手帳1-1
今起きているような私を責める記憶たち
父が気に入らないと暴力を振るう。
私は気に入られようと頑張った。
だがほぼ裏目に出て、暴力、暴言、水を満たした風呂に顔を沈められ溺死させられそうになったり、時には全裸にされて真冬の外に放置された。
母は最初の暴力から3回目ぐらいまでは身を挺して助けてくれたが、やがて助けてくれなくなった。
それどころか、私を徐々に疎んじるような発言が出始めた。
大人になった今だからこそ、こうやって表現出来るが、当時は言葉を知らなくて、ただただ黙ってぼんやりしている子供だった。
記憶が確かならば、まだ3歳に満たない子供が、身体中にアザやコブを作り、服はボロボロ、なにより臭う。
現代ならば両親は逮捕されていてもおかしくないだろう。
そんな環境の中で、幼い私は変なものを見るようになった。
ある晴れた日、住処である平屋の団地を歩いていると、壁の傍に浮いている桃色のゴム鞠のようなものを見つけた。
ゴム鞠は波紋があり、シャボン玉の波紋のように動いていた。
割れることもなく浮いている。浮かんでいるそれは一体なんだったのか、未だにわからない。
もしかしたら夢だったのかもしれない。
だが、私はそれに触ってみたかった。
手は届かなかった。
だが大人なら手に取れるだろうと、大人を探してみた。
大人は居らず、子供が多かった。
歳が近い子供に「ちょっと」と声をかけて手を引いて浮いているゴム鞠を指差した。
「これなんだろう」と声をかけた。
「なんだろうねこれ」と返してくれた。
この記憶は夢ではなかったと思うんだ。
次の日にはゴム鞠は消えていた。
父に相談すると嫌な思いをするので母に聞いてみた。
「知らないわよそんなもの」
とイライラしていたのを覚えている。
そして母は良く戻していた。トイレ、シンク、ゴミ箱、所構わずだった。
ひどい臭いだったのを覚えている。
今から思えば弟を妊娠していたのだろう。
ゴム鞠の記憶は臭いと母の態度を思い出す。
今でも時々思い出すんだ。
二つ目の変なものを見た。
近所に小川が流れていて、コンクリートの橋があり、その橋げたのあたりに、水に浮いた桃色のオバケのオモチャがあった。
ゴム鞠を見てから近所の子供と仲良くなった私は「あれなんだろう」と声を掛けまくり、男女合わせた六人ぐらいのグループの底辺にいた。
みんなでオバケのオモチャに石を投げた。
石が当たると「キュウ」と鳴くので面白かった。
そのオバケのオモチャは二週間ぐらい橋げたの下にあった。
オバケのオモチャが消えた日、リーダー格の男の子がコンクリートブロックを、オバケのオモチャの真上から落とした日だった。
オバケのオモチャにブロックが直撃すると、とんでもない悲鳴が耳を貫いた。
ブロックを落とした子、周りに居た子、もちろん私もギャン泣きした。
泣いている子供たち気がついた大人が何があったのかを怒号を以って問うも、
「オバケが!オバケがー!」
としか言えなかった。
ゴム鞠とオバケのオモチャ。
あれらは一体何だったのだろうかと、今でも疑問に思う。
ただ、この記憶は臭いと耳の痛みを伴う。
「今起きてるような私を責める記憶」の1つである。
続けます。書き溜めます。本日は2017.7.7