【番外】 冬のピッコロ
文はその日初めて呉羽の顔を見た。呉羽は髪は肩までで切り揃えた利発そうな女の子だった。文は呉羽にもう一度ピッコロを教えるために、美方先生と一緒に支援クラスを訪れたのだ。音楽室では支援クラスの貝塚 玲先生が待っていてくれた。美方先生と仲良しの先生だ。
「若浦さん、見えるようになったんだって?」
「はい、左だけ、0.5です」
「おめでとう!アユミから聞いたんだけど、奇跡が起こったって」
「ええ、もらった視力なんです。小さな生命と引換に」
「うん。でも凄い話だよ。そういう運命だったってことだよ」
呉羽にも話は聞こえている。何のことか判らないだろう。小さな声で呉羽が貝塚先生に囁いた。
「お姉さん、見えるようになったんですか?」
貝塚先生が文を促した。
「呉羽ちゃん、ピッコロのお姉さんだよ。若浦文。そうなの。片方だけだけど見えるんだ」
「魔法ですか?」
「ふふ、私の友だちがぶつかって治してくれたの」
それを聞いた美方先生が笑った。
「文ちゃん、余計に判んないよ。あのね呉羽ちゃん、文ちゃんが大切にしていた小鳥がいたのね。文ちゃんの肩に留まって、文ちゃんのピッコロと一緒に歌ったりしてた子がね。ま、飼ってたってことね。その子が文ちゃんの目にぶつかって、そうしたら見えるようになったの。でもその小鳥はどこかへ飛んでいっていなくなったの」
呉羽は美方先生の声の方を向いていた。文はその頭を撫でながら
「でもね、その子は私の目の中にいるの。その子の目で私は見てるんだなあって思うんだ。だからいなくなったけどここにいるのよ」
「ふーん」
呉羽は小さく頷いた。
「じゃ、ピッコロやってみようか」
文はピッコロを取り出し、自分で呉羽の手に持たせ、マウスピースの唄口を呉羽の小さな唇に当てた。見えると楽だ。
「そのままで、前みたいににっこりしてくれる?」
呉羽がはにかむ。
「よし、フーッと吹いてみて」
しばらく苦闘が続いた。左右の調節も今回は文ができる。しばらくやっていると音の予感のようなものが聞こえるようになった。
「もうちょっとだよ。一回休憩しよっか。お口がしんどいって」
「いえ、文ちゃん先生、お口大丈夫です」
呉羽がはっきり言った。呉羽の表情は訴えている。
「わかった。やろう」
外は木枯らし、窓は曇っている。文は再びピッコロを取った。その時、窓からコツンと音がした。一瞬の事だったが音に敏感な文と呉羽は窓の方へ振り向いた。
「コツンって聞こえた」
「聞こえたよね、呉羽ちゃんにも聞こえたんだ」
「うん」
「え?何何?誰か覗いてるの?ここ2階だけど」
先生たちには判らなかったようだ。しかし文は内心驚愕していた。コツンの音に振り返った瞬間、曇ったガラスの向こうに見えたのは『文鳥』ではなかったか?見えるようになってから調べた文鳥の姿、グレーの羽、黒い頭に白い頬。まさか、ピイが帰って来た?そんなこと有り得るのか?だってピイは鳶に捕まって連れ去られて、それも遠く離れた南房総だ。文は窓に近寄った。指で曇りを拭いてみる。周囲には何もいないようだ。後ろでは呉羽がフーッを始めた。そうだ、やらなきゃ。二人は練習を再開した。呉羽の息は段々音に近づいている。
「呉羽ちゃん、ちょっと上げて見ようか」
文が心持ちピッコロの角度を変えた。呉羽は見えない目で前を睨みフーッと息を吹き込んだ。
『ぴーー』
「鳴った!鳴ったよ呉羽ちゃん!」
文が呉羽の肩を抱きかかえようとしたその時、また窓からコツンが聞こえた。二人は同時に窓の方を向いた。
「コツンって聞こえた」
「ね、また聞こえたよね」
文は思い切って窓を開けて身を乗り出してみた。ん?右手のモミの木の中で何か動いてる。
次の瞬間、一羽の鳥が飛び出し一直線に文の腕に飛び込んだ。え?文鳥?え?ピイ?美方先生が後ろから覗き込んだ。
「あら、文鳥だ」
小さな身体は震えている。南の国にルーツを持つ文鳥にはこの気温、寒いに違いない。呉羽と貝塚先生もやって来た。文は掌でそっと小鳥を包み込みながら聞いた。
「歩先生、どうしよ。ピイかも知れないけどそうじゃないかも知れない。私、ピイを見ても判らないんです」
「ん、そうね、この子がピイだったら文ちゃんのピッコロに反応するよね。吹いてみたら?」
そうだ。ピイなら、ピッコロの音色に合わせて鳴くかもしれないし、肩に飛んで留まる筈だ。文は文鳥をそっと美方先生に渡した。
