめながら。
静かに呟く。
「……早いな」
その声には。
怒りも。
悔しさもなかった。
ただ。
長い長い時間を生きた者だけが持つ。
どうしようもない寂しさが滲んでいた。




