手帳3-5
中学、三者面談
私は勉強をして、良い結果を出す意味を教えられていなかった。
良い結果を出すと、それを理由に弟たちが、「なぜ兄に出来てお前らが出来ないのか!」と父からひどく責め立てられた。
私の成績をあげつらい、暴力のネタにする父を見て、それと共に勉強する意味も見失い、それからの私のテストは赤点ばかりだった。
成績が下がった私を両親は責めたが、私には知ったことではなかったし、弟たちが責められるのを、私は見たく無かったのだ。
塾にも行けず、参考書も買えない。
もちろんスポーツなど、もっての他で、お金が掛かるものだと、私は知っていて、スポーツは全くやらなかった。
そんな環境で両親は言っていた。
「勉強は教科書だけで充分だ。」
今更思うが教科書だけで勉強出来るならば、塾や参考書の出版社は潰れるどころか、商売が成立していないだろう。
私は特に数学が全く理解出来なかった。
文章が求めている意味が、証明せよと言う証明の仕方が分からなくて、テストが全く出来なかった。
分からなくて教員に聞いた事もあったが、「教えた事が全てだ。理解出来ないならそれまでだ。」などと雑に扱われたのを覚えている。
絵を描くのが好きだった。
美術の授業で描いた私の絵が、賞を取った事もあった。
成績の中でそれだけが高い評価だった。
ただ、絵の具を買って貰えず、私の描く絵の色は、私が表現したい色とは全く違うものばかりだった。
絵の具は部活で使われているものを、美術教員が借してくれたのを覚えている。
冬の体育がある日は憂鬱だった。
スケート靴を買って貰えず、貧乏だとバカにされるのが嫌で、忘れたと言い張り、ずっとスケートの授業を見学していたためか、体育の評価は最低だった。
私は将来の夢を、ことごとく父に否定されて、将来なりたい職業など頭に全く無かった。
三者面談の日
母と私と担任で3人
進路についての相談だった。
「何もしたくないです。」
私はその時、ありのままの自分の考えている事を言葉にした。
「何をバカな事を言っているの!先生、お願いです。この子の行ける高校はどこなんですか?」
母がヒステリックに、狼狽と焦りが混ざったような声を上げて、担任教員に聞いた。
「無いですね。あー、でもこの学校なら行けるんじゃなかな。」
かなりだるそうに担任教員が書類に指を差す。
「そこでお願いします。いいわね!」
母は担任と私を交互に見た。
驚いた。
私は高校へ行くのだと。
普段お金が無い、お前が居るからカネが掛かるから死ねだのと言われていて、高校へ行くという選択があることが私には驚きだった。
同時に怒りが沸いた。
母は嘘つきだ。
いつも「お金がない」「高校へ行かせるお金がない」「修学旅行へ行かせるお金がない」「中学出たら働かせる」などと言っていたのに、普段と、この面談で言ってる事が違う。
自宅へ戻ってから母に問い詰めた。
「そんな事を言っていた覚えは無いわ!あなたは高校へ行きなさい!」
言われた瞬間、私は頭が真っ白になった。
気がついたら母はうつ伏せに倒れていた。
どうやら私は母の顔面に拳を入れて、俯いた母の頭にヒザとヒジを入れて、倒していたようだ。
「何てことするの…」
鼻血を出しながら母が私に尋ねた。
「嘘つきと泥棒は死んでいい。」
それだけ言うと、私は自分の部屋に戻って、頭から毛布を被り、泣いていた。
私の中で母の序列が下がった。
この家庭の中で、私が父に次ぐ立ち場になったと思った。
それが何故か悲しくて仕方なかった。
それからしばらくして卒業式を迎えた。
私は式が終わってすぐに、誰とも話さず、家に帰ったのを覚えている。
2017.7.27 木曜日 平成29年