「ごめんね、呉羽ちゃん、ちょっとピッコロ吹いてみるね。今、小鳥が飛んで来たのよ。吹くと一緒に囀るかも知れない」
不思議そうな表情の呉羽の肩に触れて、文は吹き出した。曲は南房総でピイと一緒に奏でた『コパカパーナ』。
冬の景色には少々似合わない軽快なメロディが流れる。呉羽は肩でリズムを取っている。しかし美方先生の両手の中に蹲る文鳥は何も反応しなかった。文は念のためリピートした。しかし文鳥は蹲ったまま目をパチパチさせるだけだった。
「反応ないわねえ」
美方先生が呟く。文も顔を近づけてみる。すると文鳥は小さく鳴いた。ピッピッ チッチッ。
「歩先生、違います。ピイじゃない。ピイはこんな声じゃなかった」
貝塚先生も文鳥を覗き込んで
「この子、女の子じゃないかな。男の子はもうちょっと派手に鳴くって聞いたよ」
「そうなんですか?」
「うん。私も子供の頃飼ってたんだ。その時に教えてもらった。そのピイちゃんって男の子?」
文は詰まった。そう言えば・・・知らない。
「迂闊でした。知りません。でも一緒に囀ってくれたので、きっと男の子だったと思います」
取り敢えず、貝塚先生が用意してくれたカゴに文鳥を入れ、有り合わせの容器に水と砕いたビスケットを入れてみた。文鳥はヨタヨタ歩いて啄んでいる。呉羽と翌日ピッコロの練習の続きをする約束をして、文は茜に電話してみた。
「あ、茜さん。文です。あの、文鳥が飛んで来たんです」
「え?ピイのこと?」
「いえ、違います。別の子です。小学校の教室でピッコロ教えてたら窓に来て、今カゴに入ってるんです。どうしたらいいでしょう?」
「へーえ、文ちゃんはよっぽど文鳥に好かれてるんだねえ。でもペットが逃げたかもしれないからさ、一応交番に届けたら?私も一緒に行くよ」
「はい。じゃ、今から持っていきます。はい。じゃ、交番で。よろしくお願いします」
文は茜と交番で待ち合わせをした。先生二人と呉羽もついて来た。交番には以前ピイの世話をしてくれた警官・淡口巡査がいた。
「え?また文鳥を保護したんですか?」
「はい。今度はこの子の所に飛んできて」
茜が文を指さす。淡口巡査は呆気に取られていたが、今回も届出の調査を約束し文鳥を預かってくれた。巡査は
「今度はちゃんとしたお家に入ってるね。それで連絡は若浦さんでいいですか?」
「はい」
5人は一安心し交番を後にした。茜も感心している。
「一度ある事は二度あるんだねえ」
「茜さん、多分飼主見つからないですよね。そしたら私が飼うことでいいですか?」
「うん、私はいいけど、ピイみたいになるかなあ。文の肩に止まってピッコロと一緒に囀って」
そんな会話を後を歩く呉羽は聞いていた。呉羽は小さな声で貝塚先生に聞いた。
「私が小鳥を飼ったら、私も見えるようになる?」
貝塚先生は少しウルッと来た。そうか。文ちゃんの話、さっき聞いたところだもんな。
「そうとは限らないけど、お友達は増えるわね」
「ふうん」
翌日、早速交番から文に電話がかかって来た。ちょっとややこしいので来て欲しいという。文は茜にも電話をし、二人で交番を訪れた。淡口巡査は二人に椅子を勧め、お茶まで入れてくれた。
「いや、すみません。ちゃんと説明しておかないとと思ってね。実は飼主が見つかったんです」
巡査は紙とペンを前にして話始めた。
「隣の県の人だったんですよ。隣接してるからもしやと思って本署経由で聞いてもらったんです。そしたら以前に三沢さんに引き取ってもらった文鳥いたでしょ?あれもその人のところから逃げたみたいでね。その時は届けてなかったらしいけど、丁度時期がぴったしなんです。で、今度のこの子は、前の子の奥さんだそうですよ。三沢さんのところの子がオスで今度の子がメスってことですね。元々つがいだったそうです。旦那がいなくなったので後追いで逃げちゃったってことですね。なんだか羨ましい気もするけど、純愛なんですねえ文鳥って」
茜も文も意外な成り行きに絶句した。巡査は続ける。
「でね、その人には前の子はもう保護してくれた人が引き取ってくれたので、そりゃどうしても返せって言うなら仕方ないけど、普通は放棄したと見なされますよって申し上げたんです。時間も経ってるしね。今度の子だけ返すってのは、法律上は正しいけど、旦那の後を追って逃げたんなら、一緒にしてあげた方がいいんじゃないですかって、ま、これは僕個人の意見なんですけど言ったんですよ」
茜も文も淡口巡査の意外なとりなしに感心して頷いた。
