第24話 文の鳥
房総から戻り、文は病院を訪れた。
検査の結果、ピイがぶつかった左眼球への目立った傷はなく、義眼の代わりにコンタクトレンズを入れることで0.5程度の視力を確保することが出来た。文にとっては12年ぶりの視界だっだ。医師の見立てでは、茜の影響で始めた自然食中心の高タンパク食とビタミンの摂取で、そもそもの原因である病気が自然治癒し、左目へのピイの衝突が引き金となって網膜の血栓が外れ、血行が回復し視覚が戻ったのではないかとの事だった。
「非常に希なケースです、しばらく診ていなかったし、想像でしか判断できません」
と医師は言い切った。今後についてもこのまま回復するか保証できないとの事だった。しかし取り敢えず今は見えている。モノを判別できるなんて、今のうちにたくさんのモノを見ておかないと。文の気は逸った。コンタクトレンズは今回もねだった末、右目の義眼に合わせたブルーのカラコンにしてもらった。
文の両親も突然の吉報に飛び上がって喜んだ。母には病院で10分以上抱きしめ続けられ、恥ずかしさと苦しさで文はもがいてふりほどいたほどだ。
病院の待合室には美方先生も待っていた。花束を抱えている。初めて見る美方先生の顔。先生は文を見るなり全力で抱き締めた。3年以上、二人三脚で歩んだのだ。互いにもう言葉にならなかった。片方だけにせよ、文の視力が回復したことで、美方先生はもうお役御免だという。
「でも先生、もう一回特別支援クラスに一緒に行って下さい」
「え?」
「今度こそ呉羽ちゃんにピッコロ教えてあげられます」
「そうだね。喜ぶねきっと 呉羽ちゃん」
「約束したんです。もう一回教えに来るよって」
「そうなんだ。文ちゃんはいい先生になるよ」
「はい。あの、私、もう見えるから本物の先生になれますよね」
「え?」
「歩先生みたいな本物の先生になれますよね」
美方先生はもう一度黙って文を抱き締めた。黙りたかったのではない。言葉が出なくなったのだ。文が言った。
「先生、先生になる方法をこれから教えて下さい」
「うん」
「ずっと私の先生でいて下さい」
「うん」
美方先生は文が乗るタクシーが見えなくなるまで、ずっと手を振り続けた。
文は心に誓った。歩先生は私にとってのサリバン先生だった。これからは私が呉羽ちゃんのサリバン先生になる。
そして文は白い杖なしで自宅に帰ってきた。視力0.1と0.5では見え方が全然違う。文は真っ先に自室のピイの鳥かごを見に行った。もしやピイが帰ってきているかと思ったが、そんな訳はなかった。
初めてちゃんと見るピイの住まい。水入れやえさ箱、止まり木。そうか、こうなってて、ここでピイは暮らしていたのか。ん?これなんだろ。鳥かごの片隅にあるピンクのモノが目に入ったのだ。目を近づけてじっと見ても何だか解らない。ピンク色のグシャグシャは細々としたものの寄せ集めのようだ。文には初めて目にするものも多く何だか解らない。
「おかあさーん、これ何?」
母がいそいそとやってきた。文の指さす先には、萎れたピンクの花びら、ピンクのカラークリップ、おもちゃらしいピンクのペンダントトップ、ピンクのリボンの切れ端、ピンクのビーズ等、おおよそゴミに見えるピンクの諸々がかためられていた。
「ああ、これ最近ピイが時々持って帰って来てたのよ。文が学校の時でも時々外に出たがってね、大事そうにくわえて来たのよ。あの子、ピンクが好きだったみたいで、そのビーズを持って帰ってきた時なんて、わざわざ見せに来てくれたのよ、ドヤ顔してね。文にも見せてたんだけど文は解んなかったよね。そっちの蛍光ペンのキャップなんて、滑りやすいから何回も落としながらくわえてきたみたいよ」
ピイがピンク好き?美鶴さんじゃあるまいし、そんなことあるのか? でもきっと意味がある筈だ。文はそう思った。
文はピイのピンクコレクションをティッシュペーパーに大切にくるむと、練習室に持って行くことにした。もしやピイは・・・いや、そんな事ってあるのかな。でもそうかも知れない。
初めてコンタクトを入れて練習室を訪れた日、茜たちの手荒い祝福を受けたあと、文はそっーとそれをみんなに見せた。
「ピイが集めてたって、お母さんが言ってました。ピンクばっかり」
茜もピンときた。そして美鶴の顔を見た。ティッシュの中を凝視する美鶴。その目は震えていた。茜は口を開いた。
「美鶴、ピイがあんたの指を噛んだとき、そのピンクのミサンガウォッチして、ネイルはピンクだったよね。私、絆創膏巻いたから覚えてる」
美鶴の目には涙が盛り上がった。茜は続ける。
「ピイはそれ覚えてて、ピイは・・・ピイは美鶴がピンク好きだって思って、それで、美鶴に何かを返そうって思ったんじゃない?」
美鶴は嗚咽していた。陸が美鶴の肩を抱く。茜は構わず更に続けた。
「これはピイの気持ちなんだよ。美鶴に悪いことしたって、文に教えてもらって解ったんだ。だから、このピンクたちはピイのレター、本当の『文』なんだよ。ごめんねって伝えたかったんだよ、きっと」
やっぱり・・・
文も涙を堪えることが出来なかった。ピイが集めたピンクの諸々に手を当てて、文も静かに泣いた。ピイに気持ちは伝わってた。それにピイも気持ちを伝えようとしてた。涙は後から後から溢れてくる。
「文、せっかくのコンタクト、どこか行っちゃうよ」
茜はティッシュを抜いて文と美鶴に渡した。
「・・・はい」
文は目をティッシュで押さえた。
文はピイを思い出した。結局その姿を見ることは出来なかったけど、暖かいドキドキした柔らかい君の事は掌が覚えてる。ピイ、君は本当の『文の鳥』だったんだ。君のレターは確かに受け取ったよ。そしてずっと忘れない。君が伝えてくれたもの、私はずっと見てゆくよ、君が取り返してくれた私の目で。
窓の外を雀が飛んで行った。文は窓に近寄った。秋の空はどこまでも高い。ピイが駈け上った空を文はいつまでも見続けた。
【おわり】




