第25話 切り裂きジャック(14)
巨大な人影が現れる。
ゆっくりと。
まるで闇そのものが立ち上がるように。
トンネルの天井に届きそうなほど大きい。
黒い。
ただひたすら黒い。
輪郭だけが辛うじて人型を保っている。
だが顔の部分だけは違った。
そこには赤い光があった。
巨大な単眼。
機械のレンズにも見えるし、生物の目にも見える。
そのどちらでもないようにも見えた。
見ているだけで頭が痛くなる。
理解を拒否するように。
「うわ……」
のぞみが顔をしかめた。
「気持ち悪い」
「同感」
ひかりも珍しく即答だった。
すると。
赤い目が動く。
ゆっくりと。
こちらを見る。
いや。
違う。
僕たちではない。
エルザさんを見ている。
最初から。
ずっと。
そのためだけに現れたかのように。
――識別完了。
声が響く。
耳ではない。
頭の中だった。
――対象コード・エルディア。
エルザさんが身体を強張らせる。
額に汗が浮かぶ。
だが。
今までとは少し違った。
怯えているだけではない。
怒っている。
そんな風にも見えた。
「……知らない」
エルザさんが呟く。
「そんな名前」
――記録と矛盾。
赤い目が明滅する。
――記憶封印継続を確認。
――回収を実行します。
その瞬間。
周囲の影たちが動いた。
一斉に。
床を滑るように。
僕たちへ向かって。
「来るぞ!」
僕は叫んだ。
黒い影が迫る。
だが。
その速度は思ったほど速くない。
走るというより。
引き寄せられている。
そんな動きだった。
「隼人!」
エルザさんが振り返る。
「壁!」
「え?」
「壁を照らして!」
意味は分からなかった。
だが。
今までの経験上。
こういう時のエルザさんは妙に当たる。
僕は懐中電灯を壁へ向けた。
光が走る。
すると。
壁いっぱいに張り付いていた無数の影が見えた。
そして。
その中に。
一つだけ違うものがあった。
人影ではない。
大きな円。
まるで巨大な瞳のような模様。
「何だあれ」
僕が呟く。
その瞬間。
エルザさんの顔色が変わった。
「そうか」
小さく言う。
「そういうことか」
「何が?」
「切り裂きジャックじゃない」
全員が彼女を見る。
エルザさんは壁の模様を見つめていた。
「最初から」
頭を押さえる。
また記憶が流れ込んでいるのだろう。
苦しそうだった。
それでも言葉を続ける。
「こいつは観測装置だ」
空気が凍る。
その単語に。
ガラムドが即座に反応した。
『その通りです』
珍しく。
否定しなかった。
『ようやく気付きましたか』
「説明しろ!」
僕は思わず叫ぶ。
神様相手に。
『都市伝説は情報です』
メッセージが返る。
『情報は人間の認識を通じて拡散します』
『だから何だ』
『つまり』
数秒。
そして。
『あれは怪談の形をした観測機です』
背筋が冷えた。
目の前の巨大な存在。
切り裂きジャック。
その正体。
『人間の人格情報を収集し』
『記録し』
『保存する』
『世界を複製するために』
意味が分からない。
分からないが。
とてつもなく嫌な内容だけは理解できた。
「世界を……複製?」
ひかりが呟く。
『はい』
ガラムドが答える。
『世界のバックアップです』
その瞬間。
エルザさんが頭を押さえて膝をつく。
「っ……!」
「エルザさん!」
駆け寄ろうとする。
だが。
彼女の背中から光が漏れた。
白い光。
淡い。
温かい光。
そして。
記憶が流れ込む。
今度は彼女自身の。
巨大な空。
光の都市。
翼を持つ存在たち。
無数の塔。
そして。
会議のような場所。
誰かが言う。
――計画は却下された。
別の誰かが答える。
――ならば我々が実行する。
――世界は保存されるべきだ。
――滅びる前に。
映像が切り替わる。
戦争。
光と闇。
逃走。
追跡。
そして。
黒い刃。
捕縛。
封印。
「……あ」
エルザさんが顔を上げる。
瞳が揺れていた。
「思い出した」
小さな声だった。
だが。
その場の全員が聞いた。
赤い目が反応する。
強く発光する。
――記憶復元を確認。
――最優先案件へ変更。
――回収を開始します。
轟音。
巨大な影が一歩前へ出る。
トンネル全体が震えた。
壁の影たちが歓喜するようにざわめく。
だが。
エルザさんは立ち上がった。
ゆっくりと。
そして。
初めて見せる表情で笑った。
いつもの明るい笑顔ではない。
もっと静かな。
どこか懐かしい笑みだった。
「そうか」
彼女は赤い目を見上げる。
「君だったんだ」
まるで昔の知り合いを見るように。
そして。
誰も聞いたことのない声で言った。
「久しぶりだね」
その瞬間。
トンネルの奥で。
赤い目が初めて大きく揺れた。
まるで。
感情を持たないはずの観測装置が。
動揺したかのように。