「そしたらもういいですって。要りませんって。何でも小鳥を何十羽も飼ってる人でね、いなくなっても気づかないとか言ってました。だから三沢さんのところの方が幸せなんじゃないですかねえ」
「あ、あの、実はピイは、いや前の子は、三沢さんから私が貰って私が飼ってました」
巡査は文の方を向き直った。ほう、
「でも、亡くなったんです。鳶に攫われて」
巡査の目が大きく見開く。文は掻い摘んで事情を打ち明けた。巡査は上を向いた。
「そんなことって・・・あるんですか。小鳥の恩返しですよね。そうか。大した奴だったんだ。それで視力が回復。凄いな。結果的には若浦さんには良かったですよね。辛いとは思うけど。だからまあ、その件はもう持ち出さないことにしましょう。向こうにも言いませんし僕の中に留めておきます」
「はい・・・」
文は項垂れた。淡口巡査は文の肩をポンと叩いて
「じゃ、奥さんの方も若浦さんが引き取りで、その方がいいですね」
しかし、文は内心戸惑っていた。ただの文鳥なら無条件で引き取る。しかし、今度のこの子はピイを想って逃げて来たんだ。彼女はピイが亡くなった事を知らないし、伝える方法もない。ちょっと重いな。顔を見るのも切ない。でも仕方ないか。私のところに飛び込んでくれたんだもの。
文は書類を書いて、カゴを持ったまま支援クラスへ急いだ。昨日の続きで呉羽にピッコロを教えるのだ。
教室には美方先生と貝塚先生も待っていてくれた。
「おや、もう文鳥引き取って来たの?」
「はい。交番から電話があって、飼主さんが見つかったけど、もう要らないって・・・」
「要らない?」
「たくさん飼ってるから逃げても判らないそうです」
「ふうん」
「それで、ピイも多分そこから逃げ出したみたいで、今度のこの子はピイの奥さんだそうです」
「えー?」
二人の先生は同時に驚いた。
「なんかそう言うの聞いちゃうと、私、この子の顔がちゃんと見られなくて・・・」
俯く文に、二人の先生も言葉を失った。その時貝塚先生の手を呉羽が引っ張った。
「先生、私、飼いたい」
「え?呉羽ちゃんが?」
「うん。お母さんもいいって」
「え?お母さんに聞いたの?」
「うん。昨日小鳥の声聞いてから、可愛いなあって思ってお母さんに小鳥飼いたいって言ったら、いいよって」
文は顔を上げた。そうだ。呉羽ちゃんはまだ見えない世界にいるんだ。でも文鳥の声は聞こえる。友達も増えるし、いつか私みたいにピッコロで合奏したいって思うかも知れない。
「呉羽ちゃん・・・」
文は呉羽の小さい手を取った。
「この子の事、よろしくお願いします」
やったじゃん。貝塚先生が呉羽を抱き締めた。美方先生もしみじみ文鳥を眺めて、良かったねえと話しかけている。
突然の喧騒に、文鳥も驚いたのか止まり木を行き来して、チッチ と鳴いた。
「名前、『チッチ』にする」
呉羽が叫んだ。あれあれ、茜さんと同じ発想だ。でも良かった。ごめんねチッチ、私はやっぱりキミを飼えないよ。だってピイの事をキミに伝えることは私には・・・。
文は不意に後ろを向いてピッコロを取り上げた。
「呉羽ちゃん。お姉さん、ピッコロ吹く。チッチに聴いて欲しい曲があるの」
文はピッコロを構えた。
♪ さくらひらひら舞い降りて落ちて・・・揺れる想いのたけを抱きしめた・・・君と・・・ ♪
南房総で、夜中にピイのために奏でた『SAKURA』だった。ピイにはきっと届いたこのメロディ、チッチにも届くだろうか。チッチもピイがいなくなったこれからの時間、呉羽ちゃんと一緒に生きて欲しい。二人で通じ合って欲しい。きっとできるよ。だってキミも 『文の鳥』 なんだから。
開け放たれた教室の窓からピイを追いかけるように、澄んだ冬の空へメロディは高く舞い上がった。
【完】
最後までお読み頂き有難うございました。私はピッコロを吹いたこともなく、でもそれじゃ拙いと思ってフルートの体験教室で吹かせて頂いた程度の知識なので、音楽描写では妙な点があろうかと思います。申し訳ありませんがご容赦願います。
異世界も剣も転生も出て来こない自己満足の道楽作品ばかり量産しお目汚しなのですが、文章書くのは結構好きなので懲りもせず次作にアプローチ中です。今度はロードバイクが出てくる願望のカタマリみたいなラブコメを狙っておりますので、公開の際はお読み頂けると嬉しいです。1作品2~3ヶ月で出来るので秋頃UP予定です。
重ねましてお読み頂き有難うございました。
♪ Suzugranpa ♪




