第21話 落下
文は落ちながら驚愕していた。
ピイがぶつかった目が見える。ピイの嘴で義眼が弾き飛ばされたら、目の前の茜さんがぼやっと見えたのだ。
と思った瞬間、文は海中に沈んだ。口と鼻から一気に水が入ってくる。苦しい。このまま死ぬのかな。どうしたら・・・・
その時文の手を誰かが握った。そのままぐいっと引っ張り上げられる。この感触は茜さん、いつか握った掌。意識が遠のく・・・。
次の瞬間、もがく文を茜が抱きかかえて浮上した。水に落ちたショックでもう片方の義眼も外れたようだ。文は激しく咳込みながら何とか水上に顔を出していた。その両脇に腕を差し込んで、茜は立ち泳ぎを続けた。桟橋に人が集まって来る。どこから持って来たのかレスキュー用と思しきロープ付きの浮輪が投げられた。茜は浮輪を二人の間に挟む。桟橋の上で数名の男たちがロープを引っ張り、二人は海中に伸びた階段の所へ誘導された。その間、茜は文の顔を見て驚いた。瞳が黒いよ!。
「文!ど、どうしたの?目?」
文はなおも海水を飲んで咳込みながら途切れ途切れに言った。
「茜さん!ぼやっと、 だけど、 ゴホッ、 茜さんが、 見える」
「え?見える?」
「ぐっ、辛い、水、喉痛い。でも、ゴホッ、 見えます 何となく」
階段で陸が待っていた。ずぶ濡れの文を抱きかかえ桟橋の上に運んで座らせる。咳込んでいた文だったが次第に落ち着く。茜は自力で上がって来た。港湾関係者だろうか、ロープを引いてくれた男たちも集まって来た。
「無事でよかったなあ。水飲んだだけだから、大丈夫だよ」
茜は立ち上がって皆に御礼を言った。
「有難うございました。いのち助かりました」
「いんや、アンタほど立ち泳ぎ上手けりゃ全然大丈夫だあ。助け方も上手だったしな。しがみつかれると一緒に沈んじまうけど、距離とってちゃんとやってたよなあ。早く着替えな。ベトベトになるでな」
「はい。すぐ宿に戻ります」
男たちが去った後、茜は改めて文の顔を真っ直ぐに見た。
「文!見えるって本当?」
文はなお震えながら言った。
「はい。見えるんです。左だけぼやっとだけど、ぼやっと茜さんの顔も見える。義眼取れたら見えるようになってた・・・」
そこまで言って、急に文は振り返った。
「あれ?ピイ!ピイどこ?」
陸が文の肩に手を置いた。
「文ちゃん、落ち着いて!ピイはびっくりして飛んだんだ。すぐに戻って来るよ、ね」
「だって、そんなに長くは飛べないって、文鳥はそんなに飛べないってお母さんも言ってた・・・」
茜も言った。
「文、まずは着替えて来よう。このままじゃ風邪ひいちゃうし塩辛になっちゃう。ね、目もきれいな水で洗った方がいい。ピイは陸と美鶴に待っててもらうから。ピイは賢いからちゃんと解るし戻って来るよ」
文は力なく立上がり、茜に支えられてペンションに戻って行った。
陸は目の前で見たことを言えなかった。言うべきなんだろうけど言えない。桟橋に残った美鶴と陸は取り敢えず、茜たちが落下した場所まで行って腰を下ろした。美鶴の目も震えていた。
「何が何だかわからない。文の目が見えるってマジ?どうなってるの?」
「義眼の下で目が回復してたってことじゃないかな。文ちゃんは義眼があるから見えないと思ってた。ないとは言えない事です。ピイが文ちゃんを止めようとして体当たりして義眼が外れたんだ」
「なにそれ。ピイがわざとやったって事?」
「そう。ピイは文ちゃんを助けたんだ」
「鳥の恩返し?」
「そうかもね。命懸けでね」
美鶴の眉間が寄った。
「また帰って来るわよ。びっくりしただろうけどいつも戻って来るじゃない。ここで待ってたら戻って来る」
「いや、もう帰って来ないっす」
堪りかねて陸が漏らした
「なんで解るのよ」
「鳶に捕まったから。僕だけが見たんです。ピイが飛び上がって、そこへ狙いすましたように
鳶が急降下して」
「マジ?」
「本当です。ピイは連れ去られた。あれじゃ助からない」
美鶴は黙り込んだ。ピイをカゴから出したらと言ったのは私だ。ピイが飛ぶことは少しは考えた。でもいつもピイは文の肩に戻って来る。だから大丈夫だろう。それに、逃げたっていいや、一瞬そう思ったのも事実だ。それがこんなことになるなんて思いもしなかった。文の目が回復した良い話とピイが攫われた悪い話。美鶴は天秤にかけていた。結果的には良かったじゃない。見えるようになったんだし。
「怪我の功名だよ。文鳥は他にも居るんだから、私がプレゼントするよ」
陸はゆっくり首を振る。
「いや、ピイじゃなきゃ駄目だと思う。文ちゃんは一生ピイをここで待ち続けるでしょうね」
「新しい子が来たら文の気持ちだって変わるよ」
「いや、そうはいかないっすよ。美鶴さん、文ちゃんの指に気付いてました?」
「何?指?」
「少し前まで傷だらけだったでしょ。血が固まってたり瘡蓋になってたり」
「そんなとこ見てないよ。なんで?ピイに噛まれたの?私みたいに」
「多分噛ませてたんですよ、文ちゃんは。噛んだら相手が痛くてつらい事を教えようとして噛ませてたんですよ」
「マジ?」
美鶴は自分の指を見つめた。陸が水面を見つめながら続ける。
「うん。痛がる文ちゃんの表情や声から噛むのはいけない事だと解らせたみたい。それ程の仲なんですよ文ちゃんとピイは。だから新しい子がすぐ代わりなんかにはならない。言うのは辛いけど、僕しか見てない訳だし、僕が言うしかない。それで僕は茜さんを諦めます。茜さんと文ちゃんの間に割って入るなんて出来ないっす。オケも辞めて他を探すことにします。このままここには居づらい」
美鶴は上を向いた。月が出ている。細くて、しかし凛とした三日月だ。あんなに細いのに弱くない。文もそうなんだ。目は見えなかったけど弱くはない。私はどうなんだ?
「陸、一緒に連れてって。私も辞める」
「なんで?美鶴さんは関係ないじゃん」
「文にピイを出したらって言ったんだ、私が」
「何それ?ピイはよく放されてるじゃない」
「飛んで行っちゃうかもってちょっと思った。逃げたっていいやって。カゴに入っていれば攫われないで済んだ」
陸は考え込んだ
「でも結果的に文ちゃんが見えるようになったのも事実でしょ。ピイが飛んで目に体当たりしたから」
「それはそうだけど、それに逃げ込んじゃいけない…のかも知れない」
美鶴はまた三日月を見上げた。
陸は繰り返した。
「ピイが攫われたことは悪い話だけど、でもその他は結局いい話でしょ。だからさ、美鶴さんも素直に言えばいいんですよ。悪かったと思うならね」
「そんなこと・・・今さら」
「鳶だけが悲劇だったんだ。それは美鶴さんのせいじゃない」
「陸は優しいね」
「そうすか?」
「うん。何だか私、オトコでもいいかなって今思った。陸でもいいかなって」




